「おい、瞬。ヒョウガを拾ってきてやったぞ」
紫龍が“解決策”を抱きかかえて、相変わらず極寒の城戸邸に戻ってきたのは、彼が真冬の城戸邸を出ていってから2時間後。
紫龍が運んできた“解決策”は、グレイというよりは銀色の、イッキ並にふてぶてしい面構えをした小さな猫だった。
紫龍にヒョウガと呼ばれた猫が、いたく綺麗な水色の瞳で瞬を見あげる。
「し……紫龍、どうしたの、これ。……ヒョウガ?」
イッキが珍しく紫龍への攻撃を忘れている。
彼は、自分と同じく4本の脚とシッポを持った見知らぬ闖入者を警戒して、全身の毛を逆立てていた。

「駅に行く途中に児童公園があるだろう」
「うん」
「そこの公園の池の傍に捨てられていたんだ。どうやら母猫と引き離されたらしくてな、今にも死にそうな声でミーミー鳴いていた」
「え……」
ヒョウガの悲しい生い立ちを聞かされた瞬が、ほろりと彼に(ヒョウガはオス猫だった)同情する。
瞬は、瞳を半ば潤ませながら、紫龍の手から気遣わしげにヒョウガを受け取った。
「ミー」
先程までの ふてぶてしい態度はどこへやら、ヒョウガが、わざとらしくも頼りきったような眼差しを瞬に向け、か細い声を洩らす。

(猫かぶりとは、こういうのを言うんだな)
ヒョウガの豹変振りに呆れかえっている紫龍に、瞬は、心配無用とばかりに決意のこもった口調で宣言した。
「僕、兄さんと一緒にこの子の面倒みるよ。大丈夫、ちゃんとすぐ元気にしてみせるからね」
言うなり瞬はヒョウガを抱きかかえたまま、キッチンの方へと駆けていった。
イッキが慌てて、その後を追う。
イッキは、しかし、行きがけの駄賃に紫龍の背中に駆けのぼり、彼の髪の毛を20本ほど引き抜くことを忘れはしなかった。

「この、くそばか猫が〜っっ !! 」
などという品の無いセリフを口にすることもできず、紫龍は黙ってその痛みに耐えたのである。
紫龍は、自分が 城戸邸の平和のためにイッキの幸福を犠牲にしようとしていることを自覚していた。
イッキにはイッキの幸福追求権というものがある。
その権利を阻害しようとしている龍座の聖闘士を責める権利が、イッキにはあるのだ。
猫のヒョウガの出現によって、瞬の『兄さん、兄さん』が『兄さん、ヒョウガ』になり、そのために 少なくとも10度は城戸邸の気温が上がるはずだと、紫龍は踏んでいた。
(すまん、イッキ、耐えてくれ……)
紫龍は、人類の平和のため、あえてイッキの幸福な日常を壊すことを決意した。
義理と人情、猫と人間を秤にかけて、だが、彼は彼なりに苦しんでいたのである。
紫龍の苦悩の甲斐あって、城戸邸の気温は、やがて5度ほど上昇した。


「兄さん、駄目だよ! それはヒョウガのミルクなの!」
「ミー」
「ほら、ヒョウガが鳴いてるでしょ!」
「ミギャア」
「駄々こねても駄目だよ! ヒョウガ、早くお飲み」
「ミャアミャア」
「おいしい? ヒョウガ?」
「ミイ〜」
「うん、よかったね」

瞬の『兄さん、兄さん』は確かに半減した。
せっせせっせと瞬が世話をしている猫たちの片割れが自分と同じ名の持ち主だという事実に、氷河の機嫌は少し上向きかけていた。
しかし、しかし、だが、しかし。
結局は猫のヒョウガも敵なのだということを、その日のうちに人間の氷河は思い知ることになったのである。






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