「許婚──いいなずけ?」 耳慣れない単語に、氷河は続く言葉を失った。 絶句してしまった氷河に、現在の彼の後見人ということになっているカミュが、 「氷河、許婚とは何だ」 ――と、偉そうに問うてくる。 当然のことながら、氷河は、 「訊いているのは俺の方だーっ !! 」 と、カミュを怒鳴りつけた。 「そんなことも知らんのか。許婚とはだな、幼少の時から双方の親同士が子供の結婚を約束しておくこと、または、その当人。婚約者。フィアンセ、という意味だ」 見事なほどの辞書の丸読み。 カミュは、自分の持ち出した話に、氷河がどういう言葉を返してくるのかを見越していたものらしい。 彼の準備は万端だった。 「婚約者だとーっ !? この俺のかーっ !? 」 が、寝耳に水で婚約者の話など持ち出された氷河の方はたまったものではなかった。 何が嬉しくて、20歳前の男が、親(この場合は後見人)の決めた相手と早々に身を固めなければならないのだ。 「そうだ、こんなシベリアの奥地にいたのでは、女の一人も捕まえにくいだろうと思って、以前からこの私がわざわざおまえのために一人確保しておいてやったんだ。いわば、親心だ、ありがたく思えよ」 「あ……相手は……」 どこの白クマだと問い返そうとして、氷河はそうするのをやめた。 幼少時から随分と長いこと生活を共にしてきたにも関わらず、氷河はいまだにカミュの本性を掴めずにいた。 そのカミュのことである。 連れてくるのは、白クマではなくアザラシということも考えられた。 幸か不幸か、カミュが氷河のフィアンセに定めたのは、れっきとした人間のようだったが。 「日本の旧家のご令嬢だ。親はとんでもない土地持ちだぞ。まあ、私の持っている土地の100分の1にも満たない面積だが」 「う〜っっ!」 カミュが大地主というのは事実だった。 シベリアの白く広大な大地の真ん中にででん★ と建っている彼の屋敷から見渡せる限りの全ての土地は、確かにカミュの所有に帰していた。 「その土地を全部合わせても、地価は銀座の10坪にも満たないくせに」 「私が購入した時にはな。今は違う。この土地の下にダイヤの鉱脈があることがわかった」 油田でも見付かったのならともかく、ダイヤになど、氷河はまるで興味が湧いてこなかった。 なにしろ、ダイヤでシベリアの寒さをしのぐことはできない。 「なんで、あんたに日本人の知り合いなんかがいるんだ」 「もう10年以上前のことだが、おまえを引き取りに日本に出向いた時、ついでに、私の土地の1000倍以上の地価だという銀座を見物に行ったんだ。その時に、そこに建っているビルのオーナーだという男と知り合った」 (こンの年齢詐称男が……!) 氷河は、内心で毒づいた。 これで平気で20代だと言い張るカミュの神経の程が知れない。 そもそも氷河は、いったいカミュがどういう関係で自分の後見人となったのか、その事情も知らされていなかった。 食うに困る生活を強いられているわけでもなかったので、知りたいとも思わなかったが、この婚約の話ばかりは、実の父親でもないのに有難迷惑もいいところである。 「控えめでしとやかな深窓のご令嬢だそうだ。ヤマトナデシコというやつだな。おまえより、1つ2つ年下のはずだ。この春、高校を卒業する。将来のことを考えて、そろそろおまえに会わせておきたいと、先方から話があった」 「馬鹿でブスのヤマトナデシコだったら、どう責任を取る気だ」 「何を贅沢ぶっこいているんだ。相手はヤマトナデシコだぞ、ヤマトナデシコ!」 カミュのシベリア引きこもりの原因は女性不信なのかもしれない。 きつい女しか知らないのか、彼は、“ヤマトナデシコ”というものに幻想を抱いているようだった。 「本気か」 「無論。ダイヤを掘り出すには金が要る」 「…………」 非常にわかりやすい説明だった。 銀座のビルのオーナーなら、確かに金は腐るほど持っているのだろう。 「まー、会うだけ会って来い。なんでも、かの国のヤマトナデシコは、床に三つ指をついて、夫を出迎えるそうだぞ。男のロマンだな」 嬉しそうにそう言って、カミュは、銀座英国屋に特注して作らせたという三つ揃いを、氷河にプレゼントしてくれた。 |