第二章 カルカソンヌの記憶






カルカソンヌは、20万とも30万とも数えられる強大な敵軍に包囲されていた。
異端・カタリ派を粛清するための十字軍と称しながら、実情は、トランカヴェル家の治める広大な領地の奪取を目的としたフランス北部の騎士たちとその従者の群れである。
事実、この十字軍への参加を諸公に呼びかけた法王インノケンティウス三世は、トランカヴェル家の領地は奪い取った者にそのまま与えると宣言していた。
清貧と献身の厳しい戒律を貫き通すカタリ派の教えがフランス南部に急速に拡がっていった理由の半ば以上が、ローマ法王庁の――ひいては、カトリック聖職者たちの堕落と腐敗にあったのだが、法王はその事実を省みることなく、ただただこの新興勢力を恐れ憎んでいた。
トランカヴェル家の当主レーモン・ロジェは、法王使節に対し数度の陳弁を試みたが、欲に目の眩んだ十字軍の騎士たちにそれが容れられるはずもなく、結局、彼自身はカタリ派教徒でないにも関わらず、領内の民を守るために法王との対決を決意したのである。
既に、彼の領地の一部であるベジエの町では、十字軍による大虐殺が行われ、老若男女の区別どころか、カタリ派教徒とカトリック教徒の区別すらなく、三万の領民が命を落としていた。
十字軍によるカルカソンヌ包囲が始まって半月。
十字軍に水路を断たれたところに、八月の厳しい日照りが続き、城壁内の二万の住民たちは死の危機に直面していた。
そのほとんどが、命を懸けても自らの信仰を守り通そうとするカタリ派信者たちである。
彼等は誰も信仰を捨ててまで、腐敗したローマに屈しようとは思っていない。
むしろ、魂の清浄を保つために悪魔の作った肉体を捨て去ることを喜んでさえいた。
だが、レーモン・ロジェは、彼等のその純粋と善良故に、領民の命を惜しんだ。
にも増して、彼は、彼のただ一人の弟の命をどうしても救いたかったのである。






【next】