「瞬……」

ここにやってくるのは氷河しかいないだろうと、瞬は思っていた。
彼が、自分を捜しあぐんだ末に、ここにやってくるのだろうこともわかっていた。

確かめるまでもないことを確かめるために、瞬は顔をあげた。
そしてまたすぐに伏せる。

「どうしてこんなところにいるんだ? こっちの庭には、おまえの目を楽しませる花の一輪もないのに」
「…………」

城戸邸の裏庭から臨めるのは、建物から少し離れたところにある小さな林だけだった。その林に至るまでの空間には、手入れの行き届いた芝生が広がっているだけである。

その芝生に視線を投げ、瞬は、氷河を見ずに言った。

「僕はね、ずっと草原に憧れてたんだ。僕のいたアンドロメダ島は岩と砂しかない島で、日本でならどんな都会ででも目にすることのできる緑というものがなかった。草も……木の一本もなかった。あの島にいた時、僕は海を草原に見立てて――憧れてたんだ。どこまでも続く草原…ってものに。だからね、僕の草原は緑色じゃないんだよ。青いんだ。氷河、君の瞳みたいに」

憧れていたどこまでも続く草原は帰国した国にもなかったが、代わりに瞬はそこで氷河の瞳を見付けた。
青い――海の色をした草原を。

「だから……」

「だから?」

「…………」

憧れていたものに出会って、瞬が何を感じたのか。
瞬は、氷河の問いかけに無言の返事を返した。
答えが返ってこないことは氷河にもすぐにわかったらしい。彼は瞬の返事を待つようなことはしなかったし、また、重ねて問うようなこともしなかった。
視線を、テーブルの上に置かれた詩集に転じる。
さして興味があるふうにではなく、彼は薄青色の栞がはさまれているページを開いた。

それは、夭折によって不意にその才能を氷結させたある詩人の、忘れ形見のように儚く薄い本だった。



それを 私は おもひうかべる
暑いまでに あたたかかつた 六月の叢に 私たちの
はじめての会話が 用意されてゐたことと
白銀色に光つた 青空の下のことを

そして
物音も絶えた しかし
にぎやかだつた あのひとときに
あのひとことが 不意に 私の唇にのぼつたことを

おまへは拒まなかつた……
私は いま おまへを抱きながら
閉ぢられたおまへのうすい瞼に
あの日を読むやうにおもひうかべる

それはあやまちではなかつたらうか
いまもなほ 悔ゐではなかつたらうか
だが しかし ゆるやかに 私たちの眼ざしの底から
熱い夢のやうな しあはせが 舞ひのぼる 陽炎のやうに






【next】