「佐藤春夫『水辺月夜の歌』」 「時代や人物設定は、佐藤春夫と同じく、明治から大正の文士周辺でお願いします」 とのことでした。 というわけで、佐藤春夫です。 『秋刀魚の歌』で有名な佐藤春夫。佐藤春夫といえば『秋刀魚の歌』(私だけですか、そう思っているのは) 彼は1892年(明治25年)生まれで、没年は1964年(昭和39年)。 著作権が切れていないので、お題の詩を作品内に引用することができませんでした。 が、仮にもお題として使用させていただく詩。内容に全く触れないわけにもいきません。 ので、作中に断片的に出てまいります。お目こぼしくださいませ。 ところで『水辺月夜の歌』が発表されたのは大正10年発行の『殉情詩集』。 お題は、「時代や人物設定は明治から大正の文士周辺」。 となりますと、どうしても今回のキリリク話の時代設定は大正10年〜15年まで、ということになります。 正直に告白いたします。 私は、明治・大正時代の文壇の状況を全く存じあげません。 私の大正時代のイメージは『はいからさんが通る』でできています。 そういうレベルのことしか存じあげませんので、今回 私は変なことを書いているかもしれません。いえ、絶対に書いています。 これは自信をもって断言できます。 以前、全く知らない分野のリクエストをいただいて、懸命に調べて作品を書いたのですが、結果、そのお題をくださった方から、 「期待外れで悲しい思いをしました」 というメールをいただくことになり、ひたすらお詫びするしかなかったことがあります。 あの時は本当に、『無能! もの知らず! 未熟者!』と責められた方がずっとずっといいと思いました。 (本当に本当に申し訳ありませんでした) そういう事態を避けるために、今回は先に言っておきます。 これはファンタジーです。 ファンタジー世界の日本の、ファンタジーな大正時代の話です。 作中出てくる佐藤春夫なる詩人もファンタジー世界の佐藤春夫です。 作中出てくる谷崎潤一郎なる作家もファンタジー世界の谷崎潤一郎です。 もちろん、作中出てくる詩も詩集もすべて、ファンタジー世界のものです。 そう思ってお読みください。 これはもう、平身低頭してお願い申し上げます。 で、そのファンタジーな大正時代を構築するために、私はそれなりに色々と調べたわけなのですが、そういう付け焼刃の知識で文章を書きますと、その文章はどうしても とってつけたように説明的なものになってしまいます。 自分の文章になりきっていないなー……と思う。 「ほんとだー、説明的ー」と笑って読んでやってください。 更に。 作中、当然のことながら、佐藤春夫の詩に言及している箇所があります。どういうわけか、萩原朔太郎の詩に言及している箇所もあります。 どちらも手放しの賞讃にはなっておりません。むしろ、けなしている文章の方が多いかも。 私自身は、二人の詩は嫌いではないのです。 が、作中で彼等の詩に言及しているのは、私ではなく氷河と瞬なので……。 佐藤と朔太郎の詩をお好きな方、ご不快に思われましたら、どうかお許しください。 というか。 詩や小説、絵画や音楽もそうですが、結局そういう芸術作品というものは、鑑賞者の好みや価値観で語ることしかできず、絶対的な芸術的価値というものは存在しない――と、私は思っています。 若い頃にはいいと思わなかった作品を、年を経ていろいろな経験を積んで初めて、そのよさがわかるようになるというのは よくあることですし、もちろんその逆のパターンもままある。 順風満帆の恋をしている時には切ない恋の詩なんて笑い飛ばしてしまえても、自分自身が苦しい恋をしている時には、同じ詩が心に響いてくることもあるでしょう。 芸術作品、特に文芸作品は、そういうものだと思うのです(と、詩がわからない私が言ってみる;)。 なので、そこのところをご考慮の上、氷河の無礼な言い草をどうかお許しください。 氷河は、恋を馬鹿にしたいお年頃だったのでございます。 ――更に、お詫びとお願いが続きます。 時代設定が大正10年〜15年と短期間に限られますと、どうしてもあれがあるのです。関東大震災。 そして、この平成の世、地震関係の描写をすることは、何と言いますか、とても危険なこと。つらい思い出・経験を持った方々を傷付ける可能性のあることです。 できるだけ あっさりと、深く言及しないように気をつけたつもりなのですが、もしお気に障る箇所がありましたら、許してください。すみません。 阪神淡路大震災などは今でも被害の爪あとが残っていて、言い訳をするわけではありませんが、私は10年以上が経った今でもずっと毎月の募金を続けています(私の勤めている会社では社員有志から成るボランティア部が被災者支援活動を続けていて、その活動に賛同する社員が給与天引きで資金を提供しているのです)。 未だに仮設住宅住まいを余儀なくされている方がいらっしゃることも存じあげています。 決して軽い気持ちで書いたわけではないのですが、サイトの趣旨を考えますと重くも書けないのが実状。 どうか、どうぞ、お察しください。 なんだかお詫びだらけの前振り文になってしまいましたが、私が今回の話を非常に楽しんで書いたのもまた厳然たる事実だったりします。 実は、作中に自作の詩を組み入れようか――なーんて、調子こいたことを考えたりもしたのですね。 ↑ 作中に架空の詩集が出てくるのですが、その詩を私が書こうと思ったわけです。思っただけで玉砕・断念してしまいましたけれども; これって、おかしなことですよね。 その(架空の)詩集がどういう詩集であるのかを、散文的に説明することはできても、具体例を出すことはできない。 私はつくづく詩人ではありません。実感しました。 ゲーテが、「それらしい言葉を適当に並べておけば、読み手が勝手に意味をつけてくれるから詩作は楽だ」というようなことを言っていますが、それは人の心に響く詩を書ける一流の詩人が実行するからこその話。 私のようなシロートがテキトーに言葉を並べたところで、良い詩が生まれるはずもありません。 読むのも書くのも、詩はやはり難しいです(私には)。 そんなこんなで。 世界中のありとあらゆる詩人に敬意を表しつつ、リクエストしてくださった万朶の桜さんには申し訳なさを覚えつつ、氷瞬大正ロマン(?)を書き終えた私なのでありました……。 |