「どうしたのです。聖域には黄金聖闘士たちがいるから、あなたたちは来るには及ばないと、あれほど言っておいたのに」
聖域にやってきた青銅聖闘士たちを、アテナはやはり歓迎してはくれなかった。
星矢が、へたをすると即行で帰国命令を出しそうなアテナの機先を制する。
「最近 聖域に黄金聖闘士たちの幽霊が出るっていう話を聞いたからさ。奴等が化けて出てきた原因が俺たちへの恨みだったら、奴等を成仏させてやれるのは俺たちだけだろ」

「幽霊?」
聖域に出る幽霊の話を、どうやらアテナは知らなかったらしい。
一瞬 怪訝そうな顔になったアテナの隙を衝くように、星矢は、
「幽霊の正体を確かめたら、もちろん すぐに日本に帰る。せいぜい1日か2日で片はつくだろ。大丈夫だって。俺たち、余計なことはしねーから!」
と、一気にまくしたてた。
そのままアテナの返事を待たずに、彼の女神に背を向け、歩き出す。
アテナに歓迎されていない事実に 少なからず傷付きながら、瞬たちもすぐに星矢のあとを追って、アテナ神殿を出たのだった。

「んーと、じゃあ、まず最初にムウのとこに行って事情を聞いてみるか」
アテナ神殿を起点とするなら、ここから最も近い存命の黄金聖闘士がいる宮は天蠍宮である。
にもかかわらず、星矢がミロの宮に行こうと言い出さなかったのは、ミロよりムウの方が聖域の事情に通じていると考えたからだったのか、黄道十二宮を巡る際の順序を守ろうとしたからだったのか。
あるいは、自分たちがアテナに歓迎されていない事実に傷心し、そのため 合理的な判断ができなかったせいなのか。
いずれにしても、星矢の仲間たちは、気落ちしているが嫌でも見てとれる星矢の言葉に異議を挟むことはしなかったのである。

そうして向かった聖域の第一の宮、白羊宮。
しかし、そこに目当ての人の姿はなかった。
生きている黄金聖闘士たちは全員聖域にいると聞いていた青銅聖闘士たちは、肩すかしを食った格好で、仕方がないので次の金牛宮に向かったのである。
だが、そこにも宮の主はいない。
続く獅子宮、処女宮、天秤宮、天蠍宮も、すべて留守。
星矢たちが やっと金色の影を見い出すことができたのは、今は空位となっている教皇の御座所、教皇殿の広間まで来てからのことだったのである。

金色の影が一つ二つだけでないところを見ると、存命の黄金聖闘士たちは全員 そこに集まっているらしい。
幽霊対策でも練っているのかと思いつつ、広間の中に入っていこうとした青銅聖闘士たちの足を止めたのは、
「それは恋をさせるしかないだろう」
という、蠍座の黄金聖闘士の声。
(恋……?)
あまりに場にそぐわない奇妙な単語を聞かされて、青銅聖闘士たちは その場に立ち止まり、我知らず互いに顔を見合わせてしまったのである。

「恋人以外の誰かのものになることはできないと思うようにさせるということか」
アイオリアが、奇妙な単語を奇妙と感じていないような声で、ミロに尋ね返す。
ミロは彼に頷いたようだった。
「正義や平和を守ろうとする思いも友情もいいが、やはり恋ほど強い執着を生む感情はないだろう。しかも、恋は友情とは違って、精神面だけではなく、肉体的にも固着を生む。これは重要だ」
「一理ありますが、どうやって恋をさせるのです。あの、見るからに奥手の――」
ムウも やはり聖域にいたらしい。
この分だと、ムウと並んで聖域留守率の高い老師も、この場にいそうである。
だが、それにしても。

「いったい黄金聖闘士たちは何の話をしてるんだ?」
当然の疑問を、星矢が小声で仲間たちに囁く。
「そこにいるのは誰だ!」
途端に 青銅聖闘士たちの上に振ってきたのは、乙女座の黄金聖闘士の妙に甲高い声だった。
「あ、俺たち、別に盗み聞きするつもりは――」
誰だと問われて、隠れる必要もない。
青銅聖闘士たちは、少しばかりきまりの悪い面持ちで、黄金聖闘士たちのいる広間の中に入っていった。
そこにいた黄金聖闘士たちが、青銅聖闘士たちの姿を認め、にわかに周囲の空気を緊張させる。
まるで不法侵入者を咎めるような黄金聖闘士たちの視線に、星矢たちは しばし たじろぐことになってしまったのだった。

「な……なんだよ?」
「君たちは、いつ聖域に来たのだ」
シャカが、それでなくても頭に響く頭声を更に上擦らせて、青銅聖闘士たちに尋ねてくる。
だが、その時には星矢たちは、彼の質問に平常心で答えられるような状態ではなくなっていたのだった。
ムウ、アルデバラン、アイオリア、シャカ、老師、そしてミロ。
先の十二宮の戦いで生き延びた黄金聖闘士たち。
ここにいても不思議ではない黄金聖闘士たちの中に、ここにいてはならないはずの金色の影が混じっていることに気付いてしまったせいで。
サガ、カミュ、シュラ、アフロディーテ、デスマスク。
死んだはずの男たちが、そこにいた。

「なんで、あんたたちがここにいるんだよっ!」
「カミュ……」
「シュラ……」
氷河が後悔を、紫龍が無念をにじませた声で、彼等が倒した黄金聖闘士の名を口にする。
「アフロティーテ……」
瞬の声には、後悔や無念の他に罪悪感の響きが混じっていた。

青銅聖闘士たちに名を呼ばれて、最も動揺したのはアフロディーテだった。
美しさ最重視の彼が、そのスタイルを維持することを忘れたように、露骨に慌てふためく様子を見せる。
もっとも彼は、すぐに態勢を立て直し、彼を醜い敗北者にしてくれた青銅聖闘士の側に、臆したふうもなく歩み寄ってきたが。

「それはもちろん、君に会いたかったからに決まっている。可愛いアンドロメダ」
「は……?」
アフロディーテにとってアンドロメダ座の聖闘士は、彼の命のみならず、そのプライドまでを粉々に打ち砕いた宿怨の相手である。
憎い敵に にこやかな笑みを向け、更に 右の手で瞬の頬に優しく・・・触れ、とどめが、
「しかし、滑らかな肌だ。いったい どういう手入れをしているんだ?」
である。

氷河はぞっとして、瞬の頬の上で 何やら怪しい動きをしている指ごと、アフロディーテの腕を力任せに払いのけた。
「瞬に触るなっ。幽霊のくせに!」
あまりの異常事態に自失したのか、驚愕のせいで心身が硬直したのか、ともかく平素より動きが鈍くなっている瞬を その背後に隠し、氷河がアフロディーテを怒鳴りつける。
88星座 全聖闘士中 随一と言われる魚座の聖闘士の美貌は、氷河の怒声を受けて、いたく不愉快そうに歪んだ。

「死んだ者がアンドロメダに触れてはいけないか」
「いいわけがないだろう! 幽霊なんだぞ、貴様は! さっさと あの世なり地獄なりへ帰れっ」
「随分な言い草だ。カミュ」
いきり立つ子供の相手はしていられないと言わんばかりの態度で、アフロディーテが氷河に背を向ける。
代わって舞台中央にやってきたのは、水瓶座アクエリアスのカミュだった。

「氷河。おまえは師である この私にも そんなことを言うつもりか。今すぐ空しく冷たい死者の国に帰れと」
「う……」
自分の師、しかも自らが命を奪ったカミュが相手となると、氷河もアフロディーテに対するように強気ではいられない。
カミュに問われ、氷河は一瞬 たじろいだ。
「し……しかし、我が師カミュ。これは命のことわりに反することです」
「命の理? そんなものを凌駕する強い力に導かれて、私はここに来たのだ」
「命の理を凌駕するほど強い力とは――」
「おまえは知らなくていい」

弟子の質問を無視するという、指導者にあるまじきことをして、カミュは可愛い(はずの)弟子の肩を左手で掴み、その身体を脇に押しのけた。
そうして瞬の前に立ち、愛弟子に対するそれより 確実に3割は優しさを増した声、5割は真剣さを増した顔で、
「だが、君は知ってくれ、アンドロメダ。私は君のために、生者の国に戻ってきたのだ」
と告げる。
「え?」
他の死没聖闘士はどうあれ、カミュの復活だけは可愛い弟子を案じてのことと信じていただけに、カミュの言葉は瞬を驚かせた。
脇に押しやられた氷河が、師の乱心――氷河にはそうとしか思えなかった――に、酸素不足の金魚さながら、口をぱくぱくさせる。

いったいカミュは、アフロディーテは、何を考えて 生者の国に舞い戻ってきたのか。
そもそも彼等は何かをちゃんと考えているのか。
訳がわからず混乱し、その場で唖然とすることになったのは、瞬と氷河だけではなかった。
青銅聖闘士たちは、だが、その程度のことで呆けている場合ではなかったのである。
カミュの次に瞬の前に立ったのは、山羊座カプリコーンのシュラだった。

「私はしばらく眠りたかった。ほんのしばらく、1分、1世紀。だが君には知っていてほしい。私が死んでいないことを」
「え……?」
比喩ではなく本当に、瞬はシュラが口にした言葉の意味がわからなかった。
彼の意図は、なおさら わからない。
「そ……それは何?」
「私の故国スペインの魂の詩人と言われるロルカの詩だ」
「だ……だから、それが?」
「俺は不器用な男で、自分の心を上手く君に伝えるための自分の言葉を持たん。君に俺の心を知ってもらいたいという思いが、俺をここに呼んだということだ」
「う……」
紫龍が低い呻き声を洩らしたのは、アフロディーテやカミュに比べると かなり ひねりの利いたシュラの迫り方に感心したからではない。
そうではなく――これまで瞬とは ただの一度も口をきいたことがないはずのシュラまでが、瞬に迫り口説き落とそうとすることの不自然に、彼は呆れてしまったのである。

「シュラ。いったいどうしたというんだ。頭の方は大丈夫か」
「大丈夫なわけはねーぜ! イルカだかオルカだかは知らねーが、他人の言葉で女を口説き落とそうなんざ、男の風上にも置けねー野郎だ。今 問題なのは、イルカやオルカじゃなく、やるか やらないか、寝るか寝ないかだろう」
次に瞬とシュラの間に割り込んできたのは、蟹座キャンサーのデスマスク。
彼は、その宣言通り、彼自身の言葉で瞬に迫ってきた。
「おう、俺は他の奴等みたいにまだるっこしいことは言わないぞ。おまえが俺と寝てくれたら、俺はおまえに 死ぬまで蟹シャブ食い放題を約束してやる」
「デ……デスマスク、き……貴様まで――」
デスマスクの戦法は、他の黄金聖闘士たちと違って、見事に野卑で下卑ていた。
だが、目的は明確で、非常に理解しやすい。
死んだはずの男たちに訳のわからないことを言われ続けていた瞬も、蟹座の黄金聖闘士のその言葉によって初めて、そして やっと、自分が死没聖闘士たちに何を求められているのかを理解することができたのである。
理解できてしまいたくなかった――というのが、瞬の正直な気持ちだったが。

「つまり、我々は、全員がアンドロメダのために死者の国から蘇ってきたということだ」
最後に真打ち登場とばかりに 瞬の前に進み出てきたのは、双子座ジェミニのサガだった。
仮でも偽でも 元教皇。
彼は 死者の国から蘇ってきた黄金聖闘士たちの事情を総括し、青銅聖闘士たちの前に提示するという、いかにも全聖闘士の頭領にふさわしい仕事をこなしてくれた。
星矢が、驚愕と情けなさの入り混じった悲鳴をあげる。
「我々全員って、あんたもかよ!」
「当然だ。アンドロメダを思う私の心は、他の誰より強く深いと自負している」

微笑すらなく完全に真顔。全く冗談の響きのない声。
自分に課せられた至上義務を報告するように 恋を語るサガが、もしかすると いちばんたちが悪い。
そして、恐ろしく、不気味である。
星矢はサガの真顔のせいで、目眩いと怖気おぞけに襲われることになってしまったのだった。
最後にサガさえ しゃしゃり出てこなかったなら、星矢も、『これは黄金聖闘士たちの笑えない冗談なのだ』と思うことができていたかもしれない。
だが、生まれて この方 ただの一度も冗談を言ったことのないようなサガに 糞真面目な顔で出てこられてしまったのでは、それは無理な話だった。

まさか黄金聖闘士に対して邪険な態度をとることもできず、アテナの聖闘士が“敵”に背中を見せて逃亡することは なおさらできない。
進退窮まった瞬の瞳には、うっすらと涙がにじんできてしまっていた。
「ばか、瞬。こんなことで泣くなよ!」
こうなったら、生きている黄金聖闘士たちに、仲間の乱心を たしなめてもらうしかない。
そう考えた星矢が、聖闘士たちの実質的最高責任者である老師の方に向き直った時だった。
「我々を忘れてもらっては困りますね」
そう言って、牡羊座アリエスのムウが、サガを押しのけて瞬の前に立ったのは。

「瞬。君が私を受け入れてくれたなら、私はいつでも君が望む時に、君の聖衣を修復バージョンアップすることを約束しましょう。もちろん、ただで。修復に必要な血は、その辺りにいる黄金聖闘士から調達します」
「あ……」
これは もはや悪夢だった。

牡牛座タウラスのアルデバランが、
「蟹シャブよりステーキだ。アンドロメダ、おまえはもう少し肉をつけた方がいい。おまえが俺を選んでくれたら、おまえは一生 ステーキ食い放題だ。俺はムウより お得だぞ。気は優しくて力持ち」

獅子座レオのアイオリアが、
「聖闘士には、肉を食うことより、身体を鍛えることの方が より重要なことだろう。脂肪より筋肉だ。アンドロメダ。俺がその細腕をたくましく変えてやろう。もちろん、手取り足取り親切指導、会員登録無料で十二分に行き届いたサービスを約束する」

あげく、最も神に近い男が、
「煩悩から開放された悟りの境地に、私と共に行ってみないか。自慢ではないが、愛の技術書アルス・アマトリアは私の愛読書だ。君に、五感第六感すべてが燃え尽きるほどの快楽を経験させてやろう」

よもやまさかの老師までが、
「聖衣も体力も筋肉も快楽も、すべては命あっての物種じゃ。わしが、おまえにいつまでも若くいられる術を伝授してやろう」
――である。

この場にいる黄金聖闘士全員が、カーサの化けた黄金聖闘士もどきだったら どんなにいいかと、青銅聖闘士たちは思った。
まさか自分たちがリュムナデスのカーサのお出ましを切望することがあろうとは。
そんなことを期待している自分たちに愕然としながら、それでも青銅聖闘士たちは 空しい願いを願わずにはいられなかった。

黄金聖闘士たちの誰かが あともう一言 何かを言ったら、瞬の瞳から涙がこぼれ落ちる。
そうと気付いた氷河は、慌てて、
「いい加減にしろっ! 瞬は俺のものだっ!」
という怒声を教皇の間に響かせたのだが、白鳥座の聖闘士の乾坤一擲の訴えは、黄金聖闘士たちによって軽く一笑に付されてしまったのだった。

「どさくさに紛れて、なにやら身の程知らずなことを わめいているヒヨッコがいるようだが」
「カミュ。躾がなっていないな」
「ああ、申し訳ない。氷河、静かにしろ。ここは 子供の出る幕ではないのだ」
「カミュ……」
たとえ その死の本当の原因が、大局を見る視点の欠如、柔軟性に欠けた固陋 頑迷 石頭であっても――それがわかっていても――敬愛し続けていた師の理不尽な叱咤。
あまりの情けなさに、氷河は――氷河こそが――大泣きに泣いてしまいたい気分だった。






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