「小さい頃、兄さんとふたりきりで、夕涼みしたことがあるの。僕たちが引き取られていた施設の、小さな庭で」

一輝に殴り倒されてしまった俺を、幸い、瞬は無様だとは思わずにいてくれたらしい。
気がつくと、俺は自分の部屋のベッドの上にいた。
誰が俺をここまで運んだのかを、俺は意識して考えないようにした。

開かれた窓から入り込んできた涼しい風が、瞬の髪に戯れた後で、俺の頬の上を滑っていく。

瞬が、切なそうな目をして、俺を見詰めている。
俺は、その瞳を無言で見詰め返した。

やわらかな風が、俺の代わりに、もう一度、瞬の髪を撫で、それから静かにどこかに消えていった。

「何にも話さないで、僕と兄さんの間には何の秘密もなくて、僕は兄さんを頼ってて、慕ってて、兄さんを信じてて――。両親に甘えることもできない、欲しい玩具も手に入らない、そんな生活だったけど、僕は幸せだった。僕には兄さんがいたから」

「それを……俺が壊したのか」

「ううん」
瞬は、瞼を伏せて、首を横に振った。

「壊したのは僕だね。僕が氷河を好きになっちゃったのがいけないんだ。僕には、いつまでも、兄さんしかいないと思っていたのに。それで幸せだったのに。それで幸せだったはずなのに……でも」


『あの時は、もう二度と戻ってこないんだ』

風のささやきより微かに、悲しいほどに小さく、瞬が呟く。



「僕は、兄さんの知らないところで、兄さんの知らない僕になっちゃった自分が許せなかったんだよ」

「…………」

そう言って俯いてしまった瞬に、何が言えただろう。
左の腕を伸ばし、俺が変えてしまった瞬を、俺はそっと抱き寄せた。






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