――アテナの聖闘士たちが その無謀に挑戦することになったのは、元はと言えば、沙織が彼女の聖闘士たちを甘やかしすぎたせい――だったろう。 彼女は、彼女の聖闘士たちを養い、その責務を果たすことのできる環境を整えるために、財団の金ではなく私費を投じていたのだが、グラード財団総帥の私産となれば、それは沙織個人の意思だけでどうこうできるものではなかった。 沙織は代表権を持つ企業の経営者である。 財団が甚大な損害を被った時には、彼女の私財がその損害の補填に充てられることもあるのだ。 グラード財団は、実際にはグラードグループとでも言うべき グループの中には、沙織個人の資産を管理運営するための会社もある。 そのキド・アセット・マネージメント社の取締役が、ある日 彼のボスに苦言を呈したことから、その奇妙な奇跡は始まったのである。 『総帥は無駄に金を使いすぎです。たった5人の子供の遊びのために、年間3億以上の支出など尋常で考えられることではない』 企業の存在意義は、利潤の追求の他に、その活動によって社会に貢献することである――というのが、沙織が祖父から教えられた経営哲学だった。 同じことをしても、その人格・品格によって、尊敬される人間と尊敬されない人間がいるように、企業にも大衆に信頼・尊敬されるような社格というものがあるべきだという理念を、沙織は先代総帥から受け継いでいたのである。 その理念に従う沙織は、決して彼女の聖闘士たちの行為を“遊び”とは思っていなかった。 グラード財団総帥としての彼女は、社会から得た利潤を社会に還元するつもりで、彼女の持てる財を 彼女の聖闘士たちと聖域の維持のために充てていたのである。 現実には、彼女が彼女の聖闘士たちのために使う生活費は微々たるものだった。 が、非常事態が起きるたび聖闘士たちの移動のために自家用ジェットヘリを飛ばし、破壊した建物や物品の保障を行なっていれば、それは膨大な支出になる。 取締役の嘆きもわからないではなかったし、平時の聖闘士たちの過ごし方や将来についても少々思うところのあった沙織は、一考したあげく、彼女の聖闘士たちに闘い以外の目的を持たせることを決意したのだった。 「というわけで、あなたたちにもグラード財団に貢献しろときつく言われてしまったの。――平たく言えば、お金を使うだけじゃなく、生産的なこともしろということね」 「生産的なことって?」 「額に汗して労働し、何かを作って利益を得ることよ」 「してるじゃん」 星矢は、至極あっさりと言ってのけた。 額に汗するどころか、血と涙まで流して、彼は平和というものを作っているつもりだったのだ。 それはある意味では事実だったのだが、別の視点から見れば容易に事実と認められることのない事実でもあった。 天馬座の聖闘士に、いわゆる“世間の目”というものを知らせることになったのは、某龍座の聖闘士である。 「正義の味方なんて職業はない。俺たちがしているのは、財団と沙織さんの資産を食いつぶす、良く言ってせいぜいボランティアというところだ」 紫龍に示された“世間の目”に、星矢が思い切り不満そうに口をとがらせる。 アテナの聖闘士のボランティアのために財団は資金を提供してくれているかもしれないが、実際にボランティアをしている者たちは、その活動に金どころか命を賭けているのだ。 闘いのない時には、確かに少々だらけているにしても。 「でも、だからって、俺たちにどうやって稼げっていうんだよ。俺たちの資本っていうと、まじで この身体しかないんだぜ!」 「ありきたりな案だが、ホストでもやるか?」 「げ。どこがありきたりだって !? 」 星矢は紫龍の提案を一蹴したが、しかし他にできることも思いつかない――というのが、アテナの聖闘士たちの実情だった。 無論、個々人の生活費くらいなら自力で何とかすることはできる。 だが、正義の味方のボランティアの経費は、アテナの聖闘士たちがファストフード店のバイトで稼ぎ出すことができるような ささやかな額ではないのだ。 そして、アテナの聖闘士たちは、アテナの聖闘士であるということの他に、一般社会で通用する特技や資格を有してはいなかった。 幸い、紫龍のありきたりな提案は、沙織が即座に却下してくれた。 「グラード財団はそういった方面のお店は持っていないし、そちら方面に進出する予定もないわ。ウチは昔から堅実な経営が売りだったし――財団内に芸能部門を創設する時にだって、そんな水商売はできないと、古株の幹部たちからの反発がすごかったんだから」 「しかし、他にはサーカスの見世物くらいしか思いつかない」 「とにかく財団に貢献してくれれば、財団の幹部たちは満足してくれるの。いっそ芸能界デビューというのはどうかしら。5人でユニットを組んで。もちろん、グラード・ミュージックエンターテインメントジャパンが責任をもって、最高の曲の提供とバックアップを約束するわ」 「芸能界って――」 アテナの提案は、さすがにありきたりではない。 だが、それは、アテナの聖闘士たちには ホスト以上に困難な仕事だった。 芸能活動を行なうには、何といっても“芸”が必要である。 しかし、星矢たちはそんなものを見たことも食べたこともなかったのだ。 「沙織さん、無茶言うなよ。そっち方面の俺たちの得意分野なんて――俺、アニソンしか知らねーぜ?」 「俺は詩吟ができる。瞬は童謡、一輝はやはり演歌か。氷河に至っては、得意分野そのものがない」 「氷河は歌うまいよ! せがめば子守唄だって歌ってくれる」 瞬のクレームは、決して彼が芸能界へのデビューを果たしたいから出てきたものではなかったろう。 瞬はただ、氷河の名誉を守ろうとしたにすぎない。 そのあたりは星矢も承知していてくれた。 星矢は、瞬のクレームを、アテナのありきたりでない提案を却下するために有効利用した。 「マーマ直伝かよ。その5人でユニット組めって? 無理無理」 「それならいっそ――」 「瞬を見世物になんかできるか! 瞬は俺だけのものだ!」 沙織が次なる提案を持ち出す前に、それまで不機嫌そうな顔で沈黙を守っていた氷河が、ラウンジに怒声を響かせる。 彼の仲間たちが氷河の我儘な発言に異議を唱えなかったのは、彼の我儘を許容しているからではなく、ただただ自分たちが見世物になりたくなかったからだった。 「……」 その場で、瞬だけが、仲間たちとは違う理由で沈黙を守っていた。 『おまえは俺だけのものだ。おまえだけがいればいい』 瞬は、氷河の怒声で、彼の口癖を思い出していたのである。 |