氷河は、その日残っていた講義のサボタージュを決め込んで、突然自分の前に現れたオトモダチ志願者の後を追った。
なぜそんな酔狂を起こしたのかは、氷河自身にもわからなかった。
それは、もしかしたら、自分に話しかけてきた花のような風情をした少年も、あの弁護士が言うように、常識も遠慮もない厚顔無恥の輩なのかどうかを確かめてみたいと考えたせいだったのかもしれない。

彼は、図書館の建物の裏手にあるベンチに、肩を落として座っていた。

「俺とオトモダチになりたいんじゃなかったのか?」

ふいに氷河に声をかけられて、その少年はひどく驚いたようだった。
そして、氷河の前で、すぐに顔を伏せた。
「い……いえ、いいんです。ごめんなさい。忘れてください」

「なろう。俺がなりたい」
「え? あの、でも……」

どこから何をどう見ても、“怯えている”としか言いようのない眼差しで、その少年が氷河の顔を見あげる。
こんな世間知らずで純真そうな子も、あの嫌味な弁護士が言うように金目当てで人に近付くことがあるのかと思うと、氷河は嫌な気分になった。

だが、それならそれで、逆に、今の自分のうんざりした気分をぶつける相手として都合がいい。
氷河は、そう考えた。
そういう対象を金で買えるのなら、相手を人間と思う必要もない――と。

「近付きのしるしに、これから飲みに行かないか」
「僕、まだ、1年生なんです」
どうやら、氷河のオトモダチ志願者は、自分はまだ未成年だと言いたいらしい。
彼は、生真面目に法を遵守してクラブやクラスでのコンパへの参加もしていない、今時珍しい種類の学生らしかった。

「アルコールの入っていないものならいいだろう」
「あの、でも、僕は――」

氷河は、彼を人間とは思っていなかった。
人間ではないのだから、その意思も尊重しない。
氷河は、彼を、学外の駐車場まで無理矢理引っ張っていくと、押し込めるように車に乗せて、昼間から開いている行きつけの会員制バーに乗りつけた。

個室の、身体の沈みそうなソファに、オトモダチ志願者を放り投げるように座らせる。
氷河のオトモダチ志願者は、この手の店は初めてらしく、バーというよりは応接室のような造りの部屋のあちこちに、落ち着きなく視線を走らせていた。

「アース・フェイク。この子は――」
「お水、ください!」
氷河のオーダーを遮って、彼は、叫ぶように言った。

ウエイターが、その勢いに、僅かに瞳を見開く。
氷河は、カマトトぶっているとしか思えないそのオーダーを聞かされて、呆れた顔になった。

「こちらのお坊ちゃまには、どこかからフルーツパフェでも調達してきてくれ」
氷河の投げ遣りなオーダーに、ウエイターは、その職業従事者に独特の控えめな微笑を浮かべた。
「シンデレラでしたら、ノンアルコールですが」
「じゃあ、それでいい」

「だ……だめ。お水をお願いします」
「アルコールは入っていないやつだ。未成年でも飲める」
「ぼ……僕、ダイエット中なんです!」

到底ありえない理由を平気で口にするオトモダチ志願者に、氷河は少し苛立ち始めていた。
「おまえのその細っこい身体のどこに、ダイエットの必要があるんだ」
「お願いですから……!」

「では、ペリエをお持ちしましょう」
ウエイターの助け舟に、氷河のオトモダチ志願者が、ほっと安堵の息を洩らす。

運ばれてきた無色透明の水に口をつける前に、彼は、それでも氷河に念を押してきた。
「これ……ただですよね?」
「払いの心配でもしているのか」
「お……お財布、忘れてきたんです」

「…………」
それは、自分には勘定を支払う気がないという、露骨な意思表示だった。
少なくとも、氷河にはそう聞こえた。

「好きなのを幾らでも飲め。支払いは俺がする」
氷河の口調に皮肉と蔑みが含まれていることを、氷河のオトモダチ志願者はすぐに感じとったらしい。

「……僕、やっぱり、帰ります」
ペリエに口をつけずに、彼は席を立った。







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