「でも、俺が氷河に会ったのって、氷河が高校に入ってすぐだったはずだぜ? 一輝の奴、丸々2年、氷河と瞬を会わせずにいたわけだ。よっぽど、瞬に悪影響を与えるロクデナシだと思われてたんだな、氷河の奴」 入学式になど出てくるのではなかったと投げ捨てるように言って、彼が準備室を出ていくと、瞬は、それまで張りつめていた空気が急に緩んだような気がした。 星矢が、氷河に同情しているのか、一輝に賛同しているのかの判別が難しい口調で、氷河の出ていったドアを見やりながら、ぼやく。 「あの人、なんだか恐いんだけど……」 瞬が心許なげな目をするのに、星矢は屈託のない笑顔を作った。 「別に害はないぜ。降りかかってくる火の粉は払うけど、自分から他人に喧嘩売ったりするような奴じゃないし」 「星矢が言ったろう。奴は、生きていくのに必要なことしかしない主義なんだ。無駄なことはしない」 紫龍の弁によると、彼は、その欲が人間のそれではなく、動物のそれなのだそうだった。 腹が減った時にだけ食べ物を食べ、眠い時には時間も場所も気にせずに眠る。 出る授業も、自分の興味のある教科に限られているが、試験の成績はいいらしい。 だが、それも、馬鹿と思われるのは生きていくのに不都合だから――という理由かららしかった。 致命的に芸術方面が不得手だが、『そんなものは生きていくのに不必要だから』の一点張りで、彼は気にもかけていないのだそうだった。 「かなり頭の切れる馬鹿な野生動物とでも思っていればいい。無駄なことは言わないが、嘘をつくような奴でもない」 紫龍の説明は、瞬にはわかったようなわからないような――実に微妙なところだった。 だが、兄が友人として遇していたのなら、悪い人ではないのだろう――その程度の認識をするのが、瞬には精一杯だった。 「兄さんともお友だちだったの?」 「当人たちは互いをオトモダチだとは思っていないと思うがな。2年前、氷河が入学したばかりの頃に、あの二人は、購買部に残ってた最後のアンパンを争って、世紀の死闘を繰り広げたんだ。2年経った今でも、我が校の語り草になっている」 「ア…アンパン?」 野生の獣の獲物にしては、随分と庶民的なものが出てきたものである。 瞬は、無意識のうちに眉をひそめてしまっていた。 「先に金を払いかけていたのは一輝だったんだが、氷河の奴は、腹が減っている時はフツーじゃないから。たちまち、『俺によこせ』の『横取りする気か』で取っ組み合いの喧嘩を始めたんだ。もともと強いので有名だった一輝に、目つきの悪い1年坊主が突っかかっていって、一歩も引けをとらなかったわけで──最後に、どっちに渡すのかと詰め寄られた購買部のアルバイト店員が、どちらかの恨みを買うのを恐れて、そのパンを自分で食べてしまったという、傑作な落ちがついている。それ以来、犬猿の仲だったな」 「兄さんたら……」 「まあ、あの一輝と対等に渡り合っただけで大物だ。で、その手の輩が反目し合っていると校内に派閥が出来て、よろしくないからな。俺が調停役を買って出て、以降、嫌悪し合いながらも破綻することもなく、つるんできたわけだ」 あの綺麗な強面の上級生と、兄と、この紫龍がつるんでいたら、教師でさえ口出しを恐れるトリオができていたことだろう。 瞬は、感心すべきなのか、呆れるべきなのかの判断に、またしても迷うことになった。 それにしても、その強烈な三人組を形成したきっかけが、アンパン1つを巡る争いだったとは。 瞬は、敬愛する兄のとんでもない武勇伝を聞かされて、ショックを隠せなかった。 |