氷河が修行中に利用していたという小屋――良く言ってログハウス――は、リビングダイニングらしき部屋と寝室があるだけの、素朴で小さな建物だった。 リビングダイニングらしき部屋には暖炉を兼ねた竈があり、その上に 大きな鍋が置かれている。 それが、噂のヤコフのシチューであるらしかった。 「氷河は、ずっと この家にいたの? 真冬の間も?」 瞬が氷河にそう尋ねたのは、その可愛らしい建物が風雪を遮る樹木もない平原にぽつりと建っている一軒家だったからだった。 真冬に雪に閉ざされてしまったなら、この家の住人は、たとえどれほど飢えても、どれほど重篤な病に冒されても、一歩たりとも外に出られそうにない。 今になって心配しても詮無いことを心配している瞬に、氷河が首を横に振る。 「ここは天気のいい冬場に修行のために使う出張所のようなものだ。いわゆるロシア式 「ヤコフもその村にいるんだね」 「その村で、祖父と暮らしているはずだ」 「ヤコフは、その2キロも離れたところからシチューの鍋を運んできてくれたの」 「犬ぞりを使えば10分とかからん」 「犬ぞり……。へえ……」 犬ぞりを走らせて10分の距離。 聖闘士の足なら、もっと早く着くだろう。 翌日、瞬が、シチューのお礼がてらヤコフに会いに行こうと氷河に提案したのは、あの利発そうな氷河の小さな友だちと 氷河を介さない友だちになり、そして、氷河の話をしたかったからだった。 どれほど多く見積もっても100人以上の住人はいなさそうな小さな村。 その村の端にある素朴な造りの小さな家。 ヤコフの住まいだという家の前には、一頭の大型犬と、その犬に引かせるものらしい一台の荷車があった。 背の高い白髪の老人が荷車の手入れをしている脇で、ヤコフが毛の長い大きな犬の背中を撫でている。 その純朴で優しい光景に、瞬は思わず、『フランダースの犬』のネロと彼の祖父を連想してしまったのである。 ヤコフの祖父は遠来の客に温かい笑みと言葉をかけてくれたのだが、ヤコフは今日も その唇を引き結んだままだった。 瞬がシチューの礼を告げても 一言も口をきかず、ついと横を向いてしまう。 優しげな老人が孫の態度を怪訝そうに眺めたところを見ると、ヤコフの無愛想は、やはり瞬に対してだけのものらしい。 瞬は、あまり嬉しくない その事実を認め、落胆し、両の肩を落とすことになったのである。 「嫌われちゃったのかな。やっぱり僕はヤコフから氷河を盗った泥棒なのかな……」 「そんなことはない」 「でも……」 氷河は言下に否定したが、瞬は彼の言葉を素直に信じることはできなかった。 本来は人見知りをしない愛想のいい子供が、初めて出会った人間に ここまで素っ気ない態度を見せる理由に、瞬は他に思い当たる節がなかったのである。 ヤコフは、氷河を慕っていて、大切な友だちを見知らぬ他人に盗られたと思っているのだとしか。 だが、瞬としては、氷河を慕っている幼い子供に嫌われたくはなかったのである。 瞬は、ヤコフと仲良くなりたかった。 どんな時にも希望を抱き、しかも諦めが悪いのがアテナの聖闘士の身上である。 瞬は、氷河の小さな友だちと仲良くなりたいという望みを叶えるべく、その日から懸命の努力を開始した。 もしかしたら見ることができるかもしれないと言われていたオーロラや、氷河が母親と共に幼い頃を過ごし修行をした場所を見るという、当初のシベリア訪問の目的も忘れて――つまりは、氷河そっちのけで――瞬はヤコフを追いかけ始めたのである。 「あのシチュー、作るのに、何か特別なコツがあるの?」 「この犬、名前は何ていうの?」 「犬ぞりって、人を乗せて走ることもできるの?」 瞬がいくら話しかけていっても、ヤコフはまともに返事を返してくれず、その表情も一向に和らぐ気配を見せてくれなかった。 『ヤコフは誰にでも愛想がいい』という氷河の言は本当なのかと疑わずにはいられないほど ヤコフは頑なで、彼と瞬の間の距離はなかなか縮まらない。 それでも瞬は諦められなかった。 なにしろ瞬は、愛想のない子供には 幼い頃の氷河で慣れていたのだ。 ヤコフの姿が幼い氷河に重なるからなおさら、彼と仲良くなりたいという瞬の思いは募ったのである。 そんなふうにヤコフの態度は頑なだったが、ヤコフと仲良くなりたいという願いを瞬に諦めさせなかったものもまた、ヤコフの態度だった。 ヤコフは、実際のところ、瞬に対して素っ気ない態度を示すばかりではなかったのだ。 素っ気ないのに――時々ヤコフは切なそうな目で瞬を見詰めてくる。 ヤコフにすげなくされて瞬が落胆していると、パンや小さな白い花や そのたび新たな希望を得たような気持ちになった瞬がヤコフに近付いていこうとすると、だが、ヤコフは瞬の側から すっと身を引いてしまうのだ。 ヤコフに親切にされたり、素っ気なくされたりするたびに一喜一憂する自分を、瞬は、まるで恋の手管に長けた遊び人に翻弄されている世間知らずの少女のようだと苦笑することになったのである。 いずれにしても、ヤコフと仲良くなりたいという思いを瞬に諦めさせてくれないのは、ヤコフの方だった。 |