「明日が待ちきれず一日早く来たなんて、遠足が待てない小学生か……!」 ぶつぶつ文句を言いながら、氷河が 瞬のいるラウンジに戻ってきたのは、それから15分後。 来客の様子を問うてくる瞬に、氷河はわざとらしく肩をすくめてみせた。 「荷物を出したら、下りてくるそうだ。……ったく、こっちの都合をまるで考えてない連中だ」 「氷河を心配しているんでしょう」 「俺はもう小学生じゃないんだ」 「確かに、小学生にしては大きすぎるね」 短く笑って そう言ってから、瞬が 大きすぎる小学生の顔を覗き込んでくる。 瞬は、どういう表情を作ればいいのか わからないとでもいうかのような複雑な色を、その瞳に載せていた。 「僕たちのこと、ばれちゃったかな……。今から お友だちの振りをしても無駄?」 「ミロとアイザックには無駄だ」 「カミュ先生は?」 「マーマの膝枕を思い出して、無理を言って おまえにマーマの代わりをしてもらっていたと言ったら、そうかと涙ぐんで納得してくれた」 「え……?」 それは何かの冗談なのか。 瞬が視線で 氷河に問うてくる。 視線で、それが冗談ではなく ただの事実だということを氷河が示すと、瞬は その場で 盛大に吹き出した。 「いやだ。どうしよう。氷河の先生ってば、可愛い」 「仕様のない……だが、いい人なんだ」 だからカミュを責めないでくれと、言外に氷河は告げた。 聖闘士は アテナとアテナの提言する平和を守るために存在する戦士である。 聖闘士がアテナを疑うことがないように、アテナの補佐役である教皇を疑うことは許されない。 本来は、疑う必要のない存在なのだ、教皇は、聖闘士にとって。 極論を言えば、聖闘士は、『正義とは何か』『正しい行ないとは何か』ということを 自分の目や耳で見聞き判断しなくてもいい存在。 聖域への反逆者として乗り込んできた弟子を倒すのも、アテナの聖闘士としては当然の振舞い。 カミュは、聖闘士としての彼の使命を全うしたにすぎない。 氷河は、師の罪を――何もしなかった罪を――カミュに知らせたくなかった。 だが、同時に、カミュに罪を自覚させないことで、瞬を苦しめたくもない。 自然に、氷河の顔と瞳には苦渋の色が浮かぶことになった。 瞬が、そんな氷河のために微笑を作る。 「わかってるよ。氷河をこんなふうに育ててくれた人だもの。いい人なのに決まっている」 「少しも褒めているように聞こえない」 「褒めてます」 「嘘をつくな。どうせ俺は図体ばかりがでかい小学生だ」 「そんな拗ねないで、機嫌直して。そんな顔をカミュ先生に見せちゃ だめだよ」 こういう時、氷河は いつも拗ねた 詰まらぬことで拗ねる小さな男だと瞬に思われても何の益もない。 にもかかわらず、5度に4度は、振りをしているはずだった自分が、いつのまにか本気で拗ねてしまっていることに気付く。 これは いったい どういう現象なのかと疑いながら、氷河は拗ねた子供の要求を瞬に突きつけていったのである。 「おまえがキスしてくれたら機嫌を直す。ちゃんと唇に、本格的なやつを」 図体ばかりが大きい小学生の我儘に困ったように笑って、瞬は氷河の要求を半分だけ叶えてくれた。 つまり、瞬は、爪先立って氷河の唇に触れるだけのキスをしてくれたのである。 それで氷河の不機嫌が半減したかというと、全く そんなことはなく、半分しか叶えられなかった希望に、氷河の不機嫌は逆に倍増することになったが。 「瞬。俺は本格的なキスをと言わなかったか」 不満を隠そうともせず、望み通りのものが与えられることを再度 瞬に要求した氷河に、 「んなこと知るか、この ど阿呆」 という答えが返ってくる。 途端に、氷河は、その顔と肩を強張らせることになった。 氷河が彼の顔を強張らせることになったのは、もちろん、それが瞬の唇から発せられたものではなかったからだった。 強張った顔と肩をそのままに、氷河がラウンジのドアの方を振り返る。 そこには、『これを不機嫌と言わずして何を不機嫌と言うのか』と言わんばかりに不機嫌な面持ちをした彼の隻眼の兄弟子が立っていた。 「ミロが予告なしで来たから、自分はホテルをとると言っているんだが、どうにかなるか」 氷河が何事かを言う前に、アイザックが彼の用件を口にする。 氷河は一応、兄弟子に弁解という名の事情説明を試みることを考えたのだが、彼は結局 そうすることをやめた。 弁解をしても事態は好転しない。 むしろ かえって悪くなるばかりだと悟って。 「ミロは どういう酔狂で、らしくもない遠慮を始めたんだ。ここには客用寝室が10以上あるのに。――ちょっと行ってくる」 弁解をする代わりに 問われたことに答え、氷河は 兄弟子に提示された問題を解決するためにラウンジを出たのだった。 |