「ポリニャック・グループの一員というわけではないのか、あれは」

国王ルイ16世の隣りに控えていた少年に王妃マリー・アントワネットが親しげに話しかける様子を見て、ヒョウガは自分の前任のロシア大使に尋ねた。
20代半ばのヒョウガの倍の年齢を重ねたトボリスクの領主が、ロシアの男にしては小柄な肩を揺すって、新任の大使に左右に首を振る。

「あんな輩の仲間ではありませんが、似たようなものですよ。本来はさほど力のある貴族ではありません。ベルサイユに伺候できているのは王や王妃に気に入られているからで、ポリニャック・グループと違うのは……」

着任して1週間のヒョウガが既にフランス風の衣服を着こなしているのに比して、5年以上ベルサイユにいたはずの前大使は、未だにフランスの粋に染まっていない。
無論、ヒョウガとて、自分のすべてをフランス宮廷風に変える気はなかった。
特に、あの、馬鹿げたカツラ!
フランスの貴族はすべてがフランス病(フランス人はイタリア病と呼んでいるらしいが)に罹って髪の毛に不自由しているという噂を信じたくなるような、あの馬鹿げたカツラをつける気にはなれない。ヒョウガは、フランス宮廷のその嗜みだけは、ベルサイユ伺候の際にも固く拒み続けていた。
彼は、なにしろ、“ペルヴェデーレのアポロン”と謳われているロシア女帝エカテリーナ二世の孫のアレクサンドルのそれ以上に輝く、美しい金髪に恵まれていたのだ。

「ポリニャック・グループが国庫から金を出させるのと違って、あの子は自分の崇拝者から金をせしめるのです」
「崇拝者、ね」

ベルサイユに初伺候した時に宮廷貴族たちから賞賛を受けたその金髪も、苦心して得たものではないのだから、当人には何の価値もない。
そんなものより、ヒョウガは、今、王妃に声をかけられて優美な礼を返した少年の方に興味が向いていた。

一見したところ、害のなさそうな可憐そのものの少年に見える。
亜麻色の髪と緑色の大きな瞳。
歳の頃は15を出たか出ないかというところで、装飾過多のロココの宮殿にそこだけ自然な緑の風が舞い降りたような風情。
恋愛をゲームとして楽しむフランス宮廷の風習に染まっているとは、到底思えない――思いたくない――ような。
崇拝者たちからどれほどの金品を巻きあげてきたのかは知らないが、少年自身はさほど金のかかった衣装も宝石も身につけてはいなかった。

「ベルサイユにいる弟は自分の崇拝者から金を巻きあげ、パリの下町にいる兄は熱烈な共和制の信奉者……とは」
皮肉がかった小声でそう囁く前任者に、ヒョウガは、我知らず眉をしかめた。
その言葉を不快に感じた理由が、目の前にいる少年を、金や宝石で動かせる人間だと思いたくない気持ちのせいだとは、彼自身も気付かずに。

「しかし、可愛い。毒もなさそうに見えるが……。貧乏貴族なのか」
「今のフランスに金のある貴族などいませんよ。借金をして世間体を保っているか、借金をせずに見栄を捨てるか、のいずれかです。あの子の家――クートン家――も太陽王の時代には、かなりのものだったようですね。爵位もろくな領地もありませんが、金に窮してはいないはずです。あの子に入れあげて破産寸前の大貴族もいるんですから」
「虫も殺さぬ顔をして、なかなかやるわけか……。それにしては、身に着けているものが質素だが」
「飾り立てない方が自分の魅力を引き出せることを知っているんでしょう。……あの子から近付いていくつもりですか」
「あの子の兄君の方にお近付きを願うわけにはいくまい」


ヒョウガがフランス大使に任命された理由は――建前は当然、フランスとロシアの親善のためである。

しかし、本来の目的は、国力の衰えつつあるフランスで台頭し始めている共和主義者という名の不穏分子に関する情報の収集と、その影響がロシアに及ばぬように図ること、だった。

確かに、フランスの国力は衰えている。
反して、ロシアは、女帝自らが啓蒙思想に傾倒できるほどに、君主の力が絶大で王権は安定している。
しかし、ロシアは、文化の面では、国力の衰えたフランスの支配下にあるのだ。
その国の君主が平民などに政権を奪われることなどあってはならない。
ベルサイユの動きはともかく、パリの動きを探るには若くて機動力のある大使の方がいい――という理由で、今回のヒョウガのフランス大使任命が決められた――ことになっている。

だが、女帝の真実の目的は、自分にフランス流の社交術を身につけさせることなのだろうと、ヒョウガは推察していた。
なにしろ、現在のロシアの支配者は、とにかく、美しいものに価値を置く女性なのだ。
彼女は、フランスやイタリアから名画を買い漁るだけでは飽きたらず、自分の宮廷を飾る優美な貴公子を一人作り上げようと目論んでいる――のだ。

自分の領地キエフを女帝が送ってよこした代理人に任せ、ヒョウガは半分物見遊山気分でフランス大使の任に就いたのだった。


「しかし、可愛らしい……」

故に、ヒョウガがその少年に関心を抱いたのは、少年の兄の情報を得るつてを求めてというよりは、ただ単に、その可愛らしい少年に似つかわしくない前任大使の話の真偽を確かめたいがため、だったろう。






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