(本当に男か、これが)


グラード財団のゲノム・ラボラトリーの若き所長は、間近で見れば確かに女には見えないが、それ以上に男にも見えない容貌の持ち主だった。
その印象も写真で見るよりはるかに幼く、まるで子供のように曇りのない瞳をしている。

米国の科学雑誌の記者として瞬に申し込んだ取材申請は即座に許可され、氷河は気が抜けるほどあっさりと、瞬に接する機会を得ることができた。
何と言っても平和ぼけの日本の企業、産業スパイの存在など別世界のものと信じ込んでいる感がある。
さすがに研究所内への立ち入りは許可されなかったが、氷河はむしろそのことに安堵すら覚えてしまったのだった。



「すみません、僕、こういうとこ来たことなくて」

とりあえず無難な場所でと考えて、氷河が瞬を連れ出したのは、都内で昼間から営業している某カクテルラウンジだった。
生まれて初めて都会にやってきた田舎のネズミのごとく、ラウンジの中をきょろきょろ見回す瞬の様子は、到底グラード財団の最重要機密を握っている天才科学者とも思えない。

「いつもはどんな所に行くんだ?」
「取材でですか? 大抵は、ホテルのラウンジとかレストランとか、そういうとこが多かったです。僕、つい先日20歳になったばかりなので、お酒飲むようなとこはちょっと……。プライベートな外出はあんまりしないんです。研究所内で何でも用は足りてしまうので……」

「酒は飲んだことがないのか?」
「あ、はい、あの……主治医にそういうものはあまり飲んじゃいけない…って言われているんです。僕、アルコール分解力が人並み以下らしくって」
「…………」

恥ずかしそうにそう告げる瞬を見て、氷河は溜め息を禁じ得なかった。
こんな子供を騙して機密を聞き出すのは、はっきり言ってどうにも気乗りがしない。
瞬は、冷酷非情の産業スパイの世界に似合わないこと甚だしいキャラクターだった。

「なら、うんと軽いカクテルにしておくか」

そう言って、氷河は、瞬のためにフローズンリレをオーダーした。
アルコール度数8度以下の甘口のフローズンスタイル、まさにお子様のためのカクテルである。

瞬は、目の前に置かれたカクテルグラスにためらっているようだった。
カウンターの隣りに座っている氷河をちらりと見やり、それから、再度グラスの上に視線を戻す。

「……ありがとうございます。綺麗なお酒ですね」

瞬は、出された酒を断るのは失礼なことだと思ったらしい。意を決した面持ちで、カクテルグラスを両手で持つという曲芸をやりとげ、彼は薄い赤色をした液体をこくりと一口だけ飲んだ。

「あ…甘いのに苦いんですね……」

グラスをカウンターに戻すと、瞬はそう言った。
言い終わると同時に、瞬の頬がぽっと上気する。
そして、次の瞬間、あろうことかなかろうことか、瞬はそのままふらりと氷河の腕の中に倒れ込んできたのである。

(う…嘘だろーっっ!? アルコール8度以下だぞっっ!!)


自分の腕の中にすっぽり収まっている瞬を見下ろし、氷河は激しい目眩いを覚えていた。

これが擦れた女ならこれ幸いとばかりホテルの部屋に運び込むところである。もとい、女でなくてもそうしてしまいたいという気持ちが、氷河にはないでもなかった。
が、はっきり言ってこれは正真正銘の“お子様”である。
ホテルの一室で事に及んだとしても、最初から最後まで泣かれるだけで終わってしまいそうな――。


少々迷いはしたのだが、氷河は結局この場は瞬を研究所に戻すことにした。
子供の扱いに慣れていない氷河には、それ以外の適切な処置が思いつかなかったのである。

車に運ぶために抱き上げられた瞬は、氷河の腕の中で頬を薄く染め、実に平和そうに軽い寝息をたてていた。





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