「まったく、なてみっともない告白だ……! 瞬が呆れているじゃないか!」 十数人の予備軍たちの言い争いがそれ以上聞いていられない状態になってしまったのを見計らって、やっと氷河が事態の収拾に乗り出してくる。 氷河の登場に、瞬は我知らず安堵の息を洩らしてしまった。 「氷河! これは いったいどういうこと !? この子たち、夕べは一言も日本語なんて喋らなかったのに……!」 「この子等は皆、最低フランス語、英語、ロシア語、ドイツ語、日本語の5ヶ国語は聞き取れるし、話せる。そういう教育を受けているんだ。読み書きとなると今一つだが、なにしろ我が一族は成り立ちがインターナショナルで、同国人同士の結婚の方が少ないくらいだからな。昨夜は瞬の人となりを見極めるために、わざと皆、叔父たちも子供たちも日本語がわからない振りをしていたんだ」 「な……それって、みんなで日本語がわからない振りして、僕がボロを出すのを待ってたったこと…… !? 」 「まあ、そういうことだ」 済まなそうに氷河が言うのを、瞬は憤懣やる方ない思いで聞いていた。 そういうやり方が許せないのではないし、人の本性を見極めるのに、それは実に合理的で確実な手段だとも思う。 だが、それに引っかかって思いきり本音を吐いてしまった自分は、はっきり言って ただの馬鹿ではないか。 『僕も金髪で青い目だったら、氷河の言うこと信じられるのかな』だの、『氷河の前では素直になれなくて』だのという思いは、絶対に氷河には知られてはならないことだった。 『氷河みたいに軽いフランス男など、まともに相手にしていられない』のポーズを、瞬は氷河の前で崩したくなかったのである。 「大叔父たちの目には、パーティ会場での瞬は 生気のない退屈そうな子に見えたらしいが、子供たちの話を聞いて、皆 瞬を再評価してくれて、そして、俺の気持ちも理解してくれた。留学期間の延長も認めてもらえたんだ」 (うわ……) 瞬は 思わず息を詰まらせて、このまま死んでしまいたいような気分になってしまったのである。 いったい この世に、自分の甥が よりにもよって男に入れあげているのを寛大にも認めてしまう叔父様・叔母様が存在していいものだろうか。 瞬は、ゴシック調の椅子に貫禄ありげに腰掛けている七人の紳士 並びに淑女たちの分別顔に まじまじと見入ってしまったのである。 彼等の中でも 特に偉そうに構えているご老体が、カイゼル鬚を指で撫であげながら、瞬に向かって重々しい様子で語りかけてきた。 「昨夜 我々が目にした限りでは、君は外見が可愛らしいだけの消極的な子に思えたのだがね。子供たちの話を聞いてみると、どうやら君に魅力がないのではなく、氷河の愛し方に問題があるようだったので──。まあ、早急に結論を出すのは控えた方がいいだろうと、我々は考え直したのだ」 (考え直さなくていいってばーっ !! ) 瞬は、我知らず涙がこみ上げてきてしまったのである。 幾許かの寂しさを覚えないわけではないが、これでやっと氷河の狂気のような求愛攻勢から解放されると安堵しかけていたところに、この展開は あまりといえばあまりだった。 「なにしろ、ここで氷河と君の仲を引き裂いてしまうと、一族内で内紛が起きてしまいそうなのでね。子供たちが皆、東洋の神秘に魅了されて 反目し始めている。血の成せるわざなのかな。君は、我が一族の好みのタイプらしい」 (好まなくていいってばーっ !! ) 瞬が一言も言葉を発せずにいる様を、氷河の寛大な叔父君は、繊細な心の持ち主であるところの瞬が氷河との愛を皆に認めてもらえたことに感激して声を失っているのだと、誤解したらしい。 ドアの脇にいたメイドに子供たちを別室に下げるよう命じると、彼は尊大な顔に鷹揚な笑顔を載せ、彼の甥に向かって 顎をしゃくった。 「あの子たちの瞬くんへの愛が本物なら、そのうち何人かが日本に留学することになるかもしれないが、それまでは とりあえず おまえに優先権があるということになる。日々の精進を怠るなよ、氷河。愛する人に不安や自己卑下の感情を抱かせるような愛し方しかできない者は、我が一族の名折れだ」 「肝に銘じます、叔父さん。留学期間延長の ご許可、どうもありがとうございました」 「愛の衝動と激情に勝る力は、この世に存在しないからな。へたに反対すれば、おまえは一族の名を捨てかねん。それでは、我々は、おまえの父母に会わせる顔がなくなる」 「叔父さんたちに、愛し合う二人を引き裂くような不粋な真似はできないと信じていました。不安の感情などではなく、愛の喜びをこそ瞬に与えることができる男になるべく、俺はより一層の努力を続けていきます」 決意を新たにした氷河に、これまで以上に熱っぽい眼差しで見詰められ、瞬は目の前が真っ暗になったような錯覚に襲われた。 瞬が、あまり気の進まない このフランス旅行への同行を決意したのは、心のどこかに、氷河の親族が自分と氷河の仲を引き裂いてくれるかもしれないという希望があったからだった。 瞬自身が氷河を拒絶しなくても、他の誰かが 氷河の熱を冷ましてくれるのではないかという期待があったからだった。 そして、どうしても──どれだけ迷惑をかけられても──なぜか嫌いになってしまえない氷河を、誰かの手で自分から引き離してほしいという願いがあったからだった。 だが。 自分は悪役になりたくないという、瞬の卑劣な希望と思惑は、思いきり裏目に出てしまったらしい。 瞬は、わざわざフランスにまでやってきて、氷河の監督権を持つ親族の応援と、10人を超える おフランス男予備軍・おフランス女予備軍という、更なる重荷を しょい込むことになってしまったのである。 最近では、兄一輝までが、喧嘩をしながら氷河への信頼感を深めているらしく、あまり頼りにならない。 学校の生徒や教師たちは 完全に氷河の味方だった。 瞬自身の心すら、公序良俗を重んじたいという自らの意思に逆らって 氷河に傾きかけている。 瞬はもう、何をどうすればいいのか、自分はどう生きるべきなのか、何も わからなくなってしまったのである。 (僕は、良識ある日本人なんだから! フランス男と恋仲になるような常識外れなんか、絶対にしたくないんだから……!) 瞬は、唇を噛みしめて、ともすれば 瞳からあふれて頬に零れ落ちそうになる涙を懸命に耐えることになった。 瞬のその健気な(?)様子に感動したように、氷河が瞬の肩をそっと抱き寄せる。 「瞬がそんなに自分を卑下していたなんて、俺はずっと気付かずにいたんだ。当然だろう? こんなに優しくて、可愛らしくて、魅力的で、誰からも好かれる瞬が、自分に自信を持っていないなんてことが、誰に信じられるというんだ?」 「だ……だって、僕はね……! ちょ……ちょっと、氷河、その手、離してってば……!」 所詮、単純明快ストレートな大陸の人間に、日本人の繊細にして複雑な心の構造など理解してもらえるはずがない。 フランス男の大胆極まりないアプローチを受けることを恥ずかしく思う心と、男同士でつるんでたまるかという意地と、決して悪人ではない氷河を傷付けたくないと願う心と、日本人の心の奥底に根付く欧米人へのコンプレックスと、氷河の情熱にほだされてしまいそうな自分を怖れる気持ち――瞬の小さな胸は千々に乱れまくっているというのに、瞬の心を乱している当の本人は、薬でラリっているとしか思えないほど脳天気なのである。 「ああ、俺の可愛い大事な瞬……! 瞬がどうしても自分に自信を持てないと言うのなら、せめて俺の言葉を信じてくれ! 俺は瞬を 誰よりも、自分の命よりも愛している。瞬は世界中の誰よりも魅力的だ。俺の心のすべては瞬のものだし、心以外のすべてもまた、瞬のものだ。瞬にはそれだけの価値があり、瞬は俺のすべてを所有する権利を有している。瞬は俺にとって、いわば至高の存在であり、全知全能の神ですら 瞬ほどには俺の心を動かすことはできない。瞬は俺の生命の源であり、生きる喜び、生きる希望、世界が終末を迎えようとも輝き続ける最高の愛の化身なんだ……!」 「……」 この迫力と神をも畏れぬ絶対の自信を前にして、良識的で控えめな日本人に何が言えるだろう。 もう観念するしかなさそうだった。 すべての希望は失われてしまったのである。 誰も、この恋を妨害してはくれない。 誰も、この恋に障害を与えてはくれないのだ。 「……ジュテームだけでいいよ、氷河」 己れの人生を見限って、瞬は力なく瞼を伏せた。 Fin.
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