19XX年度、FORMURA 1。 その第1戦であるUSAグランプリ前日。 マシンのセッティングのためにサーキットに来ていた氷河は、彼の所属する“グラード・グランプリ”の最大のライバルチーム“プロジェクトHS”のピットの前に、目の醒めるような美少女を発見した。 乳白色の肌、僅かに幼さの残る大きな瞳、繊細な指先。 何より、鮮やかな花びらの香りを隠しきれずにいるバラの蕾のような笑顔が、爛熟した深紅のバラを見飽きていた氷河の目には、ひどく新鮮に映った。 (日本人……だろうな?) プロジェクトHSは、車体、エンジン、タイヤ、無線、そして、チーム・オーナー、監督、ドライバー、スポンサード、その他諸々オールジャパニーズのチームで、関係者のほとんどが日本人なら、チーム内の公用語も日本語のチームである。 その美少女も、幾分褐色がかってはいるが黒髪の持ち主で、瞳も濃い色を呈しているようだった。 その清純そうな風情には、美少女嗜好者に限らず、妙に人を惹きつける愛くるしさがある。 氷河はごくりと息を飲んだ。 「誰だ、あれは」 ピットを出て、ひとりコースを歩き始めたその少女の姿を目で追いながら、氷河は呟くように自チームのメカニックに尋ねた。 必死にマシンのセッティングをしていたメカニックマンが顔をあげ、氷河の視線の先を辿る。 その視線の先にあるものを視界に捉えてから、二人のメカニックマンは、あきれたように視線を見交した。 「おまえ、知らないのか? ありゃあ、プロジェクトHSの――」 「プロジェクトHSの……? まあ、いい」 説明を聞いているうちにも、少女はコースを遠くに歩み去っていく。 氷河は手にしていたメットを投げ捨てて、ピットを飛び出した。 「おい、氷河! 馬鹿、違う、戻れっ !! 」 慌てて氷河を引き戻そうとしたメカニックその1こと星矢を、メカニックその2こと紫龍が引きとめる。 「また悪い癖だ。放っておけ、星矢」 紫龍にそう言われた星矢は、まだ何やら口の中でぶつぶつ言いながら 愛するマシンの方に向き直った。 「ふん! こっぴどく肘鉄食らってくりやいいんだ、あの女ボケ!」 「まあ、氷河も、あれくらいの情熱を持ってマシンを可愛がってくれればいいんだがな」 溜息混じりに、紫龍がぼやく。 星矢は、憤懣やる方ない様子で、手にしていたスパナを振りまわした。 「マシンに乗るより女に乗るのが好きな奴が、なんでF1ドライバーなんかやってやがるんだ、っとに……!」 星矢の怒りは紫龍の怒りでもあったのだが、その点に関しては既に諦めの境地に達していた紫龍は、無言でマシンのセッティングにいそしみ続けた。 彼等の所属するチーム、グラード・グランプリは、メカニックその1、その2である星矢、紫龍及び、ナンバーワン・ドライバーである氷河以外、全てのスタッフが英国人で構成されている。 3年連続でコンストラクターズ・ワールドチャンピオンのタイトルを手中に収めた、伝統と実力を兼ね備えた名門チームの一つである。 そして、氷河は、昨シーズン、グラード・グランプリのセカンド・ドライバーとしてF1にデビューするなり、ドライバーズ・ポイントでプロジェクトHSチームのナンバーワン・ドライバー一輝と同ポイントを獲得し、だが、優勝回数が一輝より1回少なかったばかりにドライバーズ・ワールドチャンピオンシップを逸した新進気鋭のF1ドライバー。 昨年の雪辱に燃えているはずの氷河に、シーズン突入から悪い癖を出されては、星矢としても心穏やかではいられなかったのである。 今シーズンこそ、ドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップとコンストラクターズ・ワールド・チャンピオンシップの両方を自チームにと、グラード・グランプリのスタッフたちは闘志に燃えていた。 (氷河の野郎がもう少し自覚してくれりゃいいんだがなー。走るのも勝つのも好きだけど、執着はしない――って奴だからな) 紫龍に相手をしてもらえなかった星矢は、仕方なく口をつぐみ、今日の獲物を追いかけていく氷河の背中を、情けなさそうに見やったのだった。 |