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USAグランプリから2週間後、ブラジルグランプリが開催された。
USAグランプリが終わると間を置かずに、ほとんどのチームがサンパウロに移動したため、氷河が次に瞬に会うことができたのは、ブラジルでの公式予選開始後のことだった。

「──20位とは震わない成績だな。前回2位入賞者の成績とも思えない」
予選1日目の終了後、やっと捕まえることのできた瞬に、モーターホームの脇で、氷河は幾分皮肉げに12日振りの挨拶を投げかけた。
だが氷河は、決して本心からそんなことを言ったわけではなかった。
むしろ氷河は、瞬が倒れずに予選のタイム・アタックを終えたことに安堵の念を抱いていた。
ブラジルの強い陽の光を受けて輝く氷河の金髪に出会って、瞬が驚いたように瞳を見開く。
が、それも一瞬のこと。
瞬はすぐに曖昧なジャパニーズ・スマイルを口許に刻んだ。

「今日はあまり無理をしません。明日の方が良いタイムを出せそうですがら。前回は残念でしたね。僕はあなたの助言通りに走って入賞できたのに」
素直な感謝の言葉なのか皮肉なのかを読み取ることさえできないほど、その瞳は幼い子供の光をたたえている。
何故か気圧けおされそうな気分になって、氷河は自らに活を入れた。

「あんな走りをされるとは思わなかった。あの一輝の弟とも思えない」
「僕は兄とは違う個人ですから、兄と同じ走りをする必要はないでしょう。あなたも──僕は、あなたが20周も僕に食い下がり続けるとは思いませんでした。あなた、短気そうでしたし、昨シーズンまでのあなたの走りからしても、あれは予想外でした。大抵のドライバーは、僕の後ろについたら、5周以内に焦りのために自滅するか、オーバーテイクを諦めるかのどちらかなんですが……」
「しかし、結局は自滅した」
「あなた、まだお若いですから……。若さが抜けていない走りでしたね」

6歳も歳下の少年の言う言葉ではない。
事実は事実であるが、言われて嬉しいセリフでもなかった。
「返す言葉もないな。反論は、今度君に勝った時にすることにしよう。今、俺が何を言っても、それは負け犬の遠吠えなんだろう?」
「あ……」
2週間前の暴言を思い出したらしく、瞬の頬がぱっとバラ色に染まる。
恥ずかしそうに瞼を伏せ、瞬は身の置き所をなくしたように、身体を縮こまらせた。

「氷河さん。すみませんが、それ、忘れてください。あの時は、僕、気が立っていたんです。それを言われると、今日の僕は何も言えません。今日の予選、僕は暫定20位で、あなたは1位なんですから」
「だが、明日の予選では、俺に追いついてくるんだろう?」
「それは……そのつもりですけど……」
あっさりと頷くその言葉が、恐ろしいことに口先だけのものではないのである。
氷河は、何やら、背中にぞくぞくするものを感じ始めていた。

氷河とて、F1はまだ2年目、若造の類である。
若く強引な走りが幸いにも裏目に出ることなく、昨シーズンは好成績を残すことができたが、一輝を始め、氷河と同等 あるいはそれ以上の力を持つドライバーは腐るほどいる。
だが、それらのライバルたちの誰にも感じたことのないたかぶりを、氷河は瞬に感じていた。

「……君を見ていると、ぞくぞくするな。悲壮というか、壮絶というか……。俺がドライバーでなかったら、すぐに君のファンクラブに入るところだ」
「現役ドライバーでも構いませんよ。案内書を差しあげましょうか? 僕も、去年まで兄さんのファンクラブに入っていたんです……!」
これはどうやら皮肉ではないらしい。
いや、もしかしたらやはり皮肉なのだろうか? ──と、氷河は、瞬の明るい瞳の前で再度迷うことになってしまった。
いずれにしても、ここで怒りの感情を露わにするようなことをしでかしてしまっては、またしても『若い』と瞬に馬鹿にされてしまいかねない。
氷河は意識して微笑を作り、瞬の親切な申し出を受け流した。

「そのうち気が向いたら、よろしく頼む。それより、瞬。その『氷河さん』はやめてくれないか。俺はおまえを『瞬ちゃん』なぞと呼ぶ気はない」
「はい……?」
突然『瞬』で、突然『おまえ』である。
瞬は瞳を丸くした。
しばしの間を置いて、瞬が困ったように苦笑を洩らす。

「そうお呼びして構わないのでしたら呼ばせていただきますけど、もう少し僕にライバル意識を燃やしてくださいませんか。僕の体力不足と、この顔のせいで、あなた、まだ、僕をみくびっていらっしゃるようですよ」
あくまでも敬語で、瞬は氷河に忠告してきた。
対照的に、氷河はどこまでも軽い乗りである。
「それとこれとは別間題だ。ドライバーとしてのおまえの恐ろしさは、ちゃんと認識している。だが、俺は、サーキットを離れたおまえにも興味があるんだ」
「……少しもちゃんと・・・・認識しているようには見えません。僕、そろそろ失礼します。僕は、レースに関係のない話には興味がありません。明日は3位につけるつもりです。さようなら」
言うなり、初めて会った時と同じように、引きとめようとする氷河の腕を擦りぬけて、瞬はモーターホームの向こうに駆けていってしまった。
レースに関係のない話をこそ、瞬と交したかった氷河は、せっかく釣りあげた魚を逃がした釣り人のように、強く舌打ちをすることになったのである。

翌日の公式予選2日目。
瞬は宣言通り3位にまでタイムをあげ、ブラジルグランプリ決勝は、ポール・ポジションを氷河、2位グリッド一輝、3位グリッド瞬でスタートした。
瞬のスタート時のテクニックは、このブラジルグランプリでも見事に示され、レース展開はUSAグランプリと全く同じ様相を示すことになった。
つまり、またしても氷河は、スタート時点で一輝との間に瞬に割り込まれ、行く手を瞬に遮られて、一輝の独走を許すことになってしまったのである。


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城戸瞬 2位獲得ポイント 6総合 12
城戸一輝 優勝獲得ポイント 10総合 20
真船氷河 32周リタイア獲得ポイント 0総合 0






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