「賊をおびき出すために、国境警備の駐屯地に武器や生活物資を運ぶ部隊を仕立てる。おまえは、それに駐屯地の軍医の交替要員として同行しろ。うまく襲ってもらえたら、何とかして捕虜になり、山賊の村に入り込め。おまえが疑われることのないよう、運ぶ物資はすべて本物を積ませるようにする」 バーデン大公国陸軍大臣は、この山賊退治をかなり重要なことと考えているらしく、その宣言通り、ヒョウガの任務のために文句のつけようのない補給部隊を用意してくれた。 部隊の規模は平生の2割増し。 荷馬車に積まれた箱には銃器類が詰め込まれ、その箱は わざとらしくバーデン大公国の国旗で覆われている。 小麦等の穀物と保存のきく根菜類、ブセイスガウでは重税がかけられている塩。 山賊たちは、喉から手が出るほど、それらの物資を欲しがるはずだった。 時折、わざと馬を いななかせたり、荷馬車の車輪の調子が悪い振りをして、隊列を止めたりしながら、部隊は幅のない山道を一列になって進む。 長く伸びた隊列の脇を突かれたら、護衛の兵は為す術がないような荷車の行進。 それは山賊に襲ってくれと言っているようなもので、かえって罠と気付かれるのではないかと、ヒョウガは案じていたのである。 だが、山賊は律儀に補給部隊を襲ってきてくれた。 大臣は、山賊の数を2、300人と言っていたが、彼等は襲撃のたびに毎回全員を動員しているわけではないらしく、ヒョウガの任務のために整えられた補給部隊に襲いかかってきた山賊は、騎乗の者が10人ほど、 銃は持っておらず、武器は短剣が主。 奪うものが火器である可能性を考慮したのか、いつもこうなのか。 おそらく後者なのだろうと、ヒョウガは思った。 山賊というものは奇声をあげて獲物に襲いかかってくるのだろうと思っていたのだが、彼等の襲撃は極めて静かだった。 むしろ襲われる側の浮き足立った人足たちの悲鳴と叫喚のせいで、辺りは大騒ぎになった。 人数だけなら山賊たちの二倍といっても、補給部隊の構成は、山に慣れてはいても戦いを知らない人足80人と山に慣れていない警備兵30人。 山賊たちが手慣れているのか、補給部隊の覚悟と装備が お粗末すぎたのか――ヒョウガの目には、最初の数分で雌雄は決したように見えた。 山賊の中に、一人 目立つ男がいた。 漆黒の馬を操る体格のいい男。 低いが よく通る声で、他の者たちに短い指示を幾度も飛ばしている。 どうやら彼が賊の頭目であるらしい。 身に着けている衣服は お世辞にも美麗といえるものではなかったが、その所作その態度が、賊の中での彼の格の高さを如実に物語っていた。 山賊たちの捕虜にしてもらうのが、とりあえずのヒョウガの任務である。 ヒョウガは襲撃現場から逃げ出すわけにはいかなかった。 かといって、へたに抗戦して無駄な怪我もしたくない。 ヒョウガは、だから、乱闘の真ん中で為す術もなく阿呆面をさらしている男の振りをしていたのである。 そうしていれば、親切な山賊の誰かが怪訝に思い、哀れな ヒョウガの阿呆振りが見事だったせいか、ヒョウガの期待は まもなく叶えられた。 敵味方入り乱れての乱闘の中で ぼんやりしているヒョウガを見かねたのか、あるいは、ヒョウガの動向を怪しんでいるのか、混乱の中、栗色の馬に乗った小柄な山賊が、首をかしげながらヒョウガの馬に近付いてきてくれたのである。 が、小柄な山賊――と思ったのは、ヒョウガの間違いだった。 山賊の一味には違いなのだろうが、ヒョウガの側に とことこと近づいてきた馬上の人は、まだほんの子供だったのだ。 手足が剥き出しになっている簡素な麻の服。 惜しげもなく さらけだされている手足は、細く白く なめらか。 これほど山賊のイメージから かけ離れた山賊もいないだろうと、ヒョウガは、地上で最も不思議な生き物を見る思いで思った。 その手足より、更に山賊のイメージから かけ離れているのは その面差しだったろう。 その山賊は、いっそ見事としか言いようがないほど――少女のように可愛らしい顔立ちをしていたのだ。 彼が身にまとっている衣服が もう少し装飾が多く煩雑な作りのものだったなら、自分は この少年を少女と見間違えていただろうと、ヒョウガは多大な自信を持って思ったのである。 少女と見紛う その少年が、乱闘略奪騒ぎを気にとめた様子もなくヒョウガの側に近寄ってくる。 彼は、馬同士の鼻面が出会う場所で馬の足を止め、ヒョウガに尋ねてきた。 「あなたは逃げるか戦うかしないの? 荷物運びの人足にも護衛の兵士にも見えないけど」 声も少女めいている。 ヒョウガを 人足にも兵士にも見えないと言う その当人こそが、山賊に見えない。 歳の頃は10代半ば。 整った面立ちが冷たく感じられないのは、表情に まだ少し幼さが残っているから。 幼さが残っていると感じるのは、瞳が大きいから。 その瞳が、恐ろしく澄んでいた。 こんな綺麗な子供が、なぜ 剣のぶつかり合う音と怒号が飛び交う場所にいるのか。 その現実を疑うべき場面で、ヒョウガは、もし自分が山賊なら、他の略奪品には目もくれず、この可愛らしい山賊を略奪するのに――と、そんなことを完全に本気で思った。 そして、そんなことを本気で望んでいる自分に、少々呆れてしまったのである。 「落ち着いてるね。僕たちが恐くないの?」 可愛らしい山賊が、それこそ 落ち着いた声で重ねて尋ねてくる。 この段になって やっと自分の任務を思い出したヒョウガは、ぜひ この可愛らしい山賊の捕虜になりたいと、またしても完全に本気で思い、そのための活動を開始した。 「恐くて腰が抜けてるんだ。もともと俺は戦闘員ではないし、武器の扱い方も知らん。だからといって、ここで逃げたら臆病者と思われるだろう。どうすればいいのか迷っているところだ。だが――」 「だが?」 「抵抗しても無駄そうだな。特に、あの頭目。あの手際のいい指揮と戦い振りを見たら、抵抗しようなんて気も失せる。護衛の兵だけ選んで、一撃必殺。まあ、命は奪っていないようだが、こういう場面では かえってその方が面倒で難しい」 漆黒の馬に乗っている頭目は、自身の仕事を ほぼ終えつつあった。 見た限り、辺りに自分の足で立っている兵士は既に一人もいない。 その場には、足がすくんで動けずにいる人足が一人二人いるきりだった。 彼の手下たちも――賊の個々人の戦闘能力は、ナポレオンとの戦いですっかり自信を失った各国の正規軍の兵より はるかに上に思われた。 昨今は、どの国の軍隊も 兵の訓練より武器の整備の方に力を傾けているせいで、実際に戦うことのできる兵が減っている。 その点、この山賊の頭目らしき男は、彼自身の肉体と判断力が戦場では最も重要な武器なのだということがわかっている。 自身は一撃で護衛兵ばかりを2、30人を――つまりは ほぼ全員を――倒す仕事をしながら、部下たちには適切な指示を出し、彼の指揮に従う者たちは、そのほとんどが 戦闘ではなく荷駄の奪還のために動いていた。 ぜひ あの頭目と戦争ごっこをして遊びたいと、ヒョウガは 全身に熱い血をたぎらせながら思ったのである。 その上、戦いの勝利者に与えられる美しい姫君も ここにはいる。 ここは、ヒョウガにとって理想郷に近い場所だった。 もっとも、勝利者への恩賞になるべき美しい姫君は、ヒョウガよりも漆黒の賊の方に 我が身が与えられることを望んでいるようだったが。 「ふふ。そうでしょう? 僕たちの村でも――ううん、ブライスガウでも一、二を争う強い戦士だもの。抵抗しようなんて、考えるだけ無駄だよ」 「一、二を争う? あれと争えるような男が他にもいるのか? それは……ますますもって大人しくしていた方がよさそうだ」 「あなたは、自分では戦わないくせに、力のある人間は見極められるの?」 お姫様の声が、僅かに険しくなる。 澄んだ瞳に疑いの色を乗せて――それでも、姫君は花のように美しかった。 「あの男は特別だ。段違いに強い。戦い方が巧みで、隙も無駄もない。子供にでもわかるだろう」 お姫様は、極めて素直な ヒョウガが漆黒の男を褒めると、すぐに その瞳から疑いの色を消し、嬉しそうな笑顔になった。 「嬉しそうだな」 「あなたが褒めてくれたのは、僕の兄さんなんです」 お姫様は 至極 得意げ。 しかし、今度は、ヒョウガの方が 得意満面の姫君の顔を見て 深い疑念を抱くことになったのである。 「兄? まさか……。少しも似て――」 「似てないって言おうとしてる?」 上機嫌だった お姫様が、急に意地になったような素振りで その唇を きつく引き結ぶ。 褒め言葉のつもりで『似ていない』と言おうとしていたヒョウガは、慌てて お姫様に献上する言葉の内容を変更した。 「あ、いや。だから、へたに逃げない方がいいと思ったんだ」 澄んだ瞳の姫君は、疑い深い やがて短く吐息して、罪のない笑顔をヒョウガに向けてくる。 「その方が賢明だよ。僕も、あなたの その綺麗な お顔に傷なんかつけたくないもの。僕たちは馬と武器と物品しか奪わない。人の命は取らないから。よほど馬鹿げた暴れ方をされなければ、怪我もさせない。荷物をいただいて、ここに放っぽっていくだけ」 「馬を奪われるのは困るが、命を取らないというのは助かる。山賊としては良心的だな」 「命は取らないよ。僕、人を傷付けるのは嫌い。――本当に嫌い」 山賊のお姫様が 山賊らしからぬことを言って、僅かに瞼を伏せる。 そして、姫君は、 「バーデン大公家の者か、よほど熱烈に大公家に と独り言のように小さな声で呟いた。 単に バーデン大公による この地方への圧政を憎んでいるだけなのか、あるいは大公に個人的な恨みでもあるのか――お姫様の瞼に射した影が あまりに切なげで、気安く訊くことができず、ヒョウガは口をつぐむことになったのである。 |