「その大金持ちで名門貴族の家の子弟である彼が、なぜウィンチェスターにいられなくなったんです」
シリュウは、ヒョウガよりは礼節と分をわきまえている。
ヒョウガに比べれば はるかに慇懃な口調で、彼はムウに尋ねた。
ムウが少々個性的な形状の眉を僅かにひそませる。

「彼がウィンチェスター校から我が校に転校してきたのは、新学期早々、ある不祥事に巻き込まれたからです。彼に責任のあることではありませんが、ウィンチェスターにはいづらくなったのでしょう」
「金で解決できないほどの不祥事だったのか」
貧乏公爵家の子息が、嫌味たっぷりに皮肉を挟む。
ムウは口元を歪めて、そんなヒョウガの上に一瞥を投げた。

「ウィンチェスターの前年度の卒業式直後、彼に恋愛感情を抱いていた上級生二人が、彼を争って校内で決闘騒ぎを起こし、一方が一ヶ月以上の入院が必要なほどの怪我を負うことになったのです。二人共将来を嘱望されていた優秀な生徒で、ある伯爵家の次男坊と男爵家の跡継ぎでした」
自分が 寮内では絶対的な権力を持つ寮監の前にいることを忘れ、ヒョウガが感嘆の口笛を吹く。
ムウが顔をしかめたのは、だが、ヒョウガの下品な振舞いのせいではなく、他校の生徒とはいえ 前途ある青年のエリートコース脱落の経緯を語らなければならない自分の立場が、楽しいものに思えなかったからのようだった。

「ご存じのように、我が国では同性愛はご法度。現場を押さえられたり、証拠を明示されたりすれば、風俗紊乱罪で投獄、鞭打ち、重労働等の刑が待っています。それは貴族も例外ではない。貴族にこそ過酷です。貴族は大抵の場合 実刑は免れられますが、社会的に高い地位に就くことができなくなりますからね。問題の二人はそれぞれケンブリッジとオックスフォードへの進学が決まっていましたが、当然大学側は入学を拒否。身分が生徒であったため、裁判が開かれることはありませんでしたが、彼等は半永久的に社交界に顔を出すことはできなくなったと見ていいでしょう」

「18歳で人生が見えた――というわけですか」
シリュウの呟きに、ムウが不本意そうに頷く。
が、ヒョウガは内心で、彼等に賛同できずにいたのである。
英国人の人生は、生まれた時 どの階級クラスに生まれたかで既に決まっているようなものなのだ。
騒ぎを起こした二人の生徒は、『人生が見えた』というより、『人生を見失った』と表現する方が正しい。

それはともかく。
二人のエリートに 予定されていた道を踏み外させたとなると、直接的な責任はないにしても、シュンがウィンチェスターにいられないと考えたのも至極当然のことである。
イートンも、学寮を一棟建てられるほどの土産がなければ、問題児の受け入れを拒否していたに違いなかった。

「で、当学のキングズスカラーにしてプリフェクト、その中でも特に生徒たちに多大な影響力と指導力を持つあなた方に、彼を守って欲しいのです。無事に卒業の暁には、図書館をもう一館 建てられるほどの寄付金が、我が校に転がり込むことになっています」
英国という建前社会で、ムウは正直にもほどがある教師だった。
彼にならい、ヒョウガもまた正直な感想を洩らす。
「あんな地味な子が」
端的な、それがヒョウガの心底からの感懐だった。
あんなにも重苦しく暗い空気を身にまとい、自信のかけらもなさそうに顔を伏せているばかりの少年が、エリート中のエリート二人までに その人生を棒に振らせたということが、ヒョウガには信じられなかったのである。

ムウは、ヒョウガの疑念を当然のものと思っているようではあったが、それは想像力に欠けた考えだとも思っているようだった。
「そんな事件を起こしておいて陽気にしていられたら、それこそ愚鈍というものでしょう。彼はその事件が起こるまではとても明るい生徒だったそうです。騒ぎを起こした二人以外にも、彼に心を寄せていた生徒は幾人もいたようですよ」
「だとしても、俺には理解できん」

約束された将来。
あるいは、約束されていないからこそ掴み取りたい未来。
ウィンチェスターにしろイートンにしろ、英国で1、2を争う名門パブリックスクールに入ったからには――入れたからには――、すべての生徒は自分の将来の地位に野心を持っているはずである。
それを、たかが一人の下級生のために捨てる者の気がしれない。
せっかく人の上に立てる可能性のある境遇に生まれてきたというのに、その幸運を一時の気の迷いで捨て去ることのできる者の気持ちが、ヒョウガにはまるでわからなかった。
その二人を、彼は愚かだと思った。

そんなヒョウガの考えを察しているのだろうムウは、だが、あえてヒョウガに忠告してきた。
「くれぐれも、ミイラ取りがミイラにならないよう、気をつけてください。その気のない者でもくらくらするそうですから」
「あんなのに――」
「成績は非常に優秀ですよ。転入の決定が9月の新学期に間に合わなかったので、キングズスカラーにはなれませんが、転入試験の成績で成績優秀者集団への所属は決まっています」
「それにしても――」

成績優秀で、以前は明朗な少年だったにしても――今の彼は陰気で地味な少年で、一緒にいることを楽しめるような友人には到底なれそうにない。
ムウの無駄な忠告を、ヒョウガは憂鬱な溜め息で受け流した。






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