――願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行法師の残した歌を、俺の父はひどく気に入っていた。 父がその歌を口にするたび、母は、 「そうなったら、私はあなたに薔薇の花を捧げ続けるわ」 と笑いながら言うのが常だった。 学生の頃、単身日本にやって来た父は、一斉に咲き、ただの一日もその美しさを誇ることなく散っていく桜の花に魅せられて、日本への帰化を決めたのだと言う。 その桜の下に、父が愛して手に入れられなかった女性の面影があることを、俺は、病で亡くなる直前の父から聞かされた。 それは、父に数年先立って逝ってしまった母に、既に聞かされていた話だったのだが。 父と同国人の母は、父の誠実と愛情を信じながらも、決して父が忘れようとはしないその桜の花のような女性を、いつも妬いていたのだと微笑しながら言った。 『でも、仕方がないわね。日本の桜には、人を惑わしてやまない魅力があるもの。生身の人間には太刀打ちできないわ』 母が微笑してそう言えたのは、生身の人間として父に最も愛されたのは自分だという自負があったからなのだろう。 叶わなかった父の恋を、彼女は美しい思い出話として父本人から聞いたのだろうし、母には桜の儚さとは対照的な――輪郭のはっきりとした薔薇の花のような魅力があった。 父は、夢の世界では桜の花の精だけを愛し、現実の世界では母だけを愛していた――のだろう。 桜の花の精を忘れることができなかった父を、俺は不誠実な男だとは思わない。 桜には、人の心を惑わす魔力があるのだ。 |