そのことがあってから、人間の氷河も騒ぎつねを心配して、随分と瞬ぎつねを構ってやるようになったのです。 人間の瞬と氷河に優しくされて、瞬ぎつねはとても幸せでした。 でも、氷河オオカミさんのことがずうっと気になっていたのも事実だったのです。 人間の氷河が、瞬ぎつねに一人で外に出ることを禁じてしまったので、瞬ぎつねは氷河オオカミさんと会う機会もなくなってしまいました。 人間の瞬の膝でこんこん甘えている時や、人間の氷河にミルクをもらっている時、ふと気付いて窓から森の方を見ると、そこにはいつも氷河オオカミさんの姿がありました。 そして、氷河オオカミさんはいつも、寂しそうで、切なそうで、苦しそうな目をしているのです。 氷河オオカミさんのそんな目を見ると(瞬ぎつねは人間よりずっと目がいいので、遠くのものもはっきりと見えるのです)瞬ぎつねの胸は、なぜかズキンと痛くなってくるのでした。 もしかしたら、氷河オオカミさんは瞬ぎつねを食べようとしていたのではないのかもしれません。 日が経つにつれて、瞬ぎつねはそう思うようになっていったのでした。 それで、瞬ぎつねはある時、 『僕、もう怒ってないよ』 と言うように、森の中の氷河オオカミさんに向かって尻尾を振ってあげたのです。 瞬ぎつねが送った合図に気が付いたのでしょうか。 氷河オオカミさんは人間の氷河に見付からないよう、こっそりと注意深く小屋の窓のところまでやってきて、口にくわえていた白くて可愛い待雪草の花を一輪そこに置いたのです。 瞬ぎつねには、それが、 『おまえを恐がらせたお詫びだよ』 と言っているように思えたのでした。 氷河オオカミさんは、人間の氷河に追い返されるのを恐れて、けれど、それでも何度も何度も瞬ぎつねのいる小屋の方を振り返りながら、森に帰っていきました。 実は、人間の氷河も瞬も何も言いませんでしたが、二人はそんな二匹のやりとりにちゃんと気付いていました。 氷河オオカミさんが森の中に身を潜ませると、人間の瞬は窓を開けて、氷河オオカミさんの置いていった待雪草を手に取って言いました。 「わあ、可愛い花! 春が近いんだね。周りはまだ雪だらけなのに」 人間の瞬が待雪草を見て嬉しそうにしているのを見て、瞬ぎつねは、せっかく氷河オオカミさんが持ってきてくれた待雪草を人間の瞬に取られてしまうのではないかと不安になったのです。 それで、瞬ぎつねは人間の瞬の足許に転がっていって、 『それはオオカミさんが、僕にくれた花だよ! 僕のだよ!』 と、一生懸命こんこん訴えたのです。 でも、その心配は無用でした。 人間の瞬は、瞬ぎつねの前に膝をつくと、 「はい。ポチのだよ。お花持ってきてくれるなんて、優しいオオカミさんだね」 そう言って、待雪草を瞬ぎつねに返してくれたのです。 瞬ぎつねは嬉しくなって、 『こんっ !! 』 と元気に返事をしました。 人間の氷河が、何やら苦々しげな顔で、人間の瞬と瞬ぎつねを横目で見ています。 人間の瞬と瞬ぎつねが仲良くなってくれたのは嬉しいのですが、二人に結託されて責められているようで、氷河は何だか居心地が悪くなっていたのでした。 それに、今の人間の瞬の言葉には皮肉も含まれていることに、氷河はちゃんと気付いていました。 オオカミよりも気のきかない奴と人間の瞬に思われてしまってはたまりません。 氷河はさりげないふうを装って、 「ちょっと出掛けてくる」 と言い残すと、慌てて待雪草の生えていそうな所に向かったのでした。 そこには先客がいました。 氷河オオカミさんが、騒ぎつねにプレゼントするための待雪草を一心不乱に探していたのです。 人間の氷河が近付いていくと、氷河オオカミさんは低い声で、うーっ と、威嚇するような唸り声をあげました。 氷河オオカミさんにとって、人間の氷河は 自分と瞬ぎつねの恋路を邪魔する憎い恋敵でしたから。 きっとまたこの人間は、自分を怒鳴りつけて追い払うためにここにやって来たのだろうと、氷河オオカミさんは思ったのでした。 ところが、今日の人間の氷河は、いつもと様子が違っていました。 人間の氷河は、氷河オオカミさんを追い払うどころか、まるで同病相憐れむというような顔をして、氷河オオカミさんを見詰めてきたのです。 「お互い、つらいよなあ、まったく」 人間の氷河の苦笑を見て、氷河オオカミさんはふいに、それまで剥き出しにしていた敵意を引っ込めました。 そして、 『うおんっ !! 』 と、一声、人間の氷河に相槌を打ったのです. 人間の氷河と氷河オオカミさんには、同じ“瞬”を好きになった者同士、わかりあえるものがあったのでした。 そういうわけで。 二人は一瞬のうちに意気統合し、一緒に必死になって待雪草を探し始めました。 そして、その夜遅く、人間の氷河と氷河オオカミさんは、“瞬”へのプレゼントである待雪草を抱え、二人揃って瞬たちの待つ丘の上の小屋に戻ったのでした。 人間の瞬と瞬ぎつねが喜んだのは、言うまでもありません。 瞬ぎつねは、可愛いお花を貰えたことより、また氷河オオカミさんと会えたことの方が、嬉しくてたまりませんでした。 氷河オオカミさんが、口にくわえていた待雪草を、嬉しくてもじもじしている瞬ぎつねの前に差し出します。 瞬ぎつねはちょっと恥ずかしがりながら、小さな声で、『こん』とお礼を言いました。 苦労して探してきたプレゼントを快く受け取ってもらえた氷河オオカミさんは、瞬ぎつねよりも喜んで、また瞬ぎつねの鼻の頭をペロリと舐めたのです。 瞬ぎつねはすっかり照れて、下を向いてしまいました。 人間の瞬も、人間の氷河のオオカミと同次元のプレゼントににこにこ顔です。 「ポチに友達ができて良かったね。氷河ってば無責任なんだから。僕がポチに会いたいって言って、ここに来なかったら、ポチはずっとひとりで氷河のこと待ってたんだよ!」 まるで自分の手柄のように、人間の瞬はそう言いました。 (きつねに焼きもちを焼いて、そんなことを言い出したくせに……) と、人間の氷河は思ったのですが、もちろん、彼はそれを口にはしませんでした。 実際、それは人間の瞬のお手柄だったのです。 実は、動物を外国に連れていくのは、いろんな法律や規制のせいで、ほとんど不可能なことなのです。 瞬ぎつねをまたひとりぽっちでこの小屋に残していかなければならないのかと、人間の氷河はとても困っていたところだったのでした。 人間の氷河は、それからしばらく氷河オオカミさんを観察し続けました。 そして、氷河オオカミさんは ただ瞬ぎつねが好きなだけで、瞬ぎつねを食べようとしているのではないらしいことを確信し、安心したのです。 やがて、人間の瞬と氷河が日本に帰る日がやってきました。 「こら、おまえ! ちゃんとポチを他のオオカミから守ってやるんだぞ! 俺も頑張るからな」 『うおん!』 「ポチ。オオカミさんと仲良くね。もう、無責任な氷河のためにどんぐり集めなんかしなくていいからね」 『こんっ!』 その頃には、瞬ぎつねもすっかり氷河オオカミさんが大好きになっていたので、瞬ぎつねは、人間の瞬に元気にお返事をしました。 そして、瞬ぎつねと氷河オオカミさんはぴったりと寄り添って、日本に帰る人間の氷河と瞬を、丘の上の小屋の前でお見送りしたのです。 こうして、白くて広大なシベリアの雪原に、可愛らしい恋が一つ実りました。 氷河オオカミさんと瞬ぎつねは、きっと今でも二人仲良く、丘の上の小屋で暮らしていることでしょう。 Fin.
|