星矢は、いつも口にしてしまってから、自分がまずいことを言ってしまったことに気付く。 学園長が不機嫌なこと――その不機嫌を自分が更に増してしまったことに、星矢は その段になって やっと気付いたのである。 教育者というものは、一般的に、どの生徒に対しても公平に接し、感情を表に出さないことが望ましいとされる人種だろう。 しかし、パライストラの学園長は自分の感情を隠さないタイプの人間、冷静平静を装うことをしないタイプの教育者だった。 そして、星矢は、むしろ だからこそ、学園長を嫌いではなかった。 非常に苦手ではあったが。 強大な攻撃的小宇宙を静めた学園長が、無理に怒りを抑えていることが はっきりわかる口調で、 「その理由を知りたかったら、ここまで下りてきて、近くで新入りを見てみろ」 と告げる。 「へっ」 それは いったいどういう意味なのかと訝りはしたものの、本当に新入りの身長が自分より低いかどうかを確かめたかった星矢は、これ幸いとばかりに学園長の指示に従った。 そして、学園長に言われた通りに 新入りを近くで見る。 新入りの背の高さは自分と同じほどで、自分より高くても低くても その差は1センチ以内――と、星矢は見てとった。 肌は白く、手足は細く、大きな瞳と やわらかそうな髪。 そして、その髪以上に やわらかく優しげな面差し。 その新入りは、身長が星矢より高いか低いかはさておいて、稀に見る美少女だった。 溜め息が出るほど清楚で可憐、とにかく『可愛い』という形容が似合う。 「すげー。もしかして、あれか? 校内に可愛子ちゃんを配して、単純な男共に やる気を出させようって魂胆か?」 「アテナの聖闘士のやる気が、婦女子への関心などで増幅することがあってたまるか」 教育者には到底ふさわしくない口調と言葉で、学園長が星矢の推察を否定してくる。 が、新入りの美少女振りに感動していた星矢には、学園長の口の悪さに 気付く余裕がなかった。 代わりに、新入りの瞳が潤んでいることに気付く。 星矢は首をかしげ、学園長に尋ねた。 「この新入り、なんか、泣いてるみたいだけど」 「おまえが泣かせたんだ」 「いつ、俺が」 星矢には、自分が新入りを泣かせるようなことをした記憶はなかった。 ただ、男が やる気を出しそうな 大きな瞳を涙でいっぱいにして先輩を見詰めてくる新入りは、泣いている その様子さえ可愛くて、星矢は溜め息を禁じ得なかった。 「ほんと、可愛いな。仮面つけさせないのは大正解だぜ」 星矢が そう言った途端に、新入りの瞳から涙の粒が一つ、その頬に転がり落ちる。 「えっ」 まさか本当に泣いているのだとは思っていなかった星矢は、その涙の雫に ぎょっとした。 そんな星矢に、学園長が 更に彼をぎょっとさせるようなことを言う。 「名前は瞬。おまえと同室になる。面倒を見てやれ。だが、悪いことは教えるなよ」 「俺と同室〜 !? 」 それは いったいどういう意味なのか。 学園長は冗談でなく正気で そんなことを言っているのか。 聖闘士志望の女子には『女であることを捨てろ』と言いながら、寮の部屋は男女別。 今時 男女差別は古臭いと やっと気付いたにしても、聖域がこれほど急進的な改革の実践を始めることは考えられない。 男女差別は 全く よろしくないが、男女の区別はされるべきだろう。 現実問題として、男子と女子は 明確に違う性なのだから。 「瞬、これが星矢だ。おまえのルームメイトになる。決して、こいつの生活態度を見習うなよ。体力や運動能力はともかく、星矢は、その他のことでは この学園一の劣等生だ」 「おい。あんた、本気で俺と この子を同室に――」 「だが、見習っていいこともある。少なくとも星矢は、何があろうと婦女子のように泣いたりはしない」 学園長の発言は、これ以上はないほど、実に見事な男女差別。 教室内にいる10名弱の女子の聖闘士志望者たちが“女であること”を捨てていなかったなら、彼は その発言を しかるべき場所に訴え出られていたかもしれなかった。 が、ともかく星矢は、その差別的発言のおかげで、やっとその事実に気付いたのである。 普通、人は、婦女子に対して『婦女子のように泣くな』とは言わない。 やっと気付いた驚愕の事実に、星矢は優に1分間以上、ぽかんとすることになった。 約1分30秒後、何とか気を取り直し、仮面装着義務を負っていない新入り――瞬――に、弁解を試みる。 「い……言っとくけど、俺が悪いんじゃないぜ! あの新入りは なんで仮面をつけてないんだって言い出したのは氷河だ。ほら、あそこで ふんぞりかえってる金髪男!」 言って、教室の後方の席に着いている金髪の学友を指差した星矢の腕を、邪魔な木の枝を断ち切る勢いで、学園長が叩き落とそうとする。 星矢がその手を素早くよけたことが彼を立腹させたらしく、学園長は星矢を頭ごなしに怒鳴りつけてきた。 「責任転嫁をするな! それはアテナの聖闘士として許されない卑劣な行為だ」 「卑劣とか責任転嫁とかいうんじゃなくってさ!」 このままでは学園長は、この学園の最高責任者としての立場を かさにきて、友を売るという卑劣な行為に及んだ聖闘士志願者に厳しい罰を下すに違いない。 そう察した星矢は慌てて 思い思いの席に着いている学友たちの方に向き直り、学園長の怒声以上に大きな声を張り上げた。 「アンケート、とるぞー! この新入りが男だって 最初から わかってた奴、手を挙げろー!」 それまで星矢と学園長のやり取りを無責任に笑いながら眺めていた生徒たちが 途端に笑うのをやめ しんと静まりかえったのは、星矢のアンケートが前触れもない出し抜けのことだったからではなかっただろう。 その証拠に、 「んじゃ、校則が変わったんだと思った奴ー!」 という星矢の問いかけに対しては、生徒たちは ざわめきを生じつつも ばらばらと手を挙げ始めたのだから。 星矢の第二の問いかけには、結局 その時 階段教室にいた80人弱の生徒のほとんどが手を挙げることになった。 肝心の氷河は手を挙げていなかったが、それは単に彼が挙手を面倒くさがっただけのことだったろう。 自分が回収したアンケートの回答結果に満足し、星矢は得意げに学園長を振り返った。 「ほらな! 俺はみんなを代表して訊いただけで、責任転嫁しようとしたわけでも、卑劣なわけでも――」 実は 責任の転嫁先を 氷河一人からクラスメイト全員に変更しただけだった星矢は、だが、それで彼が受けるべき罰を免れることはできなかった。 学園長の怒りより もっと効果的な罰が――新入りの涙が――星矢に襲いかかってきたのだ。 瞬が、非難の言葉一つ洩らさず、その瞳から ぽろぽろと涙を零し始める。 「泣くなよー」 泣かれる星矢の声は ひどく情けない響きを帯び、半分 悲鳴じみていた。 「星矢と氷河。おまえたち、責任をもって新入りの世話をしてやれ。それから紫龍、おまえもだ」 学園長の裁断は、星矢を罰するためというより、星矢を瞬の涙から救うためのものだったかもしれない。 「なぜ俺が」 それまで名も挙がっていなかったのに とばっちりを食った格好の紫龍は、学園長の保護後見命令に物言いをつけたのだが、それはあっさり却下されてしまった。 「俺は、常日頃から、この礼儀知らずを 年長者として厳しく指導しろと、おまえに言っていたはずだ。おまえは自分の為すべきことができておらん。責任をとれ」 「俺が星矢を礼儀正しい優等生に仕立てあげられずにいるのは事実だが、それは本来 教師が為すべきことで――」 「これは、この学園の長である俺の命令だ。撤回なし。異議も質問も受け付けない。以上、解散」 紫龍に反論を許すと ろくなことにならないことを知っている学園長は、紫龍にその隙を与えることなく、さっさと教室を出ていってしまった。 問答無用の学園長命令と、まだ涙の止まっていない新入り、責任転嫁をし損なって ぽかんとしている星矢、とばっちりを食った紫龍と 騒ぎの元凶であるにもかかわらず最も無責任な顔をしている氷河、そして その他70数名の生徒たちをその場に残して。 |