「おい、この小宇宙は――」
唯一、彼等全員・・・・にジュデッカで接したことのある星矢が、まるで地獄の入口で その門に記されている『この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ』の銘文を読んだ詩聖ダンテのように暗鬱な顔になる。
「何だ。おまえの知り合いか」
「知り合いっていうほどのもんじゃないと思うけど――。俺が このおっさんたちに会った時、二人は眠りこけてたし……」
「おっさんたち?」
「ガキにおっさん呼ばわりされる筋合いはないわ!」

地獄の底から湧き起こってきたようなドスの利いた低い声が、メイドの頭の上から響いてくる。
客人は客人としての礼儀を心得ていないばかりか、直情径行の気味もあるらしい。
星矢の忌憚のない評価が、彼等の勿体振った登場を演出しようという気を殺いでしまったのか、次の瞬間、彼等は実に堂々と その姿をアテナの聖闘士たちの前にさらしていた。
彼等とは、もちろん、冥界三巨頭――天猛星ワイバーンのラダマンティス、天雄星ガルーダのアイアコス、天貴星グリフォンのミーノスの三人である。
さすがに冥闘衣は身にまとっていない。
冥闘衣に似た鈍色にびいろのスーツ着用、ネクタイも同色。
襟のカッティングやボタンの配列が違うのは、お揃いのスーツなりに個性を出そうとしてのことか。
微妙に 似合っている者と似合っていない者がいるのは、ご愛嬌というところだったろう。
氷河が彼等の気配を『接したことがないでもない』と感じたのは、彼が接したことのある人物が その中に一人だけ混じっていたからだったのだ。

それは紛うことなき冥界の三巨頭――ラダマンティスはカノンに倒され、アイアコスは一輝に倒され、ミーノスは氷河に倒されて(というより、人の身で嘆きの壁を超えたために超次元に飲み込まれて)、その命を落としたはずの男たちだった。
「貴様等、死んだんじゃなかったのか」
「人が死者の国で死んだら、その者は生きているに決まっているだろう」
「なんだ、その理屈は」
「冗談という理屈だ。ともかく我々は生きている。それが現実だ。受け入れろ」

受け入れろと言われても、素直に受け入れることのできない事実というものが、この世にはある。
そして、受け入れたくなくても受け入れるしかない現実というものも、この世には存在する。
三巨頭の生存とスーツを着ての登場は、その前者であり後者だった。
事実というものは、たとえアテナの聖闘士が命懸けで拒否しても、事実として そこに存在するのだ。
氷河は――星矢も紫龍も――この事実を認め受け入れないわけにはいかなかった。

「ようやく俺たちを認めるようになったようだな。まあ、貴様等が俺たちを認めようが認めまいが、俺たちにはどうでもいいことだ。大事なのは――」
「ところで、ハーデス様――アンドロメダ様がいらっしゃらないようだが」
ガキを相手に何を詰まらないことを言っているのだと言いたげな口調で、ラダマンティスが言おうとしていたのであろう“大事なこと”を、ミーノスが口にする。
氷河は、当然のことながら、その こめかみを ぴくぴくと引きつらせることになった。
「アンドロメダ様だと? 貴様等、また瞬を利用して、悪巧みを企んでいるんじゃないだろうな!」

もしそうなのであれば、彼等を瞬に会わせるわけにはいかない。
そうでないのだとしても、会わせたくない。
これ以上 邪魔者に増えられてたまるかという切実な思いが氷河の心身を刺激し、彼は無意識のうちに小宇宙を燃やし始めていた。
そんな氷河に、アイアコスが――白鳥座の聖闘士の小宇宙燃焼の一因である男が、白々しくも――自制を促してくる。
「そうではない。短気な男だな。屋内で小宇宙を燃やして戦いを始める気か? 我等は困らないが、そんなことをしたら、君等が生活の場を失うことになるだろう。少しは冷静になったらどうだ」
「む……」
アイアコスの言う通りだった。
氷河自身は、雪の上でも流氷の上でも野宿はできるし、屋根のない場所での生活も平気の平左だったが、彼は今は――今だけは――城戸邸という、この建物を失うわけにはいかなかった。
この屋敷は、このGWに、白鳥座の聖闘士が その熱愛する恋人と愛を深め合う(予定の)場所。
絶対に失われてはならない大切な場所だったのだ。

「悪巧みをしているのでないというのなら、では なぜ貴様等が瞬に会いにくるんだ。まさか、そこいらの身の程知らずの大馬鹿野郎同様、瞬に助平心を抱いたわけではないだろう」
氷河は、三巨頭に対して、その点に関してだけは疑念を抱いていなかった。
彼等が瞬への助平心に突き動かされて 瞬の許にやってきたというのであれば、三人揃って仲良く ここに来た時点で、彼等は既に終わっている。
氷河の推察通り――三巨頭の城戸邸来訪は瞬への助平心に突き動かされてのことではなかったらしい。
アテナの聖闘士たちに、その辺りの事情を語り始めたのは天貴星グリフォンのミーノスだった。

「我々は冥界屈指の実力者であり、冥界最高の戦闘力を誇る者たちだ。相手がアテナの聖闘士であろうと負けることはない――少なくとも、たやすく負けることはない。しかし我々は――つまり、セカンドマンなのだ」
「セカンドマン? 貴様等、野球でも始めたのか」
絶対に違っていると わかった上での氷河の突っ込み。
ミーノスは、無駄かつ無意味な突っ込みを入れてきた氷河に、冷ややかな軽蔑の一瞥を投げてきた。
「優れた主君トップに戦いの目的を与えられ、その指示に従い動くことで初めて、持てる力を十分に発揮できる者たちという意味だ。我々が進むべき道を 我々に示してくれる指導者統治者がいなければ、我々は我々の強大な力を どう使えばいいのかがわからない。それでは どれほどの力を持っていても無意味、まさに宝の持ち腐れだろう」

彼等は、つまり、ポテンシャルのある選手が揃っているにもかかわらず、優れた監督がいないせいで、試合における勝利どころか 肝心の試合自体を始められずにいる野球チームのようなもの――であるらしい。
『名選手 必ずしも名監督ならず』で、彼等のうちの誰かがチームの指導的立場に就くこともできない。
そうなっても ろくなことにならないことを、彼等自身が知っている――らしい。
結局 野球と同次元の話ではないかと、内心で氷河は思った。
思ったことを言葉にしてしまわなかったのは、“セカンドマン”の説明に続けてミーノスが言うであろう言葉が、氷河に わかってしまったから。
これが野球チームの監督招聘しょうへいの話ではないことが、わかりたくもないのに 氷河には わかってしまったからだった。

「我々はハーデス様を失った。我々には、ハーデス様に代わって、我々が進むべき道を示し、具体的な命令を下してくれる方――つまり、主君が必要なのだ。我々の王と言ってもいい」
よりにもよって この死に損ない三人組は、その主君に瞬を選んだのだ。
瞬の意思を確かめもせずに。
瞬の意思――つまり、このGWに白鳥座の聖闘士と愛を深める予定になっている白鳥座の聖闘士の恋人の意思も確かめずに。
氷河にしてみれば、実に全く『おととい来い!』と怒鳴りつけてやりたくなる話だった。

「貴様等は瞬を誤解している。本来の瞬は、大人しくて控えめで優しくて、人に命令したり顎でこき使ったりすることができるような子じゃないんだ。貴様の頭目なんて無理だ、無理。他を当たってくれ」
氷河は ひらひらと右の手を振って、三巨頭に退場を促したのである。
が、残念ながら、彼等は、それで大人しく この場を去るような男たちではなかった。
それが、彼等から見れば ただのガキでしかない氷河の指図となれば、なおさらなことだったろう。

「ハーデ……アンドロメダ様の気質や性格はどうでもいいんだ。アンドロメダ様が、我々が仕えるにふさわしい高貴、気品、美しさを備えていてくださりさえすれば。アンドロメダ様は、地上で最も清らかな魂を持つお方だというではないか。それは、我々が仕える王の持つ価値としては申し分のないものだ。我々も そんなお方に仕えることを誇りに思うことができる。我々を統べ導く者として、我々が我々の身命を賭して仕える主君として、アンドロメダ様以上のお方は この地上に存在しない」

有能な男たちが身命を賭して仕えるに ふさわしい人間は、この地上に瞬しかいない――というミーノスの発言は、氷河には大いに同感・理解・共鳴できるものだった。
さすがは冥界三巨頭、人を見る目は優れている――と思わないでもない。
しかし、瞬は、複数の男を自分の周囲に侍らせて悦に入るような俗悪な趣味を持ち合わせた人間ではない。
瞬に身命を賭して仕えることのできるポストは一つきり。
そして、その唯一のポストは、白鳥座の聖闘士キグナス氷河によって予約済みなのだ。
言ってみれば、三巨頭は遅すぎた男たちなのである。
氷河は、彼等には速やかに お引取りを願いたかった。

「高貴で偉そうに命令してくれる主君がほしいなら、アテナに仕えたらいいじゃん。なんたって神だぜ、神」
そんな氷河の気持ちを察したわけでも、仲間である氷河の味方をしようとしたわけでもないだろうが、星矢がナイスなアイデアを提示してくる。
だが、星矢の提案に対する三巨頭の答えは、アイアコスが、
「アテナは私のタイプではない」
ラダマンティスが、
「女の上司はパンドラで懲りた」
そして、ミーノスが、
「仕えるなら、当然 美しい男子がいいということだな」
というもの。

要するに、彼等は、彼等の好みで瞬を自らの王に選んだのだ。
となると、話は厄介である。
それは つまり、文句のつけようのない大義名分をもってしても、一点の隙もない完璧な理屈をもってしても、彼等の意思を変えることはできないということ。
日本国はGWに突入、日本人なら どこかに観光に出掛けるべきであるという大義を掲げて邪魔者を追い払おうとしていたところに、邪魔者が三人も増殖。
恋の道は、実に ままならぬものである。
なにしろ、ままならないからといって、恋する男は その前進をやめることはできないのだ。
意思の力でも小宇宙の力でも、恋の感情を抑えることは不可能。
となれば、星矢より紫龍より先に、まずは この厄介な下僕志願者たちをどこかに追い払わなければならない――。

氷河が そう決意した時。
冥界三巨頭が伺候を望む彼等の王が、その場に ご来臨になった。






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