氷河は、あまり数の多くない、ブルー・アンド・ホワイトのアラスカン・マラミュートである。 瞳の色が青く、アラスカン・マラミュートにしては肢体が細い上に、体高も七○センチ以上と理想形よりは高いので、ドッグ・ショーに出たり、賞を取ったりすることはなかったが、そんなことは瞬には全く関係がなかった。 氷河は、瞬にとっては掛け替えのない親友であり家族でもあったから。 氷河は、瞬が小学校に入学する少し前、桜の蕾が膨らみかけた頃、瞬の母の友人の家から瞬の家に貰われてきた――というより、瞬が奪い取ってきた犬である。 結婚10年目にしてやっと一戸建てを購入し、念願のペットを飼えるようになった母の友人の家。 母に連れられて新築祝いに行った先で、瞬は、まだ子犬だった氷河に出会った。 それまで動物など飼ったこともなかった瞬は、しかし、すぐに氷河が気に入ってしまったのである。 ――異常なほど。 反抗期にも我儘一つ言ったことのなかった瞬が、氷河を欲しいと、氷河を一緒に連れて帰るのだと泣きわめいて、瞬の母親もその友人も困り果てたのだという。 「本当はね、僕が遊び疲れて寝入るのを待って、僕から氷河を引き離して連れて帰るつもりだったんだって。でも、僕が眠っちゃったら、今度は氷河が僕から離れようとしなかったんだって。氷河、憶えてる?」 瞬に尋ねられた氷河は、まるで瞬の言葉がわかっているかのように賢そうな目をして、微かに瞬に頷き返す。 「それを無理に引き離して、眠ってる僕は車に運ばれちゃったんだ。その車を、まだ子犬だった氷河が何キロも追いかけてきたんだって。それで、僕のお母さんもお母さんの友達も、僕と氷河を引き離すのを諦めたんだよ」 そうして、自宅に帰った瞬は、目覚めて最初に氷河の深い色の瞳に出会ったのである。 それからずっと、今年瞬が高校に入学するまで、氷河と瞬はいつも一緒だった。 氷河は瞬よりずっと早く成犬になったが、その頃も瞬が高校生になった今も、瞬が氷河に引きずられているような散歩風景は変わらない。 氷河は敏捷で大きな犬だったし、瞬は16歳にしては華奢な肢体の持ち主だったから。 だが、傍目には確かにそう見えるのだが、氷河は瞬の言うことには忠実な犬だった。 滅多に吠えることはなく、いつも黙って瞬のいちばん側にいる。氷河はそういう犬だったのだ。 そんな氷河を瞬もまたひどく可愛がった。 氷河と幾日も離れているのが嫌で小学校・中学の修学旅行にも仮病を使って行かなかったほどである。 犬の寿命は長くても20年。 こんなにいつも犬にべったりでは、氷河を失った時の瞬の悲しみはいかばかりか――と瞬の将来を案じていた 瞬の両親が、氷河より先に飛行機事故で亡くなった時も、瞬は氷河を抱きしめてその不幸に耐えた。 その時まだ中学二年生だった瞬が、父の弟である叔父夫婦の家に引き取られることになった時には、遺産も生命保険金も何もいらないから、氷河を一緒に引き取ってくれと叔父夫婦に懇願した。 それが叶わないのなら、学校になど行かず自分が働くとまで言い張った。 幸い、叔父夫婦は戸建て住まいで動物好き、犬を飼う障害になるような子供もなく、氷河が瞬には忠実そのものだということも以前から知っていたので、瞬の願いは快く聞き入れられたのだが。 瞬は、両親が生きていた頃とほとんど変わらない生活を続けることを許され、それを許してくれた叔父夫婦の愛情と思い遣りに、心底から感謝したのである。 それでも。 失ったものの大きさに押し潰されそうになる瞬を助け、支え、その胸の中にできた空虚を埋めてくれたのは――それでも、やはり氷河だった。 |