「まあ、ドクター・ワトスンは不満そうね? 怪しげな亭主の素行調査や迷い犬探しなんかよりは、ずっとやり甲斐がありそうな話なのに。なんてったって殺人事件よ、殺人事件!」
だが警察は殺人でも何でもない事故死だと断定したのだろーが――とは、もちろん氷河は口にしなかった。
こういう手合いは、調査料だけもらって『やはり事故死でした』と報告しておけばいいのである。

「不満なんかあるはずないでしょう。うちは沙織さんが持ち込んでくれる仕事でもってるようなものなのに。なあ、瞬」
「僕たち、一ヵ月の半分はグラード財団のお仕事してますから…」
ホームズが、沙織とワトスンと辰巳の前に、アイスティーの入ったグラスを置く。
「今日はちょっとあったかいので、アイスのアールグレイにしてみました」
沙織の前のグラスにだけ、ピンクのストローが入っている。
そのお茶を一口飲むと、沙織の表情は目に見えてなごんでいった。

「探偵事務所なんかより、財団の本部ビルにティーラウンジを作らせるべきだったわ。私の持ってくる仕事は、瞬へのお茶代みたいなものよ」
沙織の言葉に、瞬はトレイを抱えてにっこり微笑った。
ずいぶん人当たりのいいホームズもあったものである。

「でね。なんでこんな話を持ち込んだのかというと、亡くなったグラード損害保険の社長――前野まえの教皇きょうこうという名前なんだけど――彼の周りに不穏な人物が多すぎるからなの。内輪の恥だから、あまりよそには頼みたくないのよ」
そう言って沙織が書類を一枚一枚指さしながら説明したことをまとめると――。

怪しい人物は四人。
まず一人目は、グラード損保副社長、佐賀さが双児そうじ佐賀双児。
自分が社長になるつもりでいたのに、横から前野に社長の椅子を奪われたため、それを恨んでいた。
二人目は蟹江かにえ増句ますく専務。
前野社長とは性格的に合わなくて、ことあるごとに対立しており、前野社長は蟹江を降格させようとしていた節がある。
三人目は老師ろうしはかる会長。
むしろ前野社長の方が、自分より社歴の長い老師を煙たがっていて、最近は会ってもろくに挨拶も口にしないほどだった。
最後が薔薇園ばらぞの魚夫うおお常務。
前野社長の先代社長のお気に入りだったせいもあって、最近は冷や飯食いの待遇に甘んじていた。

「しかも、四人が四人とも、睡眠薬を手に入れるつてを持ってたってわけか」
「そうなの。佐賀副社長の弟は医者だし、蟹江専務の姉は薬局を経営していて、老師会長は自分自身が不眠症。薔薇園常務はグラード製薬の大株主。四人とも、睡眠薬なんか、その気になれば簡単に手に入れられる立場なわけよ」
「だが、人ひとり殺すにしては動機が弱すぎるような気もするな。どう思う? 瞬」

ホームズの探偵事務所だというのに、場のしきり役はすっかりドクター・ワトスンのものになってしまっていた。
が、それも仕方のないことである。
ドクター・ワトスンに尋ねられた探偵ホームズは、
「そんなことで人を殺しちゃいけません! そんなことで人を殺すなんてありえません!」
と力強く断言し、人を疑う素振りなどかけらも見せないのだ。
これで探偵役が務まるはずもない。

「ま、とりあえず調査してみますよ。この四人のうちの誰かが凶行に及ぶようなことになったきっかけが掴めるかもしれない」
しきるだけしきって、最後に話をまとめるのも、結局ドクター・ワトスンの役目だった。


さて、グラード財団100パーセント出資の瞬の探偵事務所には、四人の調査員がいた。
一輝が放浪の仕事に従事している間、することもなく暇を持て余しているブラックセイントの面々である。
「じゃ、頼んだぞ。ペガサスは佐賀、ドラゴンは老師、スワンは蟹江、メダは薔薇園の身辺調査だ。こそこそやる必要はないからな。堂々と調査しろ。後ろめたいことのある奴がそれで動き出すかもしれないし、そうなればこっちも尻尾を掴みやすい」
四人に指示を出すのも氷河の仕事。
そして、四人にお茶を出すのが瞬の仕事だった。

「危ないことはしないでくださいね。それから、頭っから疑ってかかるのはよくありませんから、公正な目で調査してくださいね」
沙織同様ブラックたちも、実は、お茶代がわりに調査の仕事を引受けているようなものだった。
彼らは瞬のいれたお茶を堪能すると、早速仕事にとりかかるため探偵事務所を出て、それぞれの調査対象のもとに出掛けていった。

オフィスに残されたのは、安楽椅子探偵(助手)を決め込んでいる氷河と瞬、ふたりきりである。
そして、ふたりきりになると、氷河は即座に自分の天職を思い出すのだ。“瞬の恋人”という天職を。
「瞬……」
お茶のカップを片付けてオフィスに戻ってきた瞬の腕を掴み、氷河が瞬の身体を自分の方に引き寄せる。
倒れ込んできた瞬を抱きとめる氷河の頭の中からは、自分が探偵の相棒だという自覚はすっかり消え失せていた。

ブラックたちは出払い、当分は沙織のお出ましもないだろう。
グラードの名を冠した探偵事務所だけに、飛び込みの客がやってくることもまず考えられない。
となれば、この探偵事務所は、氷河と瞬ふたりだけの閉じられた空間ということになる。
ふたりだけなら何をしてもいい、何をしても瞬は許してくれる――というのが、氷河の認識だった。
長椅子に瞬の身体を横たえ、瞬の脚の間に自分の膝を割り込ませる。
逃げだす隙を与えないよう、自分の体重で瞬を抑えつけた氷河は、その手や唇を瞬の身体のあちこちにさまよわせ始めた。

「ひ……氷河っ、だめだよ、昼間っからこんなとこで……! やだ、恥ずかしい……!」
とかなんとか言っていた瞬の抵抗が、やがて、
「お願い……せめて、ブラインド降ろして……」
に変わり、ついには、
「あ……っ、氷河……僕……そんな……ああ……もう……氷河、お願い、焦らさないで……っ!」
に変わるまで、大して長い時間はかからなかった。

探偵事務所を開く時には、相棒の選択を慎重に行わなければならない。
その選択を誤ってしまったために、瞬は、とんでもないお仕事に従事する日々を送ることになってしまっていた。






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