「雪が……波みたいだね」

それは雪ではなかった。
凍った海の上で、雪のように風に煽られて走っている、砕けた氷の粒だった。
瞬の足元に、その氷の砂が絡みつき、名残り惜しげに背後に飛んでいく。

「瞬」

名前を呼んでも、続く言葉が出てこない。
風邪のウイルスも生きてはいられないこの土地で、『風邪をひくから、家に戻れ』は無意味な言葉だった。

「何て顔してるの、非営利誘拐犯さん」

飴玉一つで自分のテリトリーに獲物を誘い込み、さっさとその獲物を味わってしまった軽挙妄動男に、瞬は微苦笑を作ってみせた。

「ああいうのはね、飛ばすのは簡単なんだよ。着陸させるのが難しいの。僕、死ぬかと思った」
なんとか元の形を保ったままで、半分以上氷原に埋もれている文明の利器にちらりと視線を投げてから、まるで諭すように、瞬は氷河に文句を言った。

「こんなことで、おまえを死なせたりはしない」
「……今度僕を誘拐する時は、もっと安全な方法でお願い。場所は、ここでいいから」

瞬の気持ちが、氷河にはわからなかった。
その意思も確かめずに、この北の果てに連れてきて、あまつさえ暴行に及んだ男を責めるでもなく、穏やかな表情で白い光景に見入っている瞬は、氷河には理解し難いものだった。


「……雪と氷しかないところに、おまえを立たせてみたかった」
「僕が凍えてしまうと思った?」
「……そうだ」

何故、瞬は責めないのだろう。
たとえば、夏の雷鳴のように。

「どんな寒いところに連れていかれても、僕は凍りつかないよ」

そして、何故、瞬には、それを過ぎてしまったことと諦めるような気配も感じられないのだろう。
たとえば、自分の務めを終えて散った秋の朽ち葉のように。

「どんな冷たいものに触れても、僕は飛びすさって逃げたりしない」

何故、瞬の瞳は、

「氷河、大事なものを失いすぎて、臆病になってるんだね。僕を試す必要なんてないのに」
「…………」

すべてを見透かし、受け入れているような色をしているのだろう。

「僕が恐いの? 氷河」

「…………」


恐いのかと問われれば、その通りとしか答えられない。

氷河は瞬が恐かった。






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