山賊たちの村にやってきてから、ヒョウガは石造りの館に部屋を一つ与えられ、そこで寝起きしていた。 アロカシアの中毒患者たちは全員 回復していたのだが、住人が500人もいると、毎日1人や2人は不都合を生じる者が出る。 ヒョウガは それらの病人や怪我人の治療を口実に、村に留まり続けた。 シュンも村人たちも、せっかく村にやってきてくれた医者を積極的に手離すようなことはしたくなかったらしく、ヒョウガに帰還を促す者は一人もいなかったのである。 そんなふうな山賊たちの村でのヒョウガの滞在が10日目になった ある日。 ヒョウガが この村に来てから毎日 ヒョウガを新たな病人や怪我人の家に案内する仕事に従事していたシュンが、その日はヒョウガの許にやってこなかった。 怪訝に思って 館で下働きをしている者たちに尋ねてみたのだが、その返事は一向に要領を得ない。 ヒョウガに確かめることができたのは、シュンが館の内にいないということだけで、シュンの同道がないと自由に外に出ることが許されていなかったヒョウガは、シュンの身に何かあったのではないかと不安な気持ちを抱えて、シュンの帰還を待つことしかできなかった。 幸い、その日の夕刻、シュンは無事に館に帰ってきてくれた。 部屋の窓からシュンの姿を認めると、ヒョウガは、母の帰宅を待ちかねていた幼い子供のように勢いよく 庭に駆け出ていったのである。 「シュン! どこに行っていたんだ! 何も言わずに いなくなるから心配したんだぞ!」 「え……? あ……ああ、心配させて ごめんなさい。今日は僕たち、スイス国境の駐屯地への輸送団を襲撃してきたの。スイス側の国境は フランス側の国境より遠くなるから、朝早くに村を出たんだ。何も言わずに出たのは悪かったけど、言えば ヒョウガはきっと いい顔をしないだろうと思ったから、言わずに出ることにしたの」 騎乗のシュンの姿が門から庭に入ってくるのを見て、取るものもとりあえず部屋を飛び出てきたヒョウガは、シュンにそう言われて初めて、シュンの背後に山賊たちの隊列ができていることに気付いた。 つまり、シュンは 今日、仕事に出ていた――ということらしい。 その仕事の内容の是非は さておくとして、事もなげに――まるで森にイチゴや山ブドウを取りにでも行っていた子供のような口調で事後報告してくるシュンの様子は、大いにヒョウガの気に障ったのである。 人の気も知らず明るい表情のシュンを、ヒョウガは つい頭から怒鳴りつけてしまっていた。 「いい加減に、山賊行為なんて危ない真似はやめろ! おまえのような子供が、なぜそんな危険な真似をしなければならないんだ!」 「危険な真似――って……。僕は山賊の頭目なんだよ。僕だけ安全な場所にいるわけにはいかないでしょう」 「安全な場所にいればいいじゃないか! おまえはまだ ほんの子供で……そんな細い腕では、包帯の入った箱すら まともに運べないだろう。おまえは、人を傷付けるのは嫌いだと言っていた。あれは嘘だったのか !? おまえより よっぽど山賊稼業に向いていて、しかも強い兄がいるのに、おまえが山賊の頭目を務めなければならない理由がどこにある!」 ヒョウガが怒髪天を突いている理由が、シュンには わからなかったらしい――否、誤解したらしい。 捕虜の身で山賊の頭目を怒鳴りつけてくるヒョウガに 困ったような顔を向けて、シュンは彼の後ろに控えている兄の方を振り返った。 「兄さん、ちょっと僕の相手をしてくれる? ヒョウガは何か誤解してるみたい」 シュンの馬の行く手を遮り 大声でわめきたてているヒョウガを、シュンの兄は それまで、馬鹿げた駄々をこねる我儘な子供を見るような目で見おろしていた。 「よかろう。久し振りだな」 シュンの言葉に一瞬 眉をしかめたイッキは、だが すぐに何事かを思いついたように頷いて、ゆっくりと乗っていた馬の背から降りた。 すぐにシュンも栗毛の馬から飛び降りる。 途端に、それまで シュンとシュンの兄のやりとりを聞いていた山賊たちは、なぜか 辺りに低く楽しげな歓声を響かせた。 遠出をして一仕事を終えてきたばかりだというのに、それぞれの家に戻る様子もなく、山賊たちが 彼等の頭目と その兄を ぐるりと大きな円を作って取り囲む。 山賊たちが作った大きな輪の中で、それから繰り広げられた出来事は、ヒョウガには悪夢のような驚嘆事だった。 山賊たちの統率者である兄弟は、その手に 襲撃の際に使う短剣を持って、凄まじい戦闘を始めてしまったのだ。 走り、飛び、ぶつかり合う そのスピード、力強さ。 剣を操る その鋭さ、巧みさ。 まさか本気で相手を倒そうとしているのではないのだろうが、ごっこ遊びにも見えない。 銃に頼り切っている今時の軍兵など、この二人にかかったら、1秒も経たない間に身動きもできない状態にさせられてしまうだろう。 二人は強かった。 イッキの攻撃は力強く重く、シュンの攻撃は素早く軽いという違いはあったが、シュンは兄に伍する戦いの技術を備えていた。 だが、敏捷性ではシュンの方が勝り、イッキはどうしても戦いに決着をつけることができずにいた。 出会った日にシュンが言っていた“ブライスガウでシュンの兄と一、二を争う戦士”というのは、どうやらシュン自身のことだったらしい。 そして、シュンが山賊たちの頭目として認められているのは、どうやらシュンが可愛いからでもなかったらしい。 兄弟を取り囲み、その戦い振りを見詰めている山賊たちは、はじめのうちこそ、大きな歓声をあげて二人を はやし立てていたが、今では イッキの力強い戦い振り、シュンの美しい戦い振りに、言葉を失い見惚れている。 シュンの機敏な動作、勘のよさ、全く無駄のない動き。 シュンには、山賊たちを従える力があったのだ。 ヒョウガも、このシュン相手に、自分が負けるとは思わないが、勝てるとも思えなかった。 兄弟の戦いに決着をつけたのは、水と飼葉を求めるイッキの馬の いななきだった。 「あ、ごめんなさい」 小さく呟いて、シュンが その動きを止める。 ほぼ同じタイミングで、シュンの兄も殺気に似た緊張感を消し去った。 数秒 遅れて、周囲の山賊たちから どよめきに似た溜め息が洩れる。 「どう? これでも心配?」 元の可愛らしい姫君に戻ったシュンが、ヒョウガにそう尋ねてきた時、周囲の山賊たちは 揃って人の悪い笑みを浮かべていた。 シュンのお姫様のような姿に騙されていたヒョウガが どう出るか、どう態度を変えるのか、彼等は(おそらく)少々意地悪な気持ちで ヒョウガの動向を見守っているのだ。 が、シュンの強さ、戦いの巧みさを見せつけられても、シュンの身を案じるヒョウガの気持ちは変わることはなかったのである。 「そういう意味じゃないんだ。俺が心配しているのは――」 「ヒョウガが心配しているのは?」 ヒョウガと同じ言葉を繰り返して、姫君が首をかしげ 問い返してくる。 その危機感のなさが、ヒョウガの気持ちを苛立たせた。 「おまえが強いことは よく わかった。だが、おまえがいくら強くても――たとえば、敵が火器を持ち出してきたらどうなる? 敵味方 入り乱れての混戦になったら、何が起こるかわからない。俺はそれが心配なんだ。おまえの身に何かあったらと思うと、俺は――」 「多少の混戦くらい、僕は……」 「おまえたちの略奪が たび重なれば、大公だって体面を気にするのをやめて、なりふり構わず 討伐軍を派遣してくるかもしれない。おまえやおまえの兄がいくら強くても、銃や大砲を備えた数千の兵を撃退することはできないだろう」 「それは――」 「おまえは まだ若い。その上、美しい。本当は争いが嫌いで、心根も優しい。俺は おまえが――」 自分は何を言っているのか。 何を言おうとしているのか。 シュンに自分の気持ちをわかってもらえないことに焦れ、言ってはならない言葉――少なくとも、この場で言ってはならない言葉――を言おうとしている自分に気付き、ヒョウガは慌てて、口にしようとしていた言葉を変更した。 「俺は、おまえには、争いのない平和な場所で、穏やかに安全に暮らしていてほしい。でないと、俺が生きた心地がしない」 「ヒョウガ……」 もしかしたら、その場にいる者たち ほとんど全員が、実はヒョウガと同じことを心のどこかで願っていたのかもしれない。 そして、だが、しかし、それは公言してはならない思いでもあったらしい。 気まずげに、山賊たちは視線を交わし合い――だが、結局 彼等は沈黙を守った。 山賊たちの序列は厳しいもので、彼等は その序列を乱して彼等のナンバー1、ナンバー2に意見を言う勇気を持てなかったのかもしれない。 山賊などというものは、言うなれば社会のはみだし者、もう少し無秩序でいてもいいだろうにと、山賊たちの礼儀正しさに、ヒョウガは多大な苛立ちと もどかしさを覚えたのである。 その時だった。 突然、シュンの肩越しに、おそらくヒョウガの肩を狙ったシュンの兄の短剣が飛んできたのは。 あまりの不意打ちに、ヒョウガは医者の振りを――非戦闘員の振りをするのを忘れてしまったのである。 ヒョウガは、シュンの肩の上で、飛んできた短剣を掴み、止めてしまっていた。 「えっ」 シュンは、自分の肩の上で起こった出来事に驚き その瞳を見開いたが、シュンの兄は そうなることを見越していたらしい。 自分の失敗に ヒョウガはすぐに気付き、あえてイッキの剣に刺されてしまった方がよかったかもしれないと後悔もしたのだが、こうなっては もはや手遅れ、取り繕いようがない。 「貴様、本当にただの医者か?」 ヒョウガは、イッキの疑い深げな視線を、努めて冷静を装い受けとめることしかできなかった。 「医者が護身術を知っていて悪いということはないだろう。俺は いざとなれば戦場にも赴く」 「だからといって、俺の投げた剣を素手で掴めるほどの反射神経も動体視力も 医者には必要あるまい。へたな兵卒より身体も鍛えてあるようだな」 「俺は凝り性なんだ」 イッキはヒョウガを疑っていた――どういう方向に疑っているのかはヒョウガにもわからなかったが――おそらく“敵”に近いものなのではないかと、イッキはヒョウガを疑っているようだった。 実際 その通り――彼等の敵ではないにしても、完全な味方でもないヒョウガは、下手な弁解は墓穴を掘ることになりかねないと考えて、逆にシュンの兄への攻撃に転じることにしたのである。 攻撃は最大の防御。 ヒョウガは、自身に向けられたシュンの兄の疑いを逸らすために、意識して声を荒げた。 「俺を疑うのも結構だが、その前に シュンを危険な目に合わせるのをやめろ! おまえはシュンを愛していないのか !? シュンが心配じゃないのか !? シュンは優しい子だ。人を傷付けることが嫌いで、人と争うことも好きじゃない。そんなシュンを無理矢理 危険な場所に連れ出して、おまえには兄としての情愛というものがないのか!」 窮地を脱するための ささやかな反撃。 そのつもりでヒョウガがイッキに投げつけた言葉は、だが、ヒョウガが思っていた以上の攻撃力を持っていたらしい。 ヒョウガに責められたイッキが、意外や素直に口をつぐむ。 そんな兄を庇ったのは、ヒョウガが守り庇おうとしていたシュンその人だった。 「兄さんを責めないで! 兄さんは いつだって実際の略奪行為には関わらなくていいと、僕に言ってくれていたの! 僕が頼んだんだ。僕も連れていってって。僕が行くことで、略奪に参加する人の数を少しでも減らせるならって……!」 それは当然のことだったろう。 シュンが兄を庇うのは。 だが、シュンの身を案じればこそイッキを責めたヒョウガには、兄を庇うシュンの必死の眼差しが 切なく感じられてならなかったのである。 |