「しかし、さっきのけしからん奴等は何者だ。よりにもよって王サマを手込めにしようなんざ、やることが大胆すぎないか」

パンにワイン、肉、魚、果物。
王宮の食事はなかなかに豪華だった。
大テーブルには、まるで飾りたてるように食べ物が並べられ、給仕に務める女性たちも王に対しては最大限の敬意を払っているように見える。



――エジプト人の思想の根本は魂の不滅にある。
その思想は後代には、全ての人間の魂に及ぶのだが、この時代に永遠を約束されているのは、神の化身である王のみに許された特権だった。
王だけが――王として死んだ王の魂だけが不滅なのであるから、王の権威と権力は絶大にして絶対のものである。

その王を陵辱するような行為に及ぶ家臣の存在というものは、氷河にも瞬にも考えられないものだったのだ。

「私の兄の手のものです。兄は、セケムケト様から王者としての資格を奪って、自らが王になろうと企んでいるんです」
食卓についている王の背後に控えていたイアフメスが、苦汁に満ちた表情で、呻くように言う。

いくら王を危機から救ったとはいえ、彼がそんな重大事を素性も知れない氷河たちに告げるのは、どうやら、彼や王が、見慣れぬ肌や髪の色をした氷河たちを神の遣わした者たちだと思い込んでしまったせいらしかった。

「私たち兄弟の父は前王ジェセル王の宰相イムヘテプといいます。父は前王にピラミッド建築の構想を提示し、それをやりとげ、死んだ後には神格化され、王のように祭られています。その子である兄は……臣下にすぎなかった亡き父が、神として永遠を手に入れた様を目の当たりにし、悪い夢を見てしまったのでしょう」

「……お兄さんの名前、何ていうんですか?」
「父にもらった名はカーバーといいます」
「…………」

その名を聞いて、瞬の顔が曇る。
それは、エジプトの王名表で、セケムケトの次に記されている名前だった。

「で……でも、王位って、普通はそんなふうに奪ったりできるものじゃないでしょう? セケムケトさんは既に王位に就いて神と同一視されてるんだし、その……暗殺を企てるならわからないでもないけど、あんなこと……。だいいち、王の資格を奪うって、どういうこと?」
悪い予感を振り払うために、瞬は会話に軌道修正をかけた。

イアフメスが、おもむろに顔を歪める。
「汚らわしい男たちに、セケムケト様に対して男の役割を果たさせようとしているのです。それで、王を弑するという大罪を犯すことなく王位を簒奪できますから」

「男の役目って何?」

イアフメスにそう尋ねる瞬の、あまりの邪気の無さに、氷河は少々挫けそうになっていた。
「瞬、おまえ、歴史やファラオの謎に興味はあっても、神話の方は知らないのか」
と偉そうに言ってはみたが、それは実に説明しにくい話ではあったのである。

「あー、つまり……。王サマが男に手込めにされたら、王サマは王サマでいる資格を失うんだよ」
「それで、王の資格がなくなるの? どうして?」

自分で振った話とは言え、氷河はそのあたりのことを瞬に詳細に語りたくはなかった。

「……おまえ、ほんとに、エジプト神話のホルスとセトの争いを知らないのか? 散々王位を争って闘っても決着がつかなくて、しまいには、ベッドでの上下関係で事を決めたんだぞ。結果は、受け役のセトの負け」
「え……?」
「王は神の化身だからな。神々同士でも、そんなことで王が決められてしまったんだ、まして、人間ごときに支配されたら、それは王でも神でもないということになるんだろう」

実に全く言いにくいことだった。
それを瞬に求める立場に立っている氷河としては。

「受け入れてくれる方が度量が広いんだってことがわかってないんだよ。攻撃的ならいいと思っている。実に馬鹿げた――」

さりげなく、フォローを入れようとした氷河を、瞬の鋭い声が遮る。
「そ……そんなの支配じゃないでしょ! ぼ…僕だって、氷河を押し倒したくなったら、氷河にお伺いを立てて、下手に出るよ!」
「…………」

瞬は瞬で瞬なりに、男の沽券を守ろうとして必死らしい。
女性蔑視者ならともかく、そうでないのであれば、そんなものを守ることには何の意味もないのであるが。

「あー……」
氷河が、瞬の主張にどう応じたものかを迷っていると、瞬以上に甲走った声が、氷河と瞬の間に割って入ってきた。

「そうです、支配じゃありません!」

それは、理不尽な理屈で自らの“資格”を奪われようとしている王としては、当然の憤りだったろう。
氷河も瞬も、その場がそれだけで終わっていたら、セケムケトに同意と同情を向けるだけで済ませていたかもしれない。

しかし。

「わ……私は、用を思い出しましたので……」
セケムケトの言葉を受けたイアフメスが、突然その場を辞そうとするのが、そのタイミングが、あまりに不自然──というより、自然すぎた。

「イアフメス! ここにいなさい」
セケムケトが、それまでの気弱そうな態度を一変させて、居丈高に自分の下僕に命じる。

「は……」
彼の王に逆らえるはずもなく、イアフメスがその命令に従う。
が、彼を引きとどめた王は、彼に何の用があるふうでもなかった。


──室内に漂う、重く気まずい沈黙。

古代の国の王とその家来の間に漂う、妙に緊迫した空気を和ませるため、瞬は畏れ多くも神の化身たる王を食後の散歩に誘ったのだった。






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