オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフは、皇太子の死から9年後の1898年、最愛の妻を失う。
無政府主義者による暗殺だった。
それでも、皇帝は、彼の帝国のためにその悲劇を耐え抜いた。

妻の死から、16年後、ルドルフ皇太子の後にハプスブルク朝の皇太子となったフランツ・フェルディナント夫妻がサラエボで暗殺、これがきっかけとなり、第一次世界大戦が勃発。

その大戦の中、打ち続く不幸を耐え抜いたフランツ・ヨーゼフ皇帝は67年の治世を終え、86歳の生涯の幕を閉じた。
ハプスブルク帝国が崩壊したのは、皇帝フランツ・ヨーゼフの死からわずか2年後のことだった。

ハプスブルクの巨大な帝国は、個人としての感情も幸福も捨て、国と同化するほどに悲しく強靭な精神力を持った偉大な皇帝を失った時、この地上にひとりで建っていることができなかったのである。



ハプスブルク家の正史に名を連ねることのなかったメキシコ皇帝フェルディナント・マクシミリアンの子、ナポレオンの曾孫、何よりも最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの甥とその恋人の記録は、一切残っていない。






Fin.







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