「今、何が起こったのか、俺、よく分かんねーんだけど」
「――うん。実を言うと、俺もあんまし……」
星矢や瞬、紫龍、氷河に比べれば至極一般的な社会性と判断力を持つ(しか持っていない、とも言う)檄くんやら那智くんやらが、互いに顔を見合せながら、瞬のいなくなったダイニングで呟くように言う。
二人の会話を洩れ聞いた星矢は、檄たちに親切に説明してやった。
「瞬が氷河にラブレター渡しただけだろ」
「あ、いや、それは分かるんだけどさ。えー……と、瞬はなんで自分で渡さなかったんだ? 目の前に氷河がいるのによ」
「恥ずかしかったんだろ。瞬は内気で大人しいから」
「そ……そっか、そーだよな……」

檄と那智は再び互いの顔を見合わせた。
彼らが分かっていないのは、実は、たった今この部屋で起こった事象ではなかった。
“内気で大人しい”と誰もが信じ、おそらくは言われている本人もそう認めているのだろう瞬の、“内気”と“大人しさ”の内実が、彼らにはどーにも理解し難いものだったのである。
そして、そんな彼らの戸惑いを分かってくれない星矢、紫龍、氷河たちへの不審感でもあった。

ともあれ、彼らの疑念と不審感を無視して地球は回り続け、瞬は瞬で、己れの道を爆進していた。
つまり、それから2、3日、瞬は、
(もうすぐ、氷河のあの髪に触れるようになるんだ。氷河、お返事、いつくれるのかな。早くくれないかな。待ち遠しーなっ)
と、どきどきわくわくしながら、幸福な日々を過ごしていたのである。

瞬の、そんな幸福な未来設計をぶち壊す事件が起こったのは、瞬が星矢経由で氷河に手紙を渡してから4日後の、とある夕方のことだった。
“内気で大人しい”瞬は、その日も辛い特訓に耐えかねて、城戸邸の裏庭にある木立ちの陰でしくしく泣いていたのだが、そこに、
「氷河っ! いー加減に白状しろっ。瞬は貴様に何て書いてよこしたんだっ。貴様、まさか、図々しく返事なんか出そうとしているわけじゃないだろーなっっ!」
という兄一輝の声が聞こえてきたのである。

瞬は反射的にぱっと楡の木の陰に身を隠した。
一輝が、城戸邸の建物の横で、氷河の襟首を掴みあげている。
氷河は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない目をして、反抗的に一輝を睨みつけていた。
「おい、何とか言えっ! 口がきけないのか、貴様っ!」
一輝に散々怒鳴りつけられてから、氷河がやっと口を開く。
「あんな、何でも泣けば済むと思ってるような馬鹿の相手をしている暇は、俺にはない」
うんざりしたような口調の氷河のその言葉を聞いた途端、あまりの衝撃に、それまで瞬の頬を濡らしていた涙がぴたりと止まる。
頭の中が真っ白になって、瞬はその場に立ちつくした。

瞬を侮辱する氷河の言葉に怒りまくった一輝が氷河に殴りかかっていく。
その様子は、瞬の視界にも映ってはいたのだが、目の前で何が起こっているのかを判断する力が、その時の瞬にはなかった。
瞬は、自分が氷河に嫌われているという、その事実に打ちのめされてしまっていた。
一輝と氷河の大喧嘩に気づいた紫龍や星矢たちが喧嘩を止めに入り、そのせいで更に騒ぎが拡大しても、ひとしきり皆で殴り合って騒ぎが鎮静化しても、城戸邸の裏庭に誰もいなくなり、日が暮れ、太陽が沈んでいっても、瞬はただ呆然と、一人きり、その場に立ちつくしていたのである。






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