氷河王子と瞬王子が隠れて暮らしていたエティオピアの浜辺の小さな苫屋を、エティオピア国王が 間男か こそ泥のように こそこそ 訪ねたのは、二人の王子の駆け落ち騒ぎから10日が経った ある日の夕暮れ。 ギリシャ全土から集まってきた高貴な人々に詫びを入れ、言いくるめ、無事に全員を帰国させるのに、一輝国王は それだけの日時を費やしたのだった。 「結婚式を挙げて 神々の承認を得るのは無理な話だが、瞬が神の神託に逆らって貴様と共に駆け落ちしたことを、ギリシャ中の王侯貴族が目撃した。既にギリシャのすべての者たちが知っている。それで満足しろ」 もとより 自分たちが一輝国王に見付からずにいられるとは思っていなかった氷河王子と瞬王子は、エティオピア国王のお忍びの訪問に驚くことはなかった。 ほとぼりが冷めたら彼の許に謝罪に行かなければならないと思っていたので、むしろ二人は彼の来訪を歓迎し、喜んで自分たちの城に招き入れたのである。 大国の王子たちが暮らすには あまりに慎ましい小さな家――というより小屋。 しかし、氷河王子と瞬王子は、そこで満ち足りていた。 その小さな家には、二人が望むすべてのものが揃っていたのだ。 「誰の承認もいらない。俺は瞬がいてくれるだけでいい」 「それだけのことを知るために、これだけの大騒ぎを起こしやがって。さすがは世界一の馬鹿王子だ」 「兄さん、ごめんなさい……」 “世界一の馬鹿王子”が、今では二人。 その片割れである瞬王子が、兄に謝ってくる。 アテナ神殿を飛び出した時には ほとんど死人のようだった瞬王子は、短い時間で輝くように美しくなっていた。 それがなぜなのかがわかるから、一輝国王は瞬王子を叱りつけることはできなかったのである。 一輝国王の願いは、瞬王子が幸福でいることだったから。 瞬王子を叱りつける代わりに、一輝国王は氷河王子の方に向き直った。 「瞬を奪って華麗に駆け落ちした すぐあとに のこのこと世間に姿を現わすのは きまりが悪いかもしれんが、瞬を連れて城に戻れ。瞬がいないせいでシルビアンがすっかり落ち込んでしまって、新鮮なマグロを丸ごと与えても、好物の山羊乳チーズを ちらつかせても無反応。あと数日 瞬に会えない状態が続いたら、あれは餓死してしまう」 「シルビーちゃんが……」 「おまけに、ヒュペルボレイオスの国王に、それ一つで国を買うこともできそうな大粒のダイヤやら金塊やらを差し出され、平身低頭で詫びを入れられてしまってな。あの馬鹿げた儀式が、こうなることを見越しての、アテナ監修・演出の芝居だったとは、俺も言いにくい」 「そ……そうだったの?」 駆け落ちの混乱時、落ち着いて参列者たちの警護を続けていたエティオピア兵たちの様子を思い起こすに、一輝国王が こうなることを見越していたのだろうことには薄々 気付いていたのだが、まさか女神アテナまでが あの大立ちまわりに加担していたとは。 初めて知る事実に驚き、瞳を見開いた瞬王子の肩に、氷河王子が手を置く。 すべては女神アテナと一輝国王の計画の内だったことを知らされた氷河王子が意地を張り始めることを、瞬王子は恐れたのだが、氷河王子の“馬鹿”は そういう方向には発動しなかった。 氷河王子は、馬鹿は馬鹿でも、そういう愚かな馬鹿ではなかったので。 「きまりが悪いのも、恰好が悪いのも、俺は平気なんだ。俺自身は、誰に笑われても、貶められても、瞬と離れずに済むのなら」 「見栄も外聞も気にせず 実を取るところが、貴様の数少ない美点の一つだな。瞬、帰ってこい。シルビアンが待っている」 氷河王子と視線を交わし合い 微笑み合ってから、可愛いシルビアンと 見栄と外聞を気にして『おまえがいないと俺も寂しい』と言えない兄のために、瞬王子は素直に頷いたのである。 氷河王子と会うことを禁じられさえしなければ、瞬王子は、できるだけ自分が愛し 自分を愛してくれる者たちの側にいたかったから。 そして、そうすることを瞬王子に許せる程度の分別を、氷河王子は 今回の苦い経験の中で学び身につけていた。 そうして、すべては元通り。 氷河王子は、再び どこぞの間男か こそ泥のように、瞬王子の部屋に こそこそ毎晩通うことになった。 瞬王子に献身一途のシルビアンが瞬王子の部屋の扉の前から動かないので、もちろん 相変わらずベランダ経由。 だが、一輝国王が『氷河王子のエティオピア王城 出入り禁止令』を撤回してくれたので、昼間でも夜間でも、エティオピア王城の門は 自由に通してもらえるようになったとか。 愛は、愛を知る者たちに忍耐と譲歩、他者への寛容を強いるが、愛を知る者たちは皆、それらが幸せに至るために必要なものだということを知っているので、忍耐し、譲歩し、他者に寛容になることをする。 愛する者のためならば、それらのことは 楽しく嬉しく誇らしい喜びでしかないのだ。 Fin.
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