「瞬、出掛けるのか」
城戸邸のエントランスホールで、短髪のカツラをつけた紫龍が、野球帽を目深にかぶった瞬に声をかけた。

「うん、氷河とロシアのイコン展を見に行くんだ。紫龍は?」
「俺は、星矢と中華街に老師たちの陣中見舞いに行くつもりだが、星矢の準備がまだのようで――」
と、紫龍が言いかけたところに、星矢の登場である。

「わっりー、鼻メガネがどっかにいっちゃってさー。これがないと外に出れないってのに!」
星矢はその手に、宴会芸用のヒゲ付き鼻メガネを握りしめていた。

その後ろから、瞬の待ち人もやってくる。
「瞬、すまん、待たせたな。いっそ、俺も紫龍のように、染めるよりカツラにした方が楽かもしれん」
そう言いながらやってきたのは、金色の髪を漆黒に染めた氷河だった。


「あ、みんな出掛けるんだね」
「初めてのオフだからな。あれからずっと馬車馬のように働かされ続けていたが」
「兄さんだけ留守番? 疲れてるのかな」
「一輝はさっき、何回目かの逃亡を企てて、さっき窓から脱出してったぜ。無駄だよなー。いくら逃げたって、すぐ連れ戻されるのに」

「まあ、『一輝様、大ファンですv』なんて、ピンク色のファンレターなんぞ貰っちまった日には、一輝も逃げ出したくなるだろう」
同情に耐えないと言わんばかりの紫龍に、瞬が項垂れるように頷き返す。

「僕も逃げたい」
「そうできるものならな……」
「うん……」



あの悪夢の実験モデル騒動から3ヶ月。

今、秋の街には、至るところに青銅聖闘士5人のポスターがあふれている。
衣料を扱っているブティック・デパートはもちろん、駅構内、電車の吊りポスター、衣料とは全く関係のないドラッグストアから喫茶店・駄菓子屋まで、とにかく5人の顔があれば人は集まってくるのだ。

グラード財団が総力をあげて売り出した5人のモデルはそれぞれに個性的で、それぞれにファンがつき、某ジャ○―ズ・エンターテインメントから出た新人グループなど足元にも及ばない一大ブームを世界に巻き起こしていた。


で、今日のこの日の扮装となったわけなのである。
外を歩いていて、正体がばれてしまった日には、彼等にファンの群れが襲いかかってくることが必定だから、である。
襲いかかられたら逃げればいいではないかと考えるのはシロウトの浅はかさ。
下手に常人と異なる運動神経を持っているだけに、星矢たちが本気で逃げ出そうとすると、その際の加速による衝撃が一般人に怪我を負わせかねないのだ。



「服も売れてるらしいらしいが、写真集の方がもっとすごいらしいな」
紫龍が、心底嫌そうにぼやく。

「世界中で2000万部売れてるんだって」
瞬とて、その事実を単純に喜べるほどおめでたくはできていなかった。

「ポスター付きで、俺たちのネームの入ったカラーYシャツを発売したら、サイズもメンズだってことも気にしないねーちゃんたちが買いあさっていったんだと」
「瞬や星矢の着る服はユニセックスだから、女の子が着ているのも結構見かけるぞ」
「ファンが作った同人誌が毎日何百冊と財団の事務所に送られてきているらしいよ。なんだか、僕たちがショック受けるからって読ませてもらえないんだけど」

「…………」× 5

長い沈黙の後、星矢がぽつりと、誰にともなく呟く。
「……儲かってるんだろ? あの実験施設が何百と建てられるくらい」
「だろうな」

「……俺たちには休みもくれないけど、小遣いの値上げもないな……」
「全部、沙織さんの懐に――いや、グラード財団の口座に収まっているんだろう」

「…………」× 5

沙織はおそらく、最初からそのつもりだったのだ。
いつ商業ベースに乗って利益を生むまでになってくれるのかも定かでない研究や実験などより、5人をモデルに仕立てあげる方がはるかに手っ取り早く、財団は利益を得ることができるのだから。

あの実験は、普通に話を持ちかけたらモデルの仕事などしそうにない聖闘士たちに、財団との契約書にサインをさせるための大掛かりな罠だったのだ。
今ならば――こういう事態に至ってしまった今ならば、星矢たちにもそれがわかった。

しかし、わかった時には全てが手遅れだったのである。


星矢たちには、グラード財団本部ビルの総帥室で、毎日の売り上げ報告を聞いて高笑いをしている沙織の姿が見えるようだった。




「ほーっほっほっほっほ !!!!  アテナの聖闘士、万々歳だわ! ボロ儲けよーっっ !!!! 」


グラード財団総帥・城戸沙織の辞書に、経営破綻の4文字はない。






Fin.







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