ヘリオスは、シュンの案内でシュンが預かっているという果樹園に向かった。
そこでは、ゼウスの息子と名乗る青年とその取り巻きらしい数人の若者たちが、律義にシュンを待ち伏せてくれていた。
そこにまた、シュンと共にいる神はいったい何者なのかと興味津々で集まってきた村人たちが加わり、シュンの果樹園の周りに ちょっとした人だかりができる。
それらの人々をゆっくりと一渡り見まわしてから、ヘリオスは、重々しい声でアルカスに告げたのだった。
シュンに対する時のそれとは全く違う、大神ゼウスと同格の太陽神としての威厳をたたえた声で。

「紛う方かたなき人間の若者よ。永遠の命も、神に並ぶ力も持たぬ無力な若者よ。そなたの無謀な要求を、私はムネモシュネーから聞いた。いったいどのような意図があって、太陽神の恋人を悩ますようなことをするのか、そなた、この場でとくと釈明してみよ」
ヘリオスの詰問に呼応するかのように、それまで陽光に溢れていた村全体が、雲もないのに薄暗くなっていく。
集まっていた村人たちやアルカス等は、一様に驚き、怖れ、顔色を蒼白にして、怒りに燃える太陽神を見詰めるばかりだった。
が、いちばん驚いたのは、他の誰よりも、ヘリオスをその場に伴ってきたシュン自身だったのである。
怖れがない分、その驚きは大きかった。

(た……太陽神の恋人──って、ヘリオス様、そんな出まかせ……)
そこまで凝った嘘をつかなくても、アルカスたちはすぐに無法をやめるに決まっている。
目に見えない脅威ではなく、現実に神の力を目の当たりにして、神に逆らうことのできる意地をアルカスが持っているとは、シュンには思えなかった。
事実、アルカスとその取り巻きたちは、物も言えないほど驚いて、ただ呆然と太陽神とその恋人を見詰めるばかりだったのである。
「シュンは太陽神の愛を受け入れる大切な身だ。よこしまな欲望を抱いてシュンを見ることはもちろん、その心の安寧を乱す者の存在を、私は決して許さぬ」

なおも言い募るヘリオスに、シュンは背筋を冷や汗が伝うのを感じていた。
アルカスだけならまだしも、村人たちのシュンを見る目がはっきりと変化してしまっている。
その村人たちの中に父や兄たちの姿があるのに気付き、いたたまれない気持ちになったシュンは、ヘリオスの神衣の肩布をぎゅっと掴み、彼の悪ふざけをやめさせようとした。
「ヘリオス様、や……やめてください。僕、あの樫の木の枝を切ってもらえれば、もうそれだけで……」
泣きそうな顔をして訴えるシュンをちらりと見やり、ヘリオスは左右に首を振った。
「私はあんな木のことはどうでもいいんだよ、シュン。私が心配なのはシュン自身のことだけだ」
「ヘリオス様……」

どこぞの馬鹿息子に言われたのだとしても胸が高鳴ってしまいそうなそんな言葉を、若くたくましく美しい高貴な神に告げられて、シュンの心が震えないはずがない。
「で……も、ヘリオス様、それならきっと、もう大丈夫ですから……」
上気した頬をヘリオスに見られないよう顔を伏せ、シュンは消え入りそうな声で呟くように言った。
その様子に微笑むと、ヘリオスはその腕でシュンの肩を抱き寄せ、再びアルカスたちの上に視線を落とした。

「シュンの優しさに免じて、そなたたちに罰を与えるのはやめることにしよう。だが、自分がゼウスの子だなどという虚言を吐くのは、もうやめるがよい。ゼウスの両親は我が両親の弟妹、私はゼウスのことは良く知っている。そなたはゼウスの子などではないし、もしそなたの母がそう言っているのなら、それはそなたの母が偽りを言っているのだ。あまり偽りを流布し続けると、私のみならずゼウスの怒りをも買うことになるかもしれぬぞ」

念を押すようにそう言うと、ヘリオスはもうそれ以上アルカスたちのことなど目に入っていないかのように──否、シュンのことしか目に入っていないかのような様子で、シュンに向き直った。
「──このまま別れてしまうのは名残り惜しいから、もう一度浜辺に行かないか? 私の神殿はあの海の向うにあるのだし」
「あ、はい! 僕、お見送りします!」
あっけにとられている村人たちをその場に残し、シュンとヘリオスは二人揃って海岸への道を辿り始めた。
村のはずれまで来てから、シュンが思いきって口を開く。

「あの……ヘリオス様。助けていただいたのはとっても感謝していますけど、あんな出まかせ言って、ヘリオス様の威信に傷がついたりしませんか? なんだか村のみんな、ヘリオス様の冗談を真に受けちゃったみたい……」
「それはもちろん、太陽神の愛を受けるのにふさわしいだけの美しさを君が持っていることに、彼等も疑いを抱きようがなかったからだろう」
「からかわないでください。僕はただのみすぼらしい人間の子供です。あんな嘘、きっとすぐにばれちゃう。それで みんながヘリオス様を侮るようなことになったら、僕、どうすればいいのか……」
俯いたシュンの素足に、エウクセイノス海の浜の砂がまとわりついてくる。
シュンとヘリオスが初めて出会った海岸に出ると、太陽神は足を止め、シュンを見おろした。
そして、言った。

「真実にしてしまえばいい。いや、もう真実だ」
「え?」
驚いて顔をあげたシュンの頬を、ヘリオスの温かい手が包む。
身動きもできずにいるシュンに、ヘリオスは唇を重ねた。
「神々にすべてを与えられたパンドーラより、愛の神に愛されたプシュケーより美しいシュン。エウクセイノスの海より生気に輝き、瑞々しい若さにあふれているシュン。君は、世界に存在することに飽き始めていた私の心を揺り動かし、目覚めさせてくれた。太陽神ヘリオスは、もう君のしもべでしかない」
「……」
シュンを見詰めるヘリオスの眼差しは、海の底より深い感情を漂わせ、到底冗談を言っているようには見えなかった。
シュンはヘリオスの腕の中で身動きもならず、気を失いそうになりながら、それでもなんとか震え掠れる声でヘリオスに訴えた。

「そ……んなの、信じられない……。だって、僕とヘリオス様はたった二回しか会ったことがなくて──だって、僕は──僕は、母さんが死んだ時も慰めてもらって、今日も助けてもらって、だから、僕がヘリオス様を好きになるのは不思議でも何でもないけど、僕は、だって……」
「だって ばかりだね、シュン」
「だって、僕はただの人間で、だから、いつか死んでしまうのに……」
それは神と人間の間を隔てる、決定的な避け難い運命である。
しかし、ヘリオスは、更に強くシュンを抱きしめ、はっきりと言いきった。
「だから? 私がシュンを恋するのに、そんなことが障害になるとは思えない」
「ヘリオス様……」

本当に、シュンは気が遠くなりかけていた。
なぜかひどく遠くに聞こえる潮騒の音、ヘリオスの吐息の熱さ、腕の力強さ、沈みかけた夕陽に染まり始めたエウクセイノスの海──シュンは堅く目を閉じ、ヘリオスの胸にしがみついていった。
ヘリオスの唇がシュンの額に触れ、それが再び唇に重ねられる。
髪をまさぐっていたヘリオスの指と手が、シュンの背を辿り、腰に、脚に降りていき、シュンの身体はやがて、へリオスに唇をふさがれたまま、砂の上に横たえられた。
優しい口付けと静かな愛撫を繰り返され、シュンが徐々に 戸惑いと ためらいを脱ぎ捨てていく。
抑えようもなく自分の唇から洩れる喘ぎを、シュンは自分のものと思うことができなかった。
そんな声を、自分の唇が発しているということが、シュンには信じられなかった。

愛を促すヘリオスの指先の巧みさに耐えきれず、やがてシュンは、ヘリオスの前に、自分から身体を開いていった。
その時を待ちかねていたように、ヘリオスが、それまで彼自身の内に隠していた激しさを、初めて表面に現わしてくる。
シュンは、そして、ヘリオスの情熱に翻弄されながら、まるで身体に熱く深く刻み込まれるように、官能の意味を知らされることになったのである。
生まれて初めての、そして、初めての経験としては激しすぎる愛の中で、シュンは歓びの声をあげることしかできなかった。

今、自分を内側と外側から包み込んでいるその人は、光輝をまとった偉大な神──優しく、たくましく、寛大な神だとシュンは信じていたから。
優しさや寛大さより、紅蓮に燃える太陽の激しさこそが太陽神ヘリオスの本質なのだということを見極めるには、シュンは まだ幼すぎる恋人だったから。






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