氷河と瞬は、瞬が沙織のお供で『井筒』を観にいく その前日まで、“割といい感じ”だったのである。 大上段に構えて恋の告白なる行為に及んだことはなかったが、白鳥座の聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に好意を抱いていることを、瞬は薄々察してくれているだろうと、氷河は思っていた。 改めて打ち明けたり、相談したりしたことはなかったが、その件に関しては、星矢や紫龍も承知しており、氷河が瞬に向ける好意は正式に公認されているわけではなかったが、半正式半公認状態。 星矢や紫龍たちも、『瞬の側に、特に不都合や異議がなければ、二人は いずれくっつくもの』と考えているようだった。 普段 憎まれ口ばかり叩き合っていても、アテナの聖闘士たちの友情は堅固である。 氷河自身は、もちろん完全にそのつもり、龍座・天馬座の聖闘士も そうなるだろうと決めつけていることとなれば、瞬の周囲は外堀内堀共 埋められたも同然。 瞬は大坂夏の陣直前の大坂城同様、もはや落城するしかない。 いかに瞬が鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士でも、その防御力は、人の情の前には無力。 白鳥座の聖闘士は、突然の鳳凰座の聖闘士の来襲にのみ備えていればいい――。 それが、氷河のみならず、城戸邸に起居するアテナの聖闘士たちの共通認識だった。 瞬も そういう認識でいたのかどうかまでは 氷河も確かめたことはなかったが、日常生活における瞬の素振りは、白鳥座の聖闘士への好意が感じられるものばかり。 そして、瞬は鈍感な人間ではない。 当然 瞬はわかってくれている――と、氷河は信じていたのである。 実際、瞬が『井筒』を観に行く前日、氷河は さりげなく瞬にキスをしようとして、さりげなく瞬に 瞬が白鳥座の聖闘士を嫌っているのなら、瞬はもっと はっきりと拒絶の意思を示していたはず、瞬はただ恥ずかしがっているだけなのだと氷河に思わせるには十分な――まさに 思わせぶりな態度を瞬に示されたばかりだったのだ、氷河は。 言葉でも『好きだ』と告げ、再度 迫れば、次は瞬は逃げることはないだろうと、氷河は信じていたのである。 二人は まもなく結ばれる。 それは既に時間の問題になっている――と。 それが、沙織に変な能を見せられたばかりに、瞬は いらぬことを意識するようになり、いらぬことを案じるようになってしまったのだ。 そう考えると、芸術とやらを愛好し 人生を豊かなものにしようと努めているらしい女神への怒りが、氷河の中に ふつふつと湧き起こってくる。 そして、そんな憤りとは別次元の問題として、だからといって氷河は瞬を諦めるわけにはいかなかった。 そんなことができるわけがない。 当然だろう。 『好き』という感情は、それほど簡単に生んだり消したりできるものではないのだから。 「空揚げか髪上げかは知らんが、俺は絶対 俺の手で瞬の髪を上げてみせる!」 ゆえに、氷河は 固く決意したのである。 「それって、そんな意気込まなきゃならないようなことなのかあ?」 星矢が何やら ぼやいていたが、今の氷河には外野の騒音は何も聞こえていなかった。 |