城戸邸の2階にあるラウンジの窓に、門を出ていく星矢と瞬の姿を見詰める者の影があった。
言わずと知れた、某白鳥座の聖闘士である。
彼は、星矢に瞬を連れ去られる日が続いているせいで、ここのところずっと不機嫌だった。

断りもなく、我が物顔で瞬を連れ出す星矢にも腹が立つが、その星矢に毎日付き合う瞬も瞬だと思う。
更に言うなら、片時も離れずに自分の側にいたいと、瞬に思わせることのできない自分自身にも、氷河は立腹していた。


そんな氷河の不機嫌が、限界に達したのは、星矢が瞬を星の子学園に連れ出すようになってから1週間も経った、ある夜のことだった。


「瞬ー! 俺の部屋の棚の奥から、去年やんなかった花火が出てきたんだ。これから、花火大会しよーぜー!」

夕食も済ませ、やっと瞬を自分の側に置けると思った矢先、ラウンジに響いてきた星矢の能天気な声。
それまでに積もり積もった鬱憤と、遠慮というものをまるで知らない星矢のその声が、氷河から“おとなげ”というものを綺麗さっぱり奪い去ってしまったのである。

「星矢、いい加減にしろよ! 昼の間はずっとおまえに貸し出してるんだ。夜は瞬は俺のものだ!」
納まらない腹の虫がついに顔を出してきたような目つきをして、氷河が星矢を怒鳴りつける。

氷河に、まるで図書館の本のように言われることへの不服を覚えなかったと言えば、それは嘘になるのだが、確かにこのところ氷河を放っておきすぎた自覚のあった瞬は、その件については物言いをつけなかった。

氷河に物言いをつけたのは、星矢の方だった。
なにしろ、星矢には、氷河の不機嫌の理由がまるでわかっていなかったのである。
彼は、去年の花火セットを氷河の目の前で左右に振ってみせながら、全く緊張感のない声で氷河に尋ねた。
「なんだよ、氷河も混ざりたいのか? なら、一緒に……」
「そーゆーことを言ってるんじゃない! 遠慮しろと言ってるんだ!」

「遠慮? なんでだ?」
星矢が、きょとんとして尋ね返してくる。

星矢の態度があまりに悪びれていないせいで、氷河は言葉に詰まった。
そもそも、『少しは気を利かせろ』などということを、星矢に要求すること自体が無謀だったかと、氷河は少しばかり反省もした。
が、これは、悪気がなければ許せる類のことではない。

氷河は、一応、瞬の恋人という立場にあった。
星矢も、氷河と瞬がそういう仲だということは承知しているはずなのだ。

「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえという言葉を知ってるか? 毎日毎日瞬を連れ出して、不粋なんだ、おまえは」
「何だよ、その言い草ー! 俺は別に、無理矢理瞬を連れ出してるわけじゃねーし、瞬がいいって言ってるんだし──」
「瞬がいいと言っても、少しは俺に遠慮するもんだろーが」
「なんで俺が氷河に遠慮しなきゃならないんだ? 瞬がいいって言ってるのに」
「そんなこともわからないのか」
「わかんねーよ。氷河、瞬に何か用でもあんのか?」

星矢には、本当に、全く、完全完璧に、悪気がない。
氷河は、返答に窮した。
用は、ないのだ。確かに、氷河は、瞬に。

「用は──ないが……」
「なら、いいじゃん。俺は瞬に用があるんだし、俺には瞬が必要なんだから」
「だからと言ってだな──!」

「???」
氷河の激昂の訳が、星矢にはまるでわからないらしい。
星矢は、彼にとっては理不尽かつ意味不明なことでいきりたっている氷河に、不思議なものを見るような顔を向けてきた。

氷河が、何と言って説明したものか戸惑い──否、氷河はむしろ、星矢への説明が徒労に終わる予感を感じ、その結果として当然なことに、星矢に自分の立場を説明する気が失せてしまったのである。

妙な疲労感と脱力感に見舞われている氷河に、星矢がふと思いついたように訊いてくる。
「あ、もしかしたら、それって、氷河が瞬のコイビトとかいうもんだからか?」

「──わかってるんじゃないか」

わかっているのなら説明は不要と思った氷河に、星矢は、あっけらかんと、かつ、確信に満ち満ちた口調で言ってのけた。
「男はそんなもんより、やっぱ友情を優先させるべきだよな!」

「あのなー……」
つまり、星矢は、そういう理屈で瞬を連れ出していたのだと、氷河はやっと理解した。
男は色恋などより男同士の友情の方を優先させるべきだという彼なりの価値観にのっとり、瞬の友人の当然の権利として、星矢は瞬を自分に付き合わせていたものらしい。

これでは、ごく一般的な恋人というものが有する権利などを星矢に説明しても全く無駄である。
むしろ、自分のすべきことは、星矢の価値観を変えるために努めることだったのだと悟った氷河に、星矢が更に言い募る。

「コイビトってのが、瞬にサッカーさせられないくらい偉いもんなら、俺も瞬のコイビトとやらになってやるぜ!」
「なんだと?」

星矢のとんでもない妄言に、氷河が目を剥く。
星矢は、しかし、大真面目らしかった――少なくとも、全くの冗談でそんなことを言い出したのではないようだった。

「だって、氷河見てると、コイビトって、別に瞬に特別なことしてやってるわけでもねーし、どっちかってーと瞬に甘えて面倒かけてるだけだし、そんなんだったら、俺にもできるもんな」
「ぐ……」

氷河には、あいにくと、星矢に反論する材料の持ち合わせがなかった。
星矢から奪い返した瞬に何かをしてやるような予定は、確かに、氷河にはなかったのである。
してもらいたいことは、多々あったのであるが。






【next】