「よっ。瞬、氷河。バビロニア帝国はどうだった? 架空庭園見物はできたのか?」 ふっと身体にかかっていた重力が消えうせる。 氷河の耳に、呑気この上ない紫龍の声が、妙にはっきりと届けられた。 気がつくと、氷河と瞬は例の豆腐ボックスの中にいた。 紫龍の声に弾かれるように、瞬が、それまでしがみついていた氷河の身体からぱっと離れる。 それでまた、氷河の紫龍への怒りは増大することになった。 「か…架空庭園? う…うん、すごかったよ。あっ…あの、僕、埃だらけだね。し…シャワー浴びてこよ」 ラブシーンもどきを紫龍に見られたのが恥ずかしかったのか、時間旅行の報告もそこそこに、瞬がホールを出ていこうとする。 氷河は慌てて瞬を引きとめた。 ここで確かな約束を手に入れておかないと、せっかくその気になりかけてくれていた瞬の“その気”が消えうせてしまわないとも限らない。 「瞬、今夜、おまえの部屋に――」 行ってもいいか――と、氷河が言いかけた時。突然ガラスの割れるものすごい音がして、星矢の蹴ったサッカーボールが氷河の頭に命中した。 「あっ、わりー。また氷河に当たっちまったのかー」 銃弾さえ通さない強化ガラスをぶち破って飛んできたボールである。 その衝撃はかなりのものだったが、氷河は、悲しいことに星矢の蹴ったボールに当たるのには慣れていた。 ぐらつきもせずに先を続ける。 「おまえの部屋に――」 と、そこに闖入してきたのは、恐れ多くも畏くも、宇宙を包みこんでしまいそうなほど強大な小宇宙を燃やしたアテナその人。 「ちょっとっ! 信じられないわっ。あなた方も投票したのっ? 聖闘士が選ぶ理想の女神 アンケート第一位 ポラリスのヒルダって、何よ、これっっ!?」 これくらいの横やりにメゲてなどいられない。 氷河は二人だけの世界を保ち続けようと頑張った。 「おまえの部屋に行ってもい――」 だが、いくら氷河が頑張っても、既に瞬の意識は、星矢のボールやアテナのヒステリーに向かい始めていた。 そこにまた新たな邪魔が入る。 「なんだ、こんなところにいたのか。瞬、腹がへった。ぼた餅を作ってくれ」 突然湧いて出て偉そうに言ったのは、瞬の兄だった。 氷河がそこにいるのに気付くと、露骨に顔を歪める。 「瞬。そんなアンコの味も分からない毛唐の側にいると、おまえまで味音痴になってしまうぞ。俺はおまえの作ったぼた餅しか食えないのに、もしそんなことになったら、俺はこの先どうすればいいんだ」 「に…兄さん…、そんなことありえませんよ…!」 氷河にはわざとらしくも下らない嫌味としか思えない一輝のその言葉を、あの頭のいい瞬がマジに受け取って兄を安心させようと苦心し始めるのだから、世の中は分からない。 ともかく、ぼた餅ぼた餅と騒ぐ一輝を蹴飛ばして、氷河は頑張った。 「瞬、今夜、俺はおまえの部屋に行くぞ」 勝手に決定事項にして、氷河が断言した時、 「敵襲だ〜〜〜〜っっっ!!」 辰巳の美しくないがなり声が城戸邸内に響き、続いて壁の崩れ落ちる音。 「大変…! 僕、急いでシャワー浴びてこなきゃ。もう! なんでこんな時に攻めてくるんだろ」 瞬がそそくさとホールを出ていくのを見送ってから、一輝や紫龍たちがにやりと皮肉な笑みを唇の端に刻む。 「タイミングが悪いな、氷河、おまえ、いつも」 「場所もよくないよなー。いつも俺のボールが飛んでくとこにいるしさー」 「アテナに彼氏がいないのに、自分だけ独り身を脱しようなんて、聖闘士にあるまじきことだわ」 「貴様なんかに瞬を任せられるか。アンコも食えない奴に」 「敵襲だ〜〜〜〜っ!!」 セリフは、順に、紫龍、星矢、沙織、一輝、辰巳。 「……………………………」 氷河の恋路は長く険しい。 のどかな紀元前の頃ならまだしも、人間関係のしがらみが複雑な現代ではなおのことである。 氷河の虚しい日々は、いつまでも続く。 おそらく、終わりない聖闘士たちの闘いが果てるその時よりも、氷河の片恋が実るその時の方が遅いに違いない。 自分だけ幸福になろうとする者を、聖闘士たちは決して許さない。 全人類の幸福だけが、彼らの望みなのだから。 to be continued.
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