「王と言ったって、権力はないんです。外の国と違って、この国の王は、軍隊を指揮しているわけでもないですし、国の中では争い事なんて滅多に起こりませんから」 結局氷河は瞬に城の外に引っぱり出され、昨夜 月の光に照らされていた彼の国を柔らかな陽差しの中に見い出せる丘の中腹で、王の謁見を賜わることになってしまった。 なだらかな丘の連なりや、あちこちに点在する人家の脇の木々に小鳥が巣を作っているのだろう。時々春を謳うようなさえずりが青い空に響いている。 「みんなに城の世話をしてもらう代わりに、僕も水汲みとか子守りとかするんです。――この国に暮らしている民のほとんどは、戦さに疲れて外の国から逃れて来た人たちで、いちばん最初にこの国にいたのは僕の先祖だけだったの。そういうの、国――って言っていいのかどうかわかりませんけど、他のどの国にも属していなかったから……」 「……」 「そんなぶすっとしないでください、氷河。綺麗なお顔がだいなしです。だって最初に出会った時に 僕が王だって打ち明けたって、きっと氷河は信じてくれなかったでしょう?」 「……」 「それに昨日はもう夜も更けていましたし、氷河は疲れているんだろうなって思ったんです」 仮にも一国の王が、一人の無頼漢の機嫌を取り結ぼうとして必死になっているというのに、氷河はほとんど表情を変えることをしなかった。 そのせいか、瞬が嘆息して、芝の上に坐り込んでしまう。 「それに、僕には氷河の望んでいる力を氷河に与えられるかどうか、わかっていませんでしたし……」 瞬が、ぽそぽそと言い訳じみた呟きを洩らす。 機嫌を損ねていたわけでは決してなく、自分の“人を見る目”に自信を失って口をつぐんでいただけだった氷河は、その呟きを聞いて、やっとマトモに瞬に視線を向けることをした。 「その力をどうすれば手に入れられるのか、おまえは──」 知っているのか――と氷河が言い終わる前に、この国の王は、突然どこからか降って湧いてきた小さな女の子に、その膝を乗っ取られてしまっていた。 「瞬ちゃん! 父さんたち、海に漁に行っちゃったの。ミーアと遊んでちょうだい!」 それは、栗色の髪の、氷河以上に王への礼儀を知らない、生れて2000日かそこいら程の少女だった。 瞬の腕越しに氷河の姿を認めて、瞳をどんぐりのように見開き、見詰めてくる。 「瞬ちゃん。このお兄ちゃんはだあれ?」 ミーアが氷河を『お兄ちゃん』呼ばわりするのがおかしかったのか、瞬は笑いながら少女に答えた。 「僕のお友達だよ。仲良くしてね。喧嘩なんかしちゃ駄目だよ。お兄ちゃんは強いんだから」 「瞬ちゃんより?」 どんぐりのような目を更に大きく丸くして 少女が尋ねると、どうやら彼女と一緒にここにやって来たらしい黒髪の少年が、ふいに横から口をはさんできた。 「ミーアのばーか! 王さまは世界で一番強いんだぞ! どんな軍隊が攻めてきても、一人で追い返しちゃうだろ!」 「ミーア、馬鹿じゃないもんっ!」 「馬鹿だよっ! 王さまは、この世界を造った神さまの子孫なんだぞ! 偉いんだぞ!」 おそらくは“神さま”がどんなものなのかも知らずに訴えているのだろう少年のその主張は、多分、この国に住む大人たちの受け入りなのだろう。 大人たちにそう信じさせるだけの力と根拠を、瞬は持っているに違いない。 してみると、やはり、神託が告げた力を自分に与えてくれるのは、この少女のような面差しを持った少年なのかと、氷河は改めて瞬を見詰めることになったのだった。 「馬鹿じゃないもんっ! あーん、トレミィがミーアをいじめるーっ!」 大声で泣き出した少女を、“王”は、その髪を撫でながら なだめ始めた。 「はいはい、ミーア、泣かないで。僕とお兄ちゃんのどっちが強いかなんて、わからないよねえ。僕だって、魚釣りだとトレミィに負けるし、おはじきだとミーアに負けちゃうもの」 王じきじきの慰めに、ミーアがけろりと泣きやむ。 「ミーア、こないだ、浜で綺麗な石、見付けたの。瞬ちゃん、おはじきしましょ」 「ミーアはほんとに馬鹿だな一! 王さまは今日は、海に行って舟を造るんだよ。王さまと俺が乗るんだぞ!」 「ミーアは? ねっ、ミーアも乗れるのっ !? 」 「女は駄目っ!」 一文字に結ばれたミーアの口元を見て、氷河は嫌な予感に襲われた。 数えきれないほどの戦さをくぐり抜けてきた氷河の勘は、果たして見事に命中した。 氷河が嫌な予感を覚えた数秒後、ミーアは、火がついたような大音声を響かせて、瞬の膝で泣き出してしまったのである。 「瞬ちゃん、トレミィがいじめるーっ! うわあーん !! 」 広く青い大空に鳴り響けと言わんばかりに喚き出した少女と、それをなだめている瞬、ア力ンベをして二人の周りを走りまわっている少年を見て、氷河は思いきり疲れてしまったのである。 彼はこれまで、こんな騒がしい子供を見たことが、ただの一度もなかった。 彼の見知っている“子供”は、大抵は、ぼろぼろの不潔な服を身に着け、虚ろな瞳で表情もなく、戦さが過ぎ去り荒廃した村のあちこちにうずくまっている、飢えて痩せ細った老犬のようなものだった。 ここまで大らかに感情を表に出し、泣き、笑う“子供”に、氷河は今日初めて出会った。 「この子たちも外の国から来たんです。親を亡くしたのか、はぐれたのか、国境の辺りでさまよっていたのをこの国に連れてきて、子のない家に預けて……ミーアが笑うようになったのは、つい最近のことなんですよ」 結局浜辺に行って小舟を造りがてら、おはじき用の石を探す──ということで二人の子供をなだめすかし、一行は砂浜に向かって歩き出した。 その“一行”の中になぜ自分がいるのか、氷河にはどうにも合点がいかなかったのであるが、こののどかな国で、他に為すべきことも見付けられなかった彼は、仕方なし、“一行”のしんがりについて浜辺に向かったのである。 「自分の子でもない子供を引き取って育てることができるとは、この国の民は余程豊かな生活を送っているんだな」 「……みんな、質素に暮していますよ。でも、戦さに明け暮れることを義務とされている国の人々よりは豊かでしょうね。物質的にはともかく、心は」 「……」 先に立って歩いている子供たちを見やったまま、何を言われても無言でいた氷河に、瞬がおずおずと伺うように尋ねてくる。 「あの……氷河――のご両親はどうしているの?」 「――」 答える義務はないと言わんばかりに不機嫌そうな面持ちをした氷河を見て、瞬が俯く。 「ご……ごめんなさい……。言いたくないならいいです……」 「――」 身の上話などしても何の益が得られるわけでもないことはわかっていたのだが、瞬があまりに済まなそうに謝罪するので、瞬の言葉に気を悪くしたわけではないことを彼に示すために、氷河は不承不承それを瞬に話し出したのである。 「俺が受けた神託のために、俺の両親は殺された」 「……え?」 氷河の告白を聞いた瞬が伏せていた顔をあげ、氷河の横顔を見あげてくる。 雲一つない青空に縁取られている横顔に、氷河は相変わらず感情の色を浮かべることをしなかった。 「そんな神託を受けた子供が生れたら、その国の王は自分の地位を脅かされることを怖れるに決まっているだろう。国王は、俺の両親に俺を差し出せと言い、両親はそれに逆らった。その夜のうちに、俺の両親の館は火に包まれ、赤ン坊の俺だけが、父の部下の手によって連れ出された。そのまま――4000日ほど、俺はその部下に守られて、なんとか生きながらえた。もっとも、そいつも俺の受けた神託が成就された時の報いを期待して、俺に忠誠を誓っている振りをしていただけの男だったがな。ちょっとした戦さのとばっちりをくって、そいつが命を落としてからは、一人で……まあ、色々して、な」 「色々──って?」 訊いてしまってから、訊かない方が良かったのかと、瞬はまた後悔した――ようだった。 氷河が、自嘲めいた薄笑いを唇に浮かべる。 「この国の外では、戦さをする以外に生きていく術がない。間諜めいたことをしたこともあるし、傭兵としてあちこちの国で戦ったこともある。城塞の設計をしたこともあるぞ。戦さに関することなら何でも――父譲りの才能があったらしい。俺の父は、軍師として名を馳せた人物だったそうだからな」 「……」 それは、戦さ知らずのこの国の王に語るには、ふさわしくない身の上話だったのかもしれない。 瞬の瞳が曇るのに、氷河は肩をすくめ、再び口をつぐんだ。 が、どうやら、瞬の暗い表情は、これまで氷河が生きるためにしてきたことへの不快さ故ではなかったようだった。 「──この国の住民は皆、そんなふうに戦さに明け暮れて、そして最後に戦さに 「……? 戦さ知らずの国だろう、ここは」 「戦さを避けるために、この国の王は、自らに与えられた力を使って、他国の軍のこの国への侵入を防ぐんです」 「自らに与えられた力――とは、“世界を破滅から救う力”のことか」 「いいえ。それとは別に……たとえば僕は、自分の意思で風を操ることができます。国境の気流がそれです。兄は炎を、父は大地を、父の母は水を――というように、自然を構成する要素の一つを操る力が、僕たちには与えられているんです。僕の父は、でも、残念ながら、僕や兄に比べると力が微弱で──長時間その力を駆使することができなかった。……僕が生れて3500日くらいの頃だから、今から2500日くらい前に、大きな軍隊がこの国の国境近くまで攻めてきて、それを退けるのに力を使い果たして――」 氷河に彼の両親の死を思い出させてしまったことへの代償として、瞬は自らの両親の死を語ったものらしかった。 そして、それを語ることは、瞬には非常に つらいことだったらしい。 氷河は、話を逸らした。 「──おまえは知っているのか。俺の受けた神託の言う“力”とは何なのか」 瞬が――瞬もまた、話を逸らす。 僅かに俯いて、彼は氷河に反問してきた。 「“世界を破滅させる力”を手に入れて、どうするんです」 「世界を破滅させるんだ」 感情の起伏を見せずに――見せないように意識して、氷河は淡々と答えた。 それ以外、その力にどういう使い道があるのかと、言外で問い質すような口調で。 「この国の外は、至るところが戦場だ。あの子たちのように笑っている子供など一人もいない。戦さを つらいことだと思いはしても、それを止めるための努力をすることさえできない者たちで溢れている。皆が、平和と安寧さえ、戦って勝ち取るものだと信じている。俺の父と母も、そういう人間たちの一人だったし、その犠牲者でもあった。存在することに意味があるか、そんな世界に」 氷河は、両親の死に報いるために、その“力”を欲していた。 だが、瞬は、両親の死に報いるために、世界の存続を願っている――ようだった。 「氷河自身が、世界と共に消えることになっても?」 「それこそ、俺の望むことだ。俺は、長く生き過ぎた老人のように 生きることにうんざりしながら、昨日を――神託の日を待っていたんだからな」 瞬を見ずに、氷河は言葉を続けた。 「それに、きっと、その方が――たった今も意味なく戦い傷付いている者たちの幸福にも繋がっているだろう」 「……悲しいです、氷河。そんな絶望のような言葉は」 自分たちの前方を海岸に向かって駆けている幼い孤児たちを見やり、瞬が呟くように、言う。 氷河は、そんな瞬をちらりと横目で見おろし、しばし ためらってから、彼に尋ねてみた。 「おまえまで消えてしまうのか、その力を使えば」 「──すべてを消し去る力です」 「“世界を破滅から救う力”を持っているおまえなら……おまえだけは──」 「すべてが無になるのです」 「……そうか」 この国の外で戦さを続けている者たちになら、すべてが無に帰すことも一種の幸福であろうと言い切ることができたが、この国の者たちまでをも消し去ることには、そうとは言い切れないものがある。 戦さのない平和な国、邪気のない子供の笑い声――そういうものの存在を知らずにいた頃には感じたことのなかった躊躇を、氷河は初めて自覚した。 「でも……」 瞬が顔をあげ、不可思議な微笑を氷河に向けてくる。 「でも、その力が本当に氷河のものになるのかどうかは、今はまだわかりませんし――もうしばらく待ってください。その力を与えるか与えないかの判断は、僕の心がしますから」 「おまえの……心?」 氷河が、ふとその場に立ち止まる。 瞬も、それにつられるように、歩を止めた。 「もうしばらく この国にいてください、氷河。外の国に……あなたを待っている人がいらっしゃいますか?」 見あげる瞬の透明な緑の瞳に、氷河の心臓が一瞬鼓動を止める。 「いや……」 氷河はなぜか ひどく戸惑いながら、かすれた声で答えた。 「本当に……?」 「ああ」 瞬の瞳が、切なそうに細められる。 「……とても悲しいことだと思うのに、僕、そのことが嬉しいです。ごめんなさい……」 「――」 確かに昨日、世界の存続と破滅を決定するための歯車は回り始めていたのだということを、戦さのない平和な国の海岸で、氷河は瞬の緑の瞳に教えられた。 世界の破滅は、すなわち、この美しい瞳の持ち主を失うことに繋がっているのである。 迷いが、氷河の内に生まれ始めていた。 |