強く、抗し難い力

〜 傘さんに捧ぐ 〜







旧約聖書『申命記』第25章には、
『兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、子のない時、その死んだ者の妻は家を出て、他人に嫁いではならない。その夫の兄弟が彼女の所に入り、娶って妻とし、夫の兄弟としての道を彼女に尽くさなければならない。そして、その女が初めに産む男子に 死んだ兄弟の名を継がせ、その名をイスラエルのうちに絶やさないようにしなければならない』
という、レビラト婚に関する記述がある。

中国四大美人の一人、楊貴妃は、最初 玄宗皇帝の息子である寿王李瑁の妃となったが、のちに夫の父である玄宗皇帝の後宮に迎えられている。
エジプトのクレオパトラ7世は、当時のエジプトの慣例により、実弟プトレマイオス13世の妻となり、彼の死後は 更に下の弟プトレマイオス14世の妻となった。
日本でも、徳川家康の異父妹・多劫姫は、最初の夫松平忠正の死後に その弟忠吉と再婚している。

亡くなった肉親の妻を娶るという行為は、洋の東西を問わず、そして 古来から、至って ありふれたことだった。
それは、最初の婚姻で結ばれた両親族集団の紐帯を維持し続けるため、家の財産や権力の分散の回避のためには有効な対応方法で、亡くなった人の権力を確かに 受け継いだことの証を立てることにもなるため、王侯貴族社会、上流階級では必要なことでもあったのだ。
ゆえに、城戸侯爵家でも それが行われたのではないかと 口さがなく噂し合ったのは、華族社会に属する貴紳や その夫人ではなく、むしろ 他に誇れるほどの地位も財もない平民たちの方だった。

先代の城戸侯爵が妻を残して亡くなった時、彼には子がなかった。
息子の余命が幾許もないと知らされた侯爵の母親は、侯爵家の存続のために、息子の死の2ヶ月前に遠縁から養子を迎え、息子の死後、その養子――前侯爵の義弟になる――に爵位を継がせた。
それが現在の城戸侯爵である。
先代の城戸侯爵が亡くなって3ヶ月後に、彼の未亡人が子を身ごもっていることがわかり、先代侯爵の死から10ヶ月後に、未亡人は一人の男子を生んだ。
未亡人は日本人ではなく、先代侯爵がロシアに留学していた際に かの国で見初め、帰国の際に伴ってきた女性だった。
既に 故国に親族はなく、帰るべき実家もなかったため、彼女は夫の死後も城戸侯爵家に留まっていたのである。

未亡人は美しかった。
そして、爵位を継ぐために現侯爵が城戸家の養子に迎えられた頃、前侯爵は既に病床から起き上がることも困難な状況になっていた。
だから、そういう憶測が為されることになったのである。
未亡人が産んだ男子は、前侯爵の忘れ形見ではなく、城戸家に養子に入った現侯爵との間にできた子供なのではないかという憶測が。
美しい未亡人は、だが、産褥から回復できないまま、我が子を産んで半年後に夫のあとを追った。
真実を知るただ一人の人の死によって、彼女の息子の出生の秘密は(とりあえず)闇の中に葬り去られることになったのである。

現侯爵は、養子として城戸家に入り爵位を継ぐと同時に、養母が選んだ某子爵家の令嬢を妻に迎えていた。
生まれて半年で実母を失った赤ん坊は、侯爵家に嫁いできた その夫人によって育てられることになった。
夫を失ったばかりの28歳の未亡人と、家同士の取り決めで ほぼ見知らぬ男性を夫としたばかりの18歳の侯爵夫人との間に、どういった心の交流があったのかは 余人には察しようもないが、城戸侯爵家で出会った二人の女性は すぐに親しくなったらしい。
城戸家に嫁いできたばかりの侯爵夫人は、赤ん坊が未亡人の胎内にいる頃から その子を愛し、誕生後は 産褥から回復できずにいる未亡人に代わって、赤ん坊の世話をした。

母と同じ金色の髪と青い瞳を持ち、氷河と名付けられた その赤ん坊。
未亡人は、自身が回復しないことを悟っていたのだろう。
最期の時まで 我が子と共にあることを望んだ彼女は乳母を求めることもせず、まもなく母親を失うことになる我が子を、若き侯爵夫人と共に懸命に愛した。
未亡人は、侯爵夫人が 血のつながらない赤ん坊を慈しんでくれることに感謝し、侯爵夫人に『ありがとう』いう言葉を残して亡くなったという。

侯爵家に嫁いできて2年後、未亡人の死から1年後、侯爵夫人は男子を産む。
瞬と名付けられた その子は、父の義兄の未亡人が残した男子と実の兄弟のように育てられることになった。
もしかしたら実の兄弟なのかもしれないという噂があることも知らず、瞬は、父も母も違う(ことになっている)氷河を兄と慕い、兄と呼んで育ったのである。


明治17年に制定された華族令によって侯爵に叙された城戸侯爵家は、初代侯爵が 北海道開拓の利権で莫大な資産を蓄え、それ以来 政商との結びつきも強く、極めて富裕な家だった。
維新後の激動で、その体面を保つことができなくなり爵位を返上する華族も多い中、城戸侯爵家は、 無為無策無能な没落華族たちを尻目に、財を増やし、力を増し、隆盛を誇り続けることになったのである。
有能な義父、有能な夫、有能な息子の側で、城戸家の台頭と隆盛を見てきた先代侯爵の母親が、現侯爵を養子に選んだのも、微かな血縁より、むしろ その才覚を見込んでのことだったろう。
彼を侯爵家の養子に選んだ先代侯爵の母親の判断は正しかった。
社会に変動があるたび、事件や事変が起こるたび、それらを巧みに乗り切り、むしろ それを好機とし、機に乗じて、城戸侯爵家は力を増し続けた。
彼を侯爵家の後継ぎに選んだ自身の目に間違いはなかったと安堵して、前侯爵の母親が亡くなった頃には、現侯爵は一族の長としての立場を盤石のものとし、華族社会の中でも重鎮の一人に数えられるようになっていた。

異才とも呼ばれる城戸侯爵の夫人は、あの慧眼の前々侯爵夫人が なぜ彼女を城戸家の嫁に選んだのかと不思議がられるほど才気走ったところのない女性だった。
美しく従順なことと 血筋の良さの他には 取り立てて取りえもないような。
だが、もしかしたら その凡庸さ、自己主張のなさこそが、彼女の取りえだったのかもしれない。
常に夫の陰に在ることに甘んじ、自分自身が前に出ようとせず、夫の行く道を信じて ついていくことのできる才能こそが。
決して敵を作らぬ 穏やかさ、愛情深さこそが。

彼女は、自分とは血のつながらない氷河を、実子である瞬と 全く分け隔てなく育てた。
物質面、待遇面はもちろん、愛情面でも。
何かと出生の秘密が取沙汰される、青い瞳の息子。
「血のつながらない子を、実子と一緒に育てるのは大変でしょう」
と、華族のご夫人方に興味本位で問われるたび、
「二人は私の子ですから」
と答えるのが、彼女の常だった。

氷河が 自分の夫の子であったなら、そこまで愛せなかっただろうと言う者もいる。
逆に、氷河が自分の夫の子であったから、そう言い切っていたのだろうと言う者もいる。
彼女はただ愛情深い女性だったのだと言う者もいた。
彼女の真意はわからない。
彼女もまた、氷河が10歳、瞬が8歳になった年に病を得て 亡くなってしまったから。
享年は、氷河の母と同じ。
美しい人、心優しい人ほど、天に召されるのが早いと、彼女を知る者たちは嘆いた。
侯爵夫人の最期を看取ったのは、彼女の二人の息子たちだけだった。
侯爵夫人の命が いよいよ危ないという時、夫の城戸侯爵は、新しい事業を興す準備のために大陸に渡っていて、日本にはいなかったのだ。

「あなた方は、二人共、私の子です。そのことを忘れないで、必ず いつも仲良くしていてね。氷河、瞬に優しくしてやって。瞬は氷河を守ってあげて」
臨終の枕元に二人の息子を呼んだ彼女の、それが遺言になるだろうことは、8歳の瞬にも感じ取れていた。
そして、それが奇妙な遺言だということも。
「僕が、氷河兄様を?」
母は病の苦しさに混乱し、兄と弟の名を取り違えているのだろうかと、瞬は思ったのである。
しかし、彼女は、息をするのも苦しげだったが、意思的で強い視線を彼女の息子たちの上に投じていた。

「そうよ。氷河兄様を守って。何があっても」
年下で、年齢差のせいばかりではなく体格も劣る弟に、兄を守れと言う母。
幼い瞬は、その言葉に奇異の念を抱かないわけにはいかなかった。
だが、どんな時にも穏やかで、腕白をした子供たちを たしなめる時にさえ微笑を絶やさなかった母が、いつになく優しさより厳しさの勝った目をして そう言うのである。
母がなぜ そんなことを言うのかはわからないが、それはとても大事なことなのだと感じ取り、瞬は母の言葉を深く胸に刻み、固い決意の表情で頷いた。
「はい」
「氷河。あなたもね。あなたは 瞬に甘えていいのよ。瞬は あなたの弟なのだから」
「……」

瞬が母の言葉を奇異に思ったように、氷河もまた 彼女の言葉の真意を掴めずにいた。
年上で、体格も瞬より勝っていた氷河は、これまで いつも、母に似て大人しい瞬を守る側の立場に立っていたのだ。
義母の思いがけない言葉に頷くこともできずにいる氷河を、焦れたように瞬が急かす。
「兄様、母様に『はい』って……! 『はい』って言って、早く!」
瞬の言葉と養母の眼差しに急きたてられ、氷河は かすれた声で二人の求めに応じた。
「はい」
その返事を聞いた公爵夫人は、常の彼女に戻ったようだった。
穏やかで優しい微笑を浮かべ、そうして 彼女は 細く長く最後の息を吐き出したのである。


妻を失った時、城戸侯爵は 40歳になっていなかった。
莫大な資産、貴族院議員の身分、侯爵の地位、政財界における強い発言力、30代半ばで通るほどの外見の若さと頑健な体躯、その身体の内に備わっている精力、胆力。
当然、彼に再婚を勧める者は多かった。
しかし、彼は、
「後継ぎは二人もいる。二人共、出色の子だ。健康で、美貌で、頭脳も明晰。侯爵家の安泰は約束されている。へたなことをして、不出来な息子を持つ父親になどなりたくはない」
と言って、再婚を拒み通した。

もっとも、そんな理由を掲げて 新しい妻を迎えることを拒みながら、彼が二人の息子を愛しているようには見えなかったのであるが。
彼は、10年 連れ添い、子まで成した妻の死に目に会えなかったことを無念に思っている様子も見せなかった。
他人にも、家族にも。
彼は城戸家の財と力を増すことにのみ、関心を抱いているような男だった。
政治や事業の話をするために鹿鳴館に行くことはあっても、そこでダンスをすることはない彼には、妻がいなくても一向に不便はなかったのかもしれない。
妻に限らず 家族というものが、彼には むしろ邪魔なものでしかなかったのかもしれなかった。

氷河と瞬は、だが、そんな父に不足や不満を感じることはなかったのである。
母が二人を分け隔てなく深く愛してくれたように、城戸侯爵もまた、実に公平かつ平等に 二人の息子に関心を示さず、顧みることがなかったから。
そして、二人には二人がいた――氷河には瞬が、瞬には氷河がいたから。
母を失った喪失感は大きかったが、その試練は、父の助けや 新しい母親が与えられなくても、母に愛された記憶と 二人が寄り添うことで乗り超えることができるものだったのだ。


氷河の父親が前侯爵であるなら、氷河は城戸侯爵家の正統の血を最も濃く受け継いだ男子である。
俗世に流布している噂の通り、氷河の父親が現侯爵なのであれば、氷河は不義の子であり、不倫の子であると同時に、現侯爵の長子である。
現侯爵の息子というのであれば、形式上は瞬一人。
城戸侯爵家の二人の男子は、父が同じで母だけが違うのか、父も母も違うのか。
出色の息子たちと認めながら、侯爵が子等を顧みないのは なぜなのか。
侯爵が氷河を顧みないのは、氷河が他の男の子供だからなのか、自分の罪の子だからなのか。
侯爵が瞬を顧みないのは、彼が本当に愛した女性が、正夫人である瞬の母ではなく、義兄の妻だったからなのか――。

そんなことを公爵に尋ねることのできる人間は誰一人いなかった。
無論、侯爵が自分から余人に言うこともなかった。
それゆえ、噂は噂を呼び、憶測は憶測を招き続けたのである。
城戸侯爵は、城戸家の二人の男子のどちらに、爵位と莫大な財産を譲るつもりでいるのか。
血統重視か、現侯爵の立場と意思を優先させるのか。
後者なのであれば、侯爵の意思は二人の息子のどちらの上にあるのか。
そういったことを憶測し 邪推する者は多かった。
その答えに辿り着ける者は誰もいなかったが。
城戸侯爵家の財と爵位の行方。
侯爵家の周囲のすべての人間が気を揉む中、当の公爵家の二人の息子たちだけが それらのものに興味を抱いていなかった。
瞬は美しい兄が自慢で、氷河は愛らしい弟を溺愛し、この世に家族は二人だけしかいないというように、二人は二人の日々を過ごしていたのである。






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