「スティグマ……かな」 「スケベ? それって、氷河のことじゃん」 同じ音は『ス』しかない。 氷河はぎろりと、何があっても気勢を失うことのない戦友を睨みつけた。 その視線の鋭さに、さすがの星矢が肩をすくめて軽口を中断する。 だが、星矢は、重い沈黙に耐えることしかできない時間の過ごし方というものを知らなかっただけなのである。 氷河の部屋のドアの前で、部屋の主と共に所在なげに佇んでいることしかできない自分というものが、彼には受け入れ難かったのだ。 「手の平に氷河ができてどうする。スティグマ――聖痕、だ。ゴルゴダの丘で磔刑に処されたキリストの体に残る傷痕のことだ」 紫龍の説明が、星矢には理解できなかったらしい。 星矢は、くしゃりと顔を歪めた。 「瞬は瞬じゃん。キリストなんて変なおっさんじゃない。だいいち、キリストって2000年も前の時代に生きてたおっさんだろ?」 「世の中には結構いるんだ。医学的に説明できる理由もなく、キリストと同じ場所に傷が生じたっていう人間が。奇跡として法王庁に認められている者もいたんじゃないか?」 紫龍の知った顔の解説に苛立って、氷河は自分と瞬とを隔てているドアに向かって怒鳴り声を叩きつけた。 「そんなものは、狂信が高じて身体に作用を及ぼしたに過ぎん。瞬はキリスト教徒じゃないし、スティグマは本来、釘を穿たれた両手両足とロンギヌスの槍で突かれた脇腹に出るものだ」 「瞬にはそれはなかったのか」 「両手だけだ。足や腹の方は綺麗なもんだった。俺に触れられても怯えた様子はなかったんだ!」 瞬の手の傷痕が聖痕などであるはずがない。 そんなものが、瞬の身体に現れるはずがないのだ。 だが、だとしたら――。 あれが聖痕でないのだとしたら。 瞬の白い手を真紅に染めていた、あの痛々しい傷痕は、いったい何だというのだろう。 「この一大事に、そんなとこ撫でくりまわしてたんだ。やっぱ、スケベじゃん。だから、診察にも立ち合わせてもらえなかったんだぜ、氷河、おまえ」 いっそ永遠にそんな軽口をきけないようにしてやろうかと、氷河が星矢に向けかけた拳を、事態を憂慮した紫龍の声が押しとどめる。 「どうでもいいが、沙織さんが連れてきたのは、外科と……精神神経科の医者じゃなかったか」 「…………」 氷河を本当に苛立たせていたのは、実は、星矢の軽口などではなく、紫龍の告げたその事実だった。 沙織は――アテナは――精神神経科の医師を呼びつけることで、瞬の手の傷痕は、瞬の心が作り出したものなのだということを、無言のうちに氷河に告げていたのだ。 |