十字軍の破竹の勢いは止まらなかった。 カルカソンヌ落城を知った南部フランスの領主たちはさすがに町の防御を固め、武器の準備、食料の備蓄等にも努め出したので、ベジエやカルカソンヌほど短期間で勝敗が決することはなかったが、それでも、十字軍は着実に異端に加担する南部諸都市を支配下に収めていった。 しかし、カタリ派教徒たちは、試練が激烈であればあるほど信仰を強固なものにし、狂信的ともいえる不屈の意思で、十字軍への抵抗を続けたのである。 ローマの堕落僧より、清貧を体現しているカタリ派教徒たちに心を寄せる市民は多く、シュンのもたらす的確な情報の効果もあって、領地の侵略は進むが、異端者たちの捕獲・処刑は皆無という状況がしばらく続いた。 シュンのカタリ派市民たちとの連絡方法は、十字軍の侵攻の目的地、日時等を暗号で記した羊皮紙の一片を、カルカソンヌ城塞への抜け道の上にある涸れ井戸に落としておくという、一方通行のものだった。 市民側からシュンに連絡をとることはなく、十字軍の侵攻状況については、シュンは専らユーグから情報を得ていた。 異端虐殺の犠牲者は格段に減ったとはいえ、住む場所を失ったカタリ派教徒たちは、カルカソンヌから40キロほど離れた場所にある自然の要塞モンセギュールに集結しつつあるという話をユーグから聞かされて、シュンは心痛を抱きながらも安堵を覚えていた。 町からの脱出を余儀なくされても、信頼できる仲間さえ傍らにいてくれれば、彼等は互いを支えに生きていこうとしてくれるはずだった。 彼等が死を選ぶのは、敵を傷付けることを避け、異端の烙印を押された上で処刑の炎に焼かれる不名誉を厭ってのことなのだから。 (きっときっと皆は生き抜くための努力をしてくれる。兄さまを失った時の僕のように、たやすく死に身を委ねたりしない) シュンはそう信じて、カタリ派教徒たちの支援を続けた。 自分のもたらす情報が、たった一人だけでも誰かの命を救うことにつながるのなら――そう思って。 だが、そのためにユーグを危険な立場に追い込んでいることだけが、シュンの胸に翳りを落としていた。 「表面的に、伯父殿は順調に支配下の町を増やしていっているから大丈夫だ。もともと伯父殿の目的は、土地とそこから上がる収穫で、異端の殺戮じゃない」 そう言ってユーグは笑うが、それまで出席するのも避けていた指揮官たちの会合に、突然真面目に顔を出し始めたユーグを、十字軍側の騎士や領主たちは奇異に思いはしないだろうか。 「でも、ユーグ。領地目当ての北フランスの騎士たちはそれで不満もないでしょうが、カタリ派殲滅が目的の法王は、それでは納得しないでしょう。昨日、伯父君の許に法王特使がやって来たと聞きました」 「適当に賄賂を贈ってローマにご帰還願うさ。神より金を信仰している下衆な野郎だ」 「けど、もし、ユーグが僕を匿っていることや、敵方に情報を洩らしていることが知れたら、いくら腐敗しきったローマの特使でも、法王に報告しないわけにはいかないでしょう。そんなことになったら、あなたは……」 シュンは恐ろしく心配性になっていた。 ユーグがもっと狡猾に立ちまわれる人間だったなら、とさえ思う。 嘘をつくことも、悪事を見て見ぬ振りをすることも、人を侮り軽蔑し蔑むことすら良心の呵責なしにやってのけるユーグは、だが、一方でひどく一本気で誠実だった。 それがシュンを不安にするのだ。 「俺を心配してくれているのか?」 ユーグは嬉しそうに微笑いながら、シュンを壁際に追い詰めて、その胸許に唇を押し当てた。 「だめ。こんな大事なこと、ごまかそうとしないで」 シュンはユーグの肩を押しやろうとしたが、その手に力は込められていなかった。 夏の夜は短いのだから、触れ合っていられる時を自ら削るつもりはない。 ユーグの肩に置いた手を、そのままするりと彼の首にまわすと、シュンは、夢中になって恋人の肌を味わっているユーグの髪に指を絡みつかせた。 「ね、僕と一緒にここを出ましょう。僕、耐えられません。あなたほど高名な騎士に裏切り行為を続けさせるなんて」 「ここを出て、俺に禁欲集団に入れと?」 喉を辿って上がってきたユーグの唇が、ついばむようにシュンの唇をからかう。 そんなことができるわけがないと、シュンの脚の間に忍び込んだユーグの手の熱さが答えていた。 「あ……ん……そんなことは……」 シュン自身、その資格はとうの昔に失っているのである。 だが、完徳者としてではなく一個の世俗の人間として、純粋に神の御許に近付きたいと願うカタリ派の信者たちを、シュンは助けてやりたかった。 「あ……ああ……!」 感じ始めたシュンを抱き上げて、ユーグは寝台まで彼を運んだ。 横たえられた寝台で、爪先をぴんと伸ばし、自分の脚をもう一方の脚に絡みつけるようにして、身体の中心の熱を閉じ込めようと切なげに身悶えるシュンに、しばらくユーグは見とれていた。 「ユ…グ……やっ……」 堅く目を閉じて、触れてもらえない時間の長さに喘ぐシュンの瞼の端に、小さな透明の雫を見付けて不安にかられ、ユーグはすぐにシュンに覆いかぶさっていった。 シュンの腕が待ち焦がれていたように素早く、ユーグの身体に絡みつく。 それからシュンは、やっと確かめることのできたユーグの体温に安心したように、細く長く吐息した。 そして、すがるようにユーグを抱きしめ、恋人のために身体を開きながら、微かに唇を震わせる。 「――神のいない国に行きたい……」 「シュン……?」 それは、夜の静寂の中でなかったら聞き逃していたかもしれないほど、小さな呟きだった。 「……そこに罪はないの。違う神のために争うことも、人を愛することで人が苦しむこともないの。ただ、愛している人を愛していると言えて、愛する人を愛して、愛されるだけ…。それは罪ではないの……」 「……」 苦しさに身悶えていたのは、シュンの身体ではなく心の方だったのかと、今更ながらにユーグは気付き、それから、微かに眉根を寄せた。 そうではない。 おそらく、その二つは、一つのものなのだ。 「シュン……」 それは罪だと、シュンはずっと信じてきたのである。 兄の命を失ってさえ信じ続けてきた罪を、そう簡単に振り払えるはずがない。 ユーグは、神の姿に怯えているシュンの頬をゆっくりと 「俺たちが今いるここが、神のいない国だ」 ユーグの掌の感触に促されるように、シュンが目を閉じる。 「――二人だけの国ですね……」 そうしてシュンは、ユーグを受け入れるために、身体と魂を神の呪縛から解き放った。 |