アテナの聖闘士は、アテナがいるからアテナの聖闘士である。
アテナがいなければ、アテナの聖闘士どころか、正式な聖闘士として認められることもなく、その存在意義を失う。
どんな理不尽を強いられても、アテナの聖闘士はアテナの意思決定に逆らうわけにはいかなかった。
しかし。

神は人間に 独立した一個の意思を与えた。
独立した一個の心を与えた。
自分の生き方を自分で選ぶことのできる自由を与えた。
そして、氷河と紫龍は、アテナの聖闘士であると同時に、誰からも独立した一つの人格を持つ一人の人間である。
彼等がアテナの意思決定に逆らわない範囲で 自分の希望を叶えようとしても、それは罪ではないだろう。
――ないはずだった。
ゆえに、アテナが退場したアテナ神殿のファサードで、彼等が彼等の希望の実現について密談を始めても、それは決してアテナへの反逆を意味するものではないのである。
少なくとも、氷河と紫龍はそう思っていた。

「どうする。氷河。このまま大人しく くじを引くか」
低い声で紫龍に問われた氷河は、即座に首を横に振った。
「俺たちが求めているのは、10分の3の確率ではない。10分の10。“1”か“0”の“1”だ。俺は必ず、何があっても絶対に 水瓶座の聖衣を手に入れなければならんのだ」
「それは、俺も同じだ」
義のために生きることは素晴らしい。
だが、アテナの聖闘士としての義と 弟子としての義が相反するものである場合――二つの義に挟まれた時、人はどう生きるべきなのか。
その答えを今、氷河と紫龍は導き出さなければならなかった。

「もし水瓶座の黄金聖衣を他の誰かに奪われてみろ。カミュは毎晩 俺の夢枕に立って、クールのクの字もない顔で、恨み つらみ泣き言を言い続けるぞ」
「それは老師とて同じだ。こんな情けない弟子に育てた覚えはないとか、そもそもおまえは修行が足りないとか、毎晩夢枕で説教だ」
氷河と紫龍の義のレベルは さておくとして、アテナ提唱のくじ引きによる二人の利害は ほぼ一致していた。

「昼間出てくるならまだいい。昼間のカミュの泣き言なら、耐えられないこともない。だが、夜は困る。俺の隣りには瞬がいるんだ。カミュの恨めしそうな顔が宙に浮いていたのでは、したいこともできなくなる」
「……」
二人の利害は完全に一致しているわけではなかったが、ここで、『ならば清く正しい夜を過ごせばいいではないか』などという馬鹿げた忠告をして いらぬ悶着を招く愚を犯すほど、紫龍は分別のない男ではなかった。
利害の ずれている部分は理性で無視し、気を取り直して、紫龍は再度 同じ質問を氷河に投げかけたのである。

「で、どうする」
「沙織さんのことだ。やると決めたことは、黄金聖闘士12人が夢枕に立っても、断固として遂行するに違いない。となれば」
「となれば?」
「くじに細工するしかない。沙織さんにばれないように目印でもつけて、何としても目的のものを手に入れるんだ」
「やはり、それしかないか」
「ああ。それも今夜のうちに」
「わかった。では、そうだな。今夜――深夜2時に、アテナ神殿 玉座の間で落ち合おう」
ひそひそと陰謀を巡らす氷河と紫龍の横では、瞬と星矢は 明るく無邪気な会話に夢中だった。

「わあ、どれが当たるかわくわくするね」
「ああ、楽しみだぜ!」
「ちょっと聖衣のサイズが合うかどうか心配だけど」
「だいじょぶ、だいじょぶ。あれ、すげー伸び縮みするから。ほぼフリーサイズだ」
「ほんと? 牡牛座の聖衣が当たっても、僕でも着れる?」
「ばーっちり」
「よかったー」
いつもは微笑ましく感じられる瞬の明るい笑顔が、今日は鋭い針のように目に突き刺さる。
氷河は、憂鬱な溜め息を禁じ得なかった。

「……黄金聖闘士が師でない奴等は気楽でいいな」
「まったくだ」
水瓶座アクエリアスのカミュ。そして、天秤座ライブラの老師(童虎)。
聖闘士を目指す者であるならば、聖闘士の中で最も強大かつ安定した力を持つ黄金聖闘士の教えを受けることは、望んで得られる光栄ではないだろう。
だが、今、氷河と紫龍は、白銀聖闘士の師に教えを受けた星矢と瞬が心底から羨ましかった。






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