「瞬…?」

ベッドに横にされ氷河のキスや愛撫を受け始めたら、いつもは3分と経たないうちに堅く目を閉じてしまい、氷河に何か言われない限りは決して瞼を開けない瞬が、今日に限っていつまでも、しっかりくっきりその瞳を見開いている。
氷河の手がみょーな場所に触れるたび、肩をすくめ眉根を寄せ、微かに身悶えもし、切なげな声も漏らすのだが、しかし、その目だけは決して閉じようとしない。

瞬の視線はひたすら氷河の顔の上部を追っている。
いつもと様子の違う瞬に、氷河は眉をひそめた。

「瞬。どーしたんだ、いったい」

身体はいつも通りの反応を示しているのだから問題はないではないかと言いたいところだが、氷河の場合、この行為をより一層楽しく感じさせてくれるのは、瞬の表情の変化だった。
まだ緑色の勝った小さなチューリップの蕾が、氷河のキスを受けて薄桃色に染まり、氷河の愛撫を受け入れることであでやかに咲き乱れていく――氷河は、瞬のそういう変化を楽しむ観察者でもあったのだ。


その楽しみを、今日に限って瞬は一向に氷河に与えてくれない。

愛撫に濃厚さが足りないのかと訝り始めた氷河に、瞬は、呟くように言った。

「……僕、氷河の涙をもっと見たいの」
「へ…?」

「氷河、そんな変なトコ触ってないで、もっと上にきて、もっと顔見せて?」

「…………」

ここで瞬に逆らって瞬の機嫌を損ねるわけにもいかない立場の氷河が、不承不承瞬の言葉に従う。

氷河の頬に両の手を添えて、瞬は嬉しそうに微笑んだ。


「氷河の涙って、ほんとに綺麗。こんな綺麗なものに、どーして僕、今まで気付かずにいたんだろ」
「瞬、そんなもの、どーだって……」

(身体が)切迫しきった氷河の訴えは、しかし、瞬の耳には全く聞こえていない。

「あ、この態勢じゃ、氷河疲れるでしょ。横になっていいよ」

瞬は、もちろん思い遣りの気持ちから、自分を組み敷いている男の肩を押しやって、その身体をベッドに横にした。
そして、瞬自身はその脇に両肘をついて、うっとりと氷河の青い瞳を見詰め始めたのである。

「綺麗なものって、いくら見てても飽きないね……」

どうやら、つい先程までの氷河の愛撫は、全く効を奏していなかったらしい。
今、瞬を陶然とさせているのは、氷河の唇でも指でもなく、彼のその二つの瞳の中にあるものだった。


「瞬、そんなに俺の涙がみたいなら、明日の朝、もっと明るいところで……」
「氷河、瞬きしちゃ駄目!」
「なに!?」
「瞬きしたら、氷河の涙が見えなくなっちゃうじゃない。僕、氷河の涙、ずっと見てたいんだから!」

なんという無体な要求であろうか。
一応、とりあえず、それでも仮にも人間であるモノに向かって、『瞬きをするな』とは。

「しゅ……瞬。涙なんて、眼球を外界の異物から守ったり、角膜に酸素を送るためにある、ただの液体にすぎないんだ。そんなもの眺めてたって、何の意味もないだろーが…!」

氷河のそれは完全に心的要因を無視した言い草だった。
それを言うなら、××を○○して○□×することは、生体恒常性の維持にすら不必要な、いわば単なる生理反応である。
それは、人体の生存において、“泣く”という行為の1OOOO分の1も重要な営みではない。

しかし、瞬の要求は過酷だった。
「やだ! 瞬きしないでってば! せっかくの氷河の涙が見えなくなるじゃない!」

瞬きをするからこそ、涙は眼球を潤す。
だが、瞬は、そんなことには思い至りもしないらしい。
実際のところ、瞬きを禁じられた氷河の涙の量は激減しているはずなのだが、瞬の見ているものは氷河の瞳の奥にある幻の涙なのだから、それも当然のことだったろう。

「…………」

氷河は、瞬の頼みはきいてやりたかった。
というより、瞬の頼みを拒絶して、逆に瞬に拒絶されるような事態をどうしても避けたい状況に、彼の身体は追い込まれていた。

しかし、だからといって――だからといって、瞬きをするなという瞬の命令は、とりあえず人間である氷河にとって、死んだ方がましと思えるほどに辛い拷問である。
オーロラエクスキューションだのアテナエクスクラメーションだのという聖闘士の技は言うに及ばず、○□×お預けすら生ぬるいと思えるほどに過酷・苛烈・残酷な。


「瞬…そろそろいいだろう。涙なんてそんなもの……」
「やだ、氷河、瞬きしないでってば!」

「…………」

……今、瞬の機嫌を損ねることはできない。
氷河には、それはできなかった。


故に。


氷河は耐えた。
耐えに耐えた。
常人ならばとうの昔に死んでいるだろうところまで耐え抜いた。


そうして。


過激な拷問に耐えきれなくなった氷河がついに瞬きをしてしまったその時。

「わー、きれーい♪」


それは、氷河の瞳から、耐えきれずに零れ落ちたのである。

人体の恒常性維持などからは遠く離れた場所で、心的要因のみだけで生きている瞬にとって、氷河の涙は、世界に二つとない貴い宝石以外の何物でもなかった。

「ほんとにほんとに綺麗。薄水色の水晶みたい」

生まれて初めて間近に見る世界の至宝に心を奪われ、瞬の眼差しはまさに夢見心地。
幸せそうな瞬の微笑はまさに輝くばかりに美しく、その慈しむように優しい微笑に、氷河は何を言うこともできなかった。






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