「……で? 誰がどれを穿くんだ?」 一輝が、心底嫌そーな顔をして、弟と弟の男の恋人に尋ねる。 兄の声で、なんとか我に返った瞬は、頬を真っ赤に染めて宣言した。 「ぼ……僕、黒ビキニなんて、絶対嫌です! そんな……そんなの穿いたら、アレ…ううん、身体の線がはっきりわかっちゃうじゃないですか。そんなあられもないもの、羞恥心のある人なら誰も穿きませんよ!」 で、次、氷河の意見。 「今時、ストライプのワンピースはないだろう。完全に囚人服で、完璧にギャグだ。こんなもの着て喜ぶのは、チャップリンか高木ブーくらいのもんだぞ」 一巡して、一輝の見解である。 「ももパンなんぞ、日本男児の穿くものじゃないな。おまけに何だ、このチューリップの刺繍は。生後一ヶ月の赤ん坊でも、男ならこんなものは穿くべきじゃない」 「…………」 「…………」 「…………」 ひとしきり言いたいことを言って顔を強張らせ、再び黙り込んでしまった一輝たちに、星矢がいかにも他人事な調子で進言する。 「でも、とにかく海パンはこれしかないんだからさー。デザインはともかく、サイズで選べばいーじゃん」 「いや、なんでも、この水着はグラード財団の化学工業部門とスポーツ・レクリエーション部門が共同開発した水着で、伸縮性に富み、水の抵抗を限りなくゼロに近付け、サイズは最初に着た者の体型に合わせて形状記憶される超スグレモノだと、沙織さんが言っていたぞ」 「なーんだ。んじゃ、誰がどれ着ても問題ないんじゃん。テキトーに好きなの穿いちまえよ」 それは大らかB型人間の考え方である。 あいにく、瞬と氷河の血液型はA型、一輝はAB型だった。 ももパン・黒ビキニ・しましまワンピース――の衝撃から、最も早く立ち直ったのは、AB型の一輝だった。 彼は、彼の最愛の弟を彼だけのものでなくした男に、憎々しげに言ったのである。 「氷河、貴様、ももパンを穿いてみたらどーだ。質実剛健な日本男児には穿けなくても、貴様のようなバタくさい毛唐には似合いかもしれん」 「何を言うか。一輝、貴様こそ、その黒ビキニを穿いてみろ。貴様に羞恥心などという高等な感覚の持ち合わせがないことは、そろそろ瞬に知らせておいた方がいい。こういうことは後になればなるほど、知らされる側のショックも大きいものだからな」 「…………」 「…………」 「貴様とは一度じっくり話し合わねばならんと思っていたんだ」 「偶然だな、俺も同じことを考えていた」 夏の湘南江ノ島海岸海水浴場に、突如暗雲が湧き起こる。 兄と氷河の険悪な様子を目の当たりにして、瞬の頬からはさあっと血の気が失せていった。 「兄さん、氷河、馬鹿なことは……」 ぎこちない笑みを作って、瞬は二人の争いをやめさせようとした。 が、一輝と氷河の間にある憎悪という感情は、瞬の言葉をもってしても消し去ることができないほど強烈にして強固だった。 「ほっとけ、ほっとけ。あんな奴等。話し合いでも何でも勝手にさせときゃいいんだ」 「そんなこと言ってられないでしょ!」 この二人が“話し合い”など始めたら、この海水浴場がどんなことになるのか、瞬は考えるだに恐ろしかった。 で、引きとめる星矢をその場に残し、瞬は慌てて兄と氷河の後を追いかけた。 が、時既に遅し。 二人の“話し合い”は湘南江ノ島海水浴場の中央で、既に始まっていたのである。 二人の小宇宙は、最初から全開状態だった。 海岸の一部地域は、猫が降り犬が降り――つまりは凄まじいどしゃぶりに見舞われている。 一輝の小宇宙によって暖められ上昇した空気が、氷河の小宇宙によって冷やされ、江ノ島海岸一帯に集中豪雨をもたらしたのである。 芋洗いにいそしんでいた海水浴客たちは、我先にと、海岸から逃げ出し始めていた。 一方で大豪雨をもたらした一輝と氷河の“話し合い”は、また一方では別の現象を引き起こしていた。 氷河の小宇宙によって急激に冷やされた大気中の水蒸気や二酸化炭素が凝縮されて、巨大な氷塊とドライアイスを作る。それが、一輝の小宇宙が沸騰させた海水に、次から次へと飛び込んで蒸発し激しい熱風となり、その熱量の凄まじいエネルギーが竜巻を発生させ始めたのである。 激しい空気摩擦。 飛び散る火花。 その強大なエネルギーは電気を発生させ、江ノ島海岸上空には、時ならぬ否妻が響き渡っていた。 だが、一輝と氷河は、まだ何もしていないのである。 二人はただ、小宇宙を燃やしているだけだった。 すなわち、これはプロローグ、いわば準備運動である。 本番はこれからなのだ。 なのだが。 既に、海岸からは、すべての海水浴客が避難していた。 砂浜にあった無数のビーチパラソルが、はるか遠い海上上空で蝶のように舞っている。 海岸にずらり並んでいた海の家など、そのちゃちい造りが災いしてオズの国まで吹き飛ばされ、名残りのイカ焼き、焼きソバ、焼きトウモロコシが 一輝と氷河の作った竜巻の中で狂ったように踊っていた。 |