「恋の鞘当て――って……。あなた方のおっしゃることが万一 事実だったとしても、ゲームと公言して そういうことをしようとするのは、あまり利口なやり方ではないように思いますけど。そんなことを僕に知らせてしまったら、それは僕を警戒させるだけでしょう」
以前サガたちがハーデスの力で蘇り聖域を襲撃してきた時の前例もある。
あの時、サガたちはアテナに対する熱い忠誠心を胸に、かつての同胞たちに拳を向けることをした。
似たような事情がニコルとトアスにはないと、誰に言えるだろう。

どうにかして彼等の真意を探ろうとした瞬に、トアスは自信満々で答えてきた。
「その上で君を落としてみせると、我々は言っているんだ」
彼等の切ない胸の内を探り出し、彼等をハーデスの呪縛から解放したいという気持ちはさておいて、トアスのその言葉に、瞬は軽い頭痛を覚えてしまったのである。
彼のこの自信は、いったいどこから湧いてくるものなのだろう。

「そんなゲームが楽しいとは思えません。だいいち、僕を氷河から奪って、それでどうするっていうんです。僕に、その……特別な好意を抱いているわけでもないのに、僕に夢中になられたって、おふたりが迷惑を被るだけでしょう」
「このゲームが楽しくないなんて、そんなことはない。私以外の男のものだというだけで、君には大いに価値がある。盗み甲斐があるじゃないか。君を我が物にできれば、それで自分の魅力の再確認もできるしな」

そこまで言われても、瞬は、彼等の言うことが事実だとは思えなかった。
『もし自分の生に悔いがあるのなら』
ハーデスは彼等にそう告げて、この“ゲーム”への参加をそそのかしたという。
だが、彼等が彼等の生に悔いを残しているということがあり得るだろうか。
ニコルは聖闘士としての務めを果たし、彼の女神と仲間を守るために壮絶な死を遂げた。
トアスは、そのために自分は存在していると信じていた神に、自ら――少なくとも抵抗らしい抵抗もせずに――自身の命を捧げた。
彼等は、彼等の信念に殉じた戦士たちなのだ。
自らの生に悔いなどあるはずがない。
だいいち、彼等が自分の生に悔いを感じているというのなら、『もう一度生き直したい』と望む者たちは他にいくらでもいそうなものではないか。

「ハーデスが生き返らせたのは、あなた方ふたりだけなんですか? それはおかしなことでしょう。あなた方がご自分の生に悔いを残し、あなた方以外の人たちは悔いを感じていないなんて、僕には信じられない」
きっと彼等には、こうせざるを得ない何か深い事情があるのだ。
もっとマトモな理由があるに違いない。
そうに決まっている。
そうであってほしいと、瞬は心から願っていた。
瞬の切なる願いを、だが、ニコルはアテナ同様 華麗に裏切ってくれた。

「どんなことにでも、誰にでも、悔いはあるものだ。ただ一つの悔いもない人生を生きた人間がいたとしたら、その者は自分の生を一度も真剣に生きたことのない人間だろう」
「じゃあ、あなた方以外にもハーデスが生き返らせた人たちがいるということですか」
「我々ふたりだけだ」
「どういうことです」
それでは理屈が通らない。
なぜ彼等は本当のことを打ち明けてくれないのかと、瞬はその事実にやるせなさすら覚え始めていた。
瞬の悲嘆混じりの質問に答えてくれたのは、迅雷のトアスだった。

「ハーデスの目的はキグナスへの意趣返しだと言っただろう。冥府の王は、キグナスから君を奪えそうな人間をセレクトしたんだろうな。つまり、悔いの残る人生を送った者たちの中で、特に見栄えのする我々ふたりを」
トアスが涼しげな目をして 事もなげに そう言い、瞬の悲嘆を一蹴してのける。
瞬の頭痛は更にひどくなった。

かの浜崎達也氏(仮名)に『おだやかな顔立ち。長い黒髪。白い肌、長い睫毛。西洋風の恐ろしげな白髪鬼のような他のギガスたちとは似ても似つかない』と表された迅雷のトアス。
かの浜崎達也氏(仮名)に『プラクシテレスの彫像に描かれた青年神ヘルメスのよう。気品があり親しみの持てる男。ブルネットの髪に、静かな湖にも似た瞳はおだやかで知性的』と表された、祭壇座アルターのニコル。
一般的に見れば、確かに彼等は見栄えのする男たちなのだろう。
そして、その見栄えに裏打ちされているのか、彼等は自負心も旺盛であるらしい。
彼等は、自分たちが冥府の王に特別に選ばれた二人であることを、至極当然のことと認識しているようだった。

自分の頭痛の原因が嘆きなのか、憤りなのか、あるいは呆れ果てて捨て鉢な気分になっているからなのかが 瞬当人にもわからなくなるほど、死んだ(はずの)男たちの表情には翳りがなかった。
瞬が、ついに彼等の真意を探ることを諦めて、口をつぐむ。
代わって、
「か……勝手なことを言うなーっ! 瞬を俺から奪うだとぉー !? 」
とアテナ神殿の広間に大声を響かせたのは、それまでずっと 生き返った男たちに完全に無視されたていでいた某白鳥座の聖闘士だった。
瞬の横で口をぱくぱくさせているだけだった氷河が、事ここに至って、やっと声を発する術を思い出したらしい。
それは、そういうタイミングで発せられた怒声だった。

「おお、そこにいたのか、キグナス。アンドロメダの可愛らしさに目を奪われていて、全く気付かなかった」
白々しいほど にこやかに笑って、トアスが瞳を見開く真似をする。
逆にニコルは、その目をすがめるようにして、かつての彼の部下――部下だったろう――に見下すような視線を投げてきた。

「まさか君が瞬とそういう仲だったとはね。同じ場所で、同じ目的のために共に闘う仲間同士だったというのに、君たちの仲に全く気付かずにいた自分の迂闊にも腹が立ったが、冥界でハーデスにその事実を知らされた時には、私は瞬の見る目のなさを嘆かずにはいられなかったぞ」
「気付くわけがない。貴様は貴様のお気に入りしか見ていなかったからな」
「鋭いところを突いてくるな、君は。だが、そう、私がこうしてここにやってきたのは、自分が生き返りたいためでもあるが、義憤からでもある。清らかな瞬をたぶらかす大悪党を懲らしてやることが、かつては聖闘士たちの管理統率を任されていた私の務めだと思ったのだよ」
「権力をかさにきた依怙ひいき野郎が、どの口でそれを言う!」
氷河の悪罵が 紛れもない事実だっただけに、ニコルは軽く肩をすくめて苦笑した――軽く肩をすくめて苦笑しただけだった。
氷河の非難の内容は、今更 瞬に知られて困るようなことではなく、彼としては むしろ瞬に知ってほしいことだったのだ。

反抗的な目をした氷河を更に挑発するように、聖域と人類の敵だった男が、聖闘士同士のいさかいの間に割って入ってくる。
「いつぞやは私とアンドロメダの逢瀬を邪魔立てしてくれたな。礼を言うぞ。あの時は、ガキが何をいきがっているのかと疑ったものだが、そういう事情があったとは。瞬はこれほど若く美しいのに、残念ながら目は悪いようだ。なに、アンドロメダの眼病は、私が私の魅力ですぐに治してやるから安心したまえ、この青二才」

「ジジイがふたり揃って何をほざくか、この助平野郎共ーっ !! 」
死んだ者は死んだ者たちの国で大人しくしていればいいのだという本音を言葉にしてしまわないだけの分別はあったのか――おそらくは、あったからこそ かえって――氷河の罵倒は下世話なものになってしまっていた。
「氷河! じじいだなんて、そんな失礼なこと!」
若く・・美しいアンドロメダの聖闘士が、全身の血を頭にのぼらせて いきり立っているような氷河を、懸命になだめようとする。
ニコルたちは、そんな瞬に協力するどころか、楽しそうに笑いながら、
「盛りのついたヒヨッコが何やらピーピー鳴いているようだな」
とか何とか言って 瞬の努力に水を差し、氷河の怒りに油を注いでくれたのだった。






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