世の中というものは、実に訳がわからない。 氷河のその斬新な解釈は批評家にも非常に好意的に受け入れられ、『シェイクスピア新時代』とまで賞賛されることになった。 某オカマさんな映画評論家などは特に大絶賛の嵐で、ボックス席を一ヶ月分も買い占め、それがまた話題を呼んで客寄せになる。 大衆は大喜び、やおい少女には当然のことながら超熱狂的に受け入れられた。 公演は大成功、蔦葛歌劇団の公演開始から一週間後に書店に並んだ雑誌の表紙のほとんどは氷河と瞬で飾られ、更に一ヶ月が過ぎると『蔦葛グラフ』なる専門誌が緊急発刊された。写真集からブロマイド・ポストカード、各種キャラクター商品からRPG『ロミオとジュリエット〜君はジュリエットを何回押し倒せるか〜』まで、日本はとんでもない蔦葛旋風に巻き込まれることになったのである。 日本で流行っているものは、即座にアジア各国に波及する。 その波が全世界に広まるまでに大した時間はかからなかった。 これに気を良くした沙織は、第二作から、脚本を舞台稽古の際の氷河の思いつきに委ねることを決定した。 ロングランを続ける『ロミオとジュリエット』と平行して幕を開けた『ハムレット』は、氷河の「この男は本当に馬鹿だ」でまたまた新解釈。 『リア王』も『オセロー』も『リチャード三世』も『タイタス・アンドロニカス』も『ジュリアス・シーザー』も『アントニーとクレオパトラ』も『コリオレイナス』も『アテネのタイモン』も、シェイクスピアのありとあらゆる悲劇が氷河の手にかかると全てがとんでもない大団円(?)を迎えるのである。 それは、時代が求めるものと完全にマッチしていた。 我慢を美徳と教育されて鬱屈している団塊の世代、享楽的ではあるが自分から問題解決に積極的に取り組もうとはしない団塊の世代の子供の世代、更には、甘やかされて我慢を知らずに育ってきた孫の世代、鬱病気質の人間から躁病気質の人間まで、そしてもちろん美形なら何でも許すミーハーからやおい大好き少女まで、ありとあらゆる世代・ありとあらゆる性向の人間に、ある人には問題作として、ある人には人生を肯定的に捉えた作品として、『ロミオとジュリエット』は受けに受けまくったのである。 興行収入はうなぎ昇り、だが、それ以上に関連商品の売上が巨額だった。 各種書籍、ビデオ、CD、DVD等マトモな商品は言うに及ばず、パソコン、自転車、冷蔵庫、高級宝飾品からノート、鉛筆、フロッピーディスクのラベルシールまで、とにかく出せばすぐに全て売り切れてしまうのである。 巷には蔦葛グッズをコレクションするツタカズラーなる人種が現れ、溢れ、今やシャネラーもキティラーも顔色なしの大ブーム。 日本国内での経済効果は数十兆円、これが世界となると兆の桁がもう一つあがるものと概算されていた。 不況にあえぐ日本、好況に翳りが見え始めていたアメ○カ、経済統合が不首尾だったE○等々、世界経済が蔦葛歌劇団の人気によって持ち直したのである。 いまや世界は蔦葛様々、日本に足を向けては眠れないので尻を向けて眠るという有り様だった。 もちろん、最も蔦葛ブームの恩恵を被ったのは、その販売権を独占しているグラード財団である。 財団売上収入の7割までを蔦葛関連商品が占め、前年比350パーセントの大幅増益。 かくして、無駄飯食いの聖闘士を抱えていることに批判的だった財団幹部の口は、完全に閉ざされることになったのである。 |