彼は決して、氷河とミロの見苦しい争いを止めることを意図して その場にやってきたわけではなかっただろう。
が、結果として彼の登場は、ミロの尻を蹴飛ばそうとしていた氷河の足を地に置いたままにすることになった。
――緊迫の天蠍宮に登場したのは、言わずと知れた氷河の師・水瓶座の黄金聖闘士 アクエリアスのカミュである。

「なにやら騒がしいようだが――」
場面はこれ以上ないほど緊迫していたが、新しい登場人物の声は全く緊迫していなかった。
至極のんきな様子で登場した水瓶座の黄金聖闘士の顔が、だが、その場に氷河の姿を認めた途端、ぎくりと強張る。
「氷河、なぜここに…… !? 氷の棺からいったいどうやって出ることができたのだ !? あの棺は、黄金聖闘士の力をもってしても砕くことのできないもののはずだ……!」

『黄金聖闘士の力をもってしても破壊することは不可能』というカミュの氷の棺の評判は、おそらく黄金聖闘士の誰も、そんな馬鹿げたことに挑戦しようとしなかった故のものだったのだろう。
弟子の言葉に耳も貸さず(弟子が氷河では、それも致し方ないことである)問答無用で教え子を氷づけにしてくれたカミュへの怒りが、氷河の心中に全くなかったわけではない。
なかったわけではないのだが、それは瞬の愛の抱擁という大イベントの前に、ほとんど存在感を失っていた。
なにしろ、愛は憎しみに勝る強大な力を有しているものなのである。

「瞬が――瞬が俺を救ってくれたんだ。小宇宙を極限まで燃焼させ、凍りついていた俺を抱きしめ温めて――」
氷河としては、自慢がてら もっと詳しい事情説明をしたいところだったのだが、蠍座の黄金聖闘士にはそれで十分だったらしい。
すべてはこの師弟のせいと知ったミロが、まなじりを決してカミュに宣告する。

「カミュ。貴様はよい友であったが、それも今日までだ。師弟揃って、私の可愛い瞬をこんな目に合わせるとは……! 瞬も瞬だ。こんな青二才のどこに、瞬が命を懸けるほどの価値がある! あれだけ危ないことはするなと教えておいたのに、こんな愚かなことをしでかすとは!」
感情をむき出しにして ぎりぎりと歯噛みをするミロの様子を見て、氷河は眉をひそめずにはいられなかったのである。
直情径行気味なこの男と瞬が師弟だということに、氷河はどうしても合点することができなかった。

「俺にはやはり信じられない。こんな奴の指導を受けて、瞬が聖闘士になったなどと――」
「世の中には、反面教師という教師も存在するのだ」
「なるほど」
もう一人の反面教師の説明を聞き、氷河はあっさり納得した。
が、蠍座の反面教師はその事実を認めようとはせず、似非クールを気取る師弟に噛みついてきたのである。

「何を言う! 俺は我ながら実に素晴らしい指導者だったんだ。日本に帰りたいと泣く瞬をなだめ、寂しいと言って心細がる瞬に添い寝し、瞬の肌や髪が傷まないように最高級のボディケア用品・ヘアケア用品を取り寄せ、瞬に似合う服を求めてパリやニューヨークに買い出しに出たこともあった。瞬を綺麗にしておくために時間も金も惜しまず、俺は自分にできることは何でもした。それもこれも、先生先生と俺を慕ってくれる瞬が可愛くてならなかったからだ。この際 聖闘士なんかにはせず、一生俺が面倒を見てやろうとさえ思っていたのに、あの城戸沙織めがーっ !! 」

「そういう理由で反アテナか」
それは確かに並の聖闘士にできる指導ではない。
カミュは本来あるべき次元とは異なる次元で、ミロの努力に感心した。
「予定ではここに瞬が来て、俺は瞬と闘い勝利し、その上で瞬を説得して二人でミロス島に帰るつもりだったんだ! それを何だっ、どーゆーことだっ! ここここここの私に断りもなく、俺以外の男に抱かれて登場とは! 瞬っ、おまえはいつからそんなふしだらな子になってしまったんだ。ああ、こんなことなら、私はやはり瞬を日本に帰すべきではなかった……!」

発言の内容の支離滅裂さもさることながら、『私』と『俺』の混在が、ミロの混乱のほどを物語っている。
彼には、アテナかもしれない少女が聖域にやってきたことや、青銅聖闘士が黄金聖闘士との闘いに勝利して この天蠍宮まで辿り着いたことなどより、氷河にお姫様抱っこをされた瞬の姿の方がはるかに衝撃的な出来事であったらしかった。

「確かに氷河は不肖の弟子だが、私の弟子を侮辱するのはやめてもらおう。それではまるで私の弟子がおまえの弟子を堕落させたようではないか」
「どうせ、師弟揃ってクールもどきの腐ったスイカなんだろう。私は貴様の弟子を侮辱などしていない。事実を言ったまでのことだ」

腐ったミカンも腐ったスイカも食しさえしなければ実害はない。
氷河は自分が腐ったスイカ呼ばわりされることは全く気にならなかったが、瞬の師と名乗る男がずっと瞬を抱いていることは大いに気に障っていた。
「ふしだらはどっちだ。いい加減、瞬を返せ! 貴様、さっきからずっと瞬にべたべた触っている指が、妙にいかがわしいぞ」

氷河の鋭い指摘を受けたミロは、だが、それで瞬を放すどころか、逆に誇示するように右手に抱いていた瞬の身体を自身の方に引き寄せた。
「カミュの弟子となれば、貴様も師匠同様、冷やすしか能がないんだろう。瞬は、この私がこの身に熱くたぎる情熱と愛で温めてやる。貴様のように汚れた馬鹿の手が触れたら、私の清らかな瞬が汚れるではないか!」

シベリアの師弟の前に仁王立ちに立ち、罵倒を兼ねて、ミロは氷河の要求を断固拒否した。
そこに、ミロの大音声に比べれば実に控えめな星矢の呟きが割り込んでくる。
「汚れるも何も……。聖域に乗り込むために日本を発つ前の晩、瞬って氷河と一緒の部屋で寝てなかったっけ?」
「しっ、星矢」
紫龍の制止は遅きに過ぎた。
すっかり背景の一部にされてしまっていた天馬座の聖闘士の声は、まるで緊張感を伴っていなかったが、それは蠍座の黄金聖闘士の神経をブチ切らせるのに十分な力を持っていたのである。

ミロは、星矢の言葉に、瞳を見開いた。
そして、眉を吊りあげた。
次いで、目を据わらせ、抑揚のない声で、
「事実か」
と、氷河に確認を入れてきた。

氷河が、質問されたことに正直に答える。
「命を失うかもしれない闘いに赴くことが決まったんだ。互いの心と身体を確かめ合っておきたいと思うのは、愛し合う二人には当然にして必然のこと」

「そうか、事実か」
氷河の返答を聞くなり、ミロは彼の必殺技であるスカーレットニードルを15発目のアンタレスまで、一瞬のうちに氷河に向けて放っていた。

「俺、何かまずいこと言ったか?」
相変わらず まるで緊張感のない星矢の声が再度天蠍宮に響いた時、白鳥座の青銅聖闘士の身体は既に、天蠍宮の総大理石の壁に のめりこむほど強く叩きつけられてしまっていた。






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