「裏切者! 騎士道に コンタル城の最も奥にある小さな礼拝室が、三人の領主の目的の場所だった。 ユーグはその扉の陰から、天使が三人の領主たちを詰責する様を見たのである。 天使は、飾りけのない白い長衣を身に着けていた。 金と茶の混じった髪、瞳は緑。 陽の光にさらされたことがないのではないかと思うほどに白い肌と、その幼さ故の細い手脚――。 それが、あどけなさの残る面差しで、自分の倍以上の年齢を重ねた騎士たちを、峻烈な言葉で責めていたのである。 「兄上が亡くなった !? 確かに少しお疲れでしたけど、ほんの数日前まで、あんなにお元気で、誰よりも強く逞しい騎士だった兄上が、どうして十字軍の本営に向かった途端、病を得たりするんです! 毒をもったか、拷問を加えたか、どうせそんなところでしょう! 正々堂々と対峙したのであれば、あなた方が束になってかかっても兄上に敵うわけがありませんからね!」 何を言われても、ブルゴーニュ公等は天使の前に項垂れるばかりである。 「あなた方は愚かです。この戦は聖戦の名を借りた南部と北部の領地争いなんですよ。あなた方は一時凌ぎの保身のために十字軍の下に走ったのでしょうが、このカルカソンヌが落ちたら、彼等の次の目的はあなた方の領地になるのだということが、何故わからないのですかっ!」 壁に刻まれた十字架があるだけの小さな礼拝室に、天使の悲痛な叫びが響く。 カトリック教会のように仰々しいキリスト像も宗教画もない礼拝室を震わせた微かな残響が、天使の悲しみの深さを物語っているようだった。 怒りに身を震わせているのは、既に兄の死を覚悟していた天使が、泣くだけ泣いた後だからなのだろう。 だが、兄の友人たちへの憤りは、時を移さず天使の胸の内から消えてしまったらしい。 彼等の事情は、天使も知っているのだ。 項垂れたまま一言の弁解も試みようとしない三人の領主たちを見詰める天使の瞳に、涙が盛りあがってくる。 「……ごめんなさい。僕、どうかしてます……。皆さん、僕のために危険を冒してここまでいらしてくださったのに……。兄さまのこと、知らせてくださってありがとうございます。おかげで、僕、ためらうことなく神の御許に向かえます」 亡き友人の弟の視線を恐れているようだった三人が、その言葉を聞いた途端、剣に切りつけられでもしたかのように顔をあげる。 「シュン! わ……我々は、それを止めるためにここに来たのだ。ロジェを見殺しにしておいて、この上、君まで死なせてしまっては、我々はロジェに顔向けができん!」 ブルゴーニュ公の切羽詰まったような訴えに、天使は仄かに微笑を返した。 「その心配は無用です。兄さまは、僕が行くのをじりじりしながら待ってらっしゃるから」 「シュン。ロジェは無理でも、君ひとりくらいなら、我々三人で、法王やモンフォールの目から隠し通すこともできる。必ず守り通してみせるから、我々と一緒にここを出てくれ!」 必死の思いの騎士たちとは対照的に、シュンの眼差しは静かだった。 三人の騎士たちがここに闖入してこなければ、とうの昔に自害して果てていたのだろう。 シュンはゆっくり左右に首を振った。 「僕は、悪魔の作ったこの身体をやっと捨てることができるのですから、喜んでください。皆さんは早く本営に戻って。兄の死を無駄にしないでください」 幼い少年といえど、慰藉式を受けたカタリ派の完徳者なのだ。説得は無駄だと、三人の騎士には最初からわかっていたのだろう。 それでも彼等が危険を冒してここまでやってきたのは、彼等が裏切った友人の弟を思ってのことだったのだろうか。 むしろ、心優しいこの天使に、自分たちの裏切りの罪を許してもらうためだったのでないだろうか。 (あるいは、この天使を、最後にもう一目だけでも見ておきたいと思ったか、だな) 自分の命と領地を失うかもしれないという危険を冒すだけの価値はあるような気がした。 つい先程まで到底理解できなかったレーモン・ロジェの弟への執着も、今なら理解できなくもない。 まして、この天使の肉体と命とが、今日の日の終わらないうちに確実に失われるというのであれば、尚更その美しさが惜しまれる。 この美しい器を、カタリ派信者たちは“悪魔の作りしもの”と断ずるのだ。 ユーグは、これまで、彼等の考え方を少しは理解できているつもりでいた。欲にまみれ俗化したローマの生臭坊主たちより、清貧と献身を貫くカタリ派聖職者の方が余程尊敬できるとも思っていた。 だが、たった今、ユーグの中で、彼等は全く理解できない教義を掲げた愚か者たちになってしまったのだった。 これほど美しい器が失われてよいものだろうか。 この器が失われれば、この天使の聡明さも優しさも激しさも、甘い声と水晶のような涙までが、この世から消え去ってしまうのである。 裏切った友人の弟の許を辞し、何食わぬ顔をして十字軍本営に戻ろうとする三人の騎士たちを、ユーグは見逃してやった。 保身に汲々としている薄汚れた男たちに興味はない。 ユーグの目は、清廉の騎士として名高かったレーモン・ロジェを惑わし続けた異端の天使に釘付けになっていた。 ナルボンヌ門の方から、総攻撃の 十字架に向かって跪いた天使が、その手に短刀をきらめかせた。 |