しゅんを相手にしての、氷河の悪戦苦闘は更に続いた。 なにしろ、子供は『食う、寝る、遊ぶ』が商売である。 しかも、しゅんは、実に仕事熱心な子供だった。 食欲が満たされると、今度は、 「ひょーが、遊んでー」 が始まる。 あいにく城戸邸には、子供の玩具になるようなものは何も無い。 聖衣がもう少し小さかったなら、それを着せて遊ばせておくこともできただろうが、ある程度伸縮自在(?)の聖衣とは言え、2、3歳の子供に聖衣の装着は無理な相談というものだった。 となれば、しゅんの玩具は氷河だけである。 朝と言わず、昼と言わず、夜と言わず、食べ物を食べている時以外の全ての時間を、しゅんは氷河と遊んで過ごしたがるのである。 しかも、花よりも愛らしい顔立ちをしているとはいえ、しゅんは立派な男の子。 氷河へのじゃれつき方も、そうそう大人しいものではない。 意味もなく周囲を走り回るわ、ふいをついて飛びかかってくるわ、全速力で衝突してくるわ、へたな雑兵相手に闘うよりも疲れるのである。 それで、何とか一日が終わると、今度は、まだ夜の8時だというのに、 「ひょーが、いっしょに寝ようよー」 とせがまれる。 これが瞬からのお誘いだというのなら、8時が6時でもほいほい応じるところだが、相手が幼児ではそうはいかない。 「一緒に寝たって何もできないだろーが」 どうせ言ってもしゅんにはその言葉の意味は理解できないだろうと、言いたいことを言ってしまったのがマズかった。 しゅんは、氷河に“してもらえる事”をちゃんと事前に用意していたのである。 「この絵本読んで。グリとグラがおっきなホットケーキ焼くお話」 どこから持ってきたのか、瞬の手には、一冊の古ぼけた絵本がしっかりと握られていた。 「…………」 ここまでお膳立てされてしまっては、氷河もしゅんの要求を拒否できない。 拒否して泣き喚かれる方が、その疲労も10倍増しになることは、氷河には既にわかっていた。 見れば、1分もあれば読み終わりそうな、薄い幼児向けの本である。 これを読めば、それで大人しくしゅんが就寝してくれるというのなら、読んでやっても損にはなるまい――氷河は、そう判断した。 しかし。 氷河のその読みは、サロン・ド・テ・アンジェリーナのモンブランよりも甘かった。 「『そして、グリとグラともりのなかまたちは、おおきなホットケーキをみんなでなかよくたべたのでした』! ほら、終わりだ。さっさと寝ろ!」 これで、やっと子供のおもりから解放されると思ったのも束の間、しゅんは、 「もいっかい読んでー」 と、氷河に2度目を要求してきたのである。 これが瞬からの求めだというのなら、2回が3回でもほいほい喜んで応じるところだが、相手はなにしろ幼児である。 そもそも、同じ話を2度3度と繰り返して聞くことに、いったいどんな意味があるというのだろう。 氷河には、子供の考えていることがさっぱりわからなかった。 「同じ話を2回も聞いてどーするんだ」 が、氷河の理屈は、当然しゅんには通じない。 「読んでくれなきゃやだー!」 「うー……」 ここでしゅんの要求を拒否したら、またしても瞬の大音量の泣き声に襲撃されることは、火を見るより明らかである。 さすがの氷河も、泣く子と地頭には勝てなかった。 結局、その夜、氷河は、『そして、グリとグラともりのなかまたちは、おおきなホットケーキをみんなでなかよくたべたのでした』のフレーズを、なんと7回も繰り返すことになったのである。 7回目のそのフレーズが終わった時、しゅんは、まるでその絵本の内容になどまるで興味がないような顔をして、突然、 「ひょーが。ひょーがは、僕を好き?」 と、尋ねてきた。 グリとグラのホットケーキ話に辟易していた氷河が、正直に、 「好きなわけないだろう。俺の瞬はな、優しくて大人しくておまえみたいな我儘なガキじゃないんだ!」 と答えてしまったのが、運の尽き。 「ふぇーん !!!! ひょーがが僕を嫌いって言ったーっっ !!!! 」 事ここに至って、氷河は、自分が『寝た子を起こす』の愚を犯してしまったことに気付いたが、全ては後の祭りだった。 |