思い切り胡散臭いものを見る目付きを作り、その目で 氷河はカノンを見やった。
アテナと聖域への(元)反逆者。
海皇ポセイドンをたぶらかし、唆し、アテナの命を危うくした(元)海龍の海将軍。
それが いつのまにか ちゃっかり双子座の黄金聖闘士の後任に収まり、黄金聖闘士たちが嘆きの壁で散った後は、なんと この地上世界に生存している ただ一人の黄金聖闘士。
今や カノンは、アテナを除けば、聖域で最も高位にある聖闘士なのである。
かつては、アテナを弑し、この地上世界を支配することを目論んだ男が!
己れの犯した大罪を棚に上げ、常に正義と地上の平和のために真摯に戦ってきた瞬に対して、偉そうに説教をかますような厚顔無恥な男が!
そんな男が何を とち狂ったか、白いYシャツに濃灰色のネクタイ、三つ揃いのスーツを身に着けて、まるで普通の人間のように、城戸邸の応接室のソファに ふんぞり返っているのだ。
氷河に、信頼と敬意の こもった目で 彼を見ろと言っても、それは 無理な相談というものだったろう。

露骨に 不信と軽蔑でできている視線を 氷河に投げつけられても、カノンは全く気後れする様子を見せなかった。
実に堂々とした態度で、彼は 氷河の視線を受けとめていた。
とはいえ、この状況は、彼にとっても極めて不本意なものであるらしく、カノンは氷河以上に機嫌の悪そうな顔をしていたが。

「俺だって、好きで こんなところまで来たわけじゃない。人を指導するなんて柄じゃないし、ガキのお守りなんて、全く気が進まない。アテナの命令だから仕方なく――」
「そんなことを言わないでください。氷河の飲酒に、星矢のジャンクフードの食べ過ぎ。氷河も星矢も、僕が いくら注意しても 言うことをきいてくれないんです。強く言えない僕が悪いんですけど、でも、だからこそ、ここは黄金聖闘士の貫禄と権威で 氷河たちを――いえ、僕たちを ご指導いただきたいんです。本当は、兄さんがいたら、少しは 一つところで 落ち着いて暮らすことを覚えるように、兄さんも指導してほしいと思ってるくらいなんですから」

(元)反逆者の機嫌を取り結ぼうとするかのような口調の瞬は悪くない。
悪いのは、『そんなことが、アテナの聖闘士の最高位にある黄金聖闘士が わざわざ指導しなければならないようなことなのか』と言いたげな顔で、瞬の懇願など歯牙にもかけていないようなポーズをとっている男の方なのだ。
少なくとも、氷河にとっては そうだった。

「この家には、自己主張の激しい問題児が多いからな」
紫龍が しみじみした声音で そんなことを言ったのは、不機嫌な二人の男の大人気のなさを たしなめるためではなく、二人の不機嫌な男の間で 困ったように瞼を伏せてしまった瞬に助け舟を出そうとしてのことだったろう。
まるで他人事の顔をして、そんなことをぼやいてみせる紫龍に、星矢が頬を膨らませる。
「瞬。紫龍には 直してほしい問題点はないのかよ? なんか あるだろ。せっかく 黄金聖闘士様が日本まで出向いてきてくれたんだ。こんな機会は滅多にないんだから、遠慮せず 全部 ぶちまけちまえよ」
そう言って、星矢が瞬を焚きつけたのは、彼がカノンの生活指導が実施されることを既定の事実と認めているから。
そんな星矢に、氷河は むっとした顔になり、紫龍は反駁を開始した。

「俺を おまえたちと一緒にするな。俺は、日常生活のことで 瞬に注意されたことなど――」
「突然 服を脱いで、人を驚かす癖は治してほしいかなあ……」
「む……」
なくて七癖、あって四十八癖。
「僕に そうしてくださったように、今度は僕たち全員に よろしく ご指導ご鞭撻ください」
瞬が そう言ってカノンに頭を下げたのは、カノンへの皮肉でも嫌味でもなく、気まずい顔になった紫龍の立場を慮ってのことだったろう。
瞬に指導を頼まれたカノンは、“不本意ながら、ここにいる”のポーズを崩さず、瞬に頷くこともしない。
カノンに喜び勇んで精力的に青銅聖闘士の生活指導に取り組まれても困るのだが、瞬に不遜な態度をとる前科者も気に食わない。
矛盾した二つの思いの間で、氷河は仏頂面。

星矢が気の抜けた嘆息を洩らしたのは、実は、そんなカノンと氷河のどちらを より“大人気ない”と評すべきなのかに迷ったからだった。
「カノンの“ご指導ご鞭撻”を受けても、瞬は 相変わらず『人を傷付けるのは嫌いだ』を改めてないのに、沙織さん、何を考えてるんだか」
「それを改めたら、瞬が瞬でなくなってしまうからな。要するに、その程度の従順さでいいということだろう。絶対服従ではなく 気楽に、俺たちはカノンに“ご指導ご鞭撻”されていればいいんだ」
「喧嘩する相手もいない聖域で 暇を持て余してるカノンに、退屈しのぎの玩具を あてがってやろうって魂胆だったりして」
「それはないだろう。カノンは、冥界軍に破壊された聖域再建のために 忙しく努めているらしいからな」
「へー。ほんとに 真面目に更生しようとしてるんだ、カノンの奴」

では、アテナの目的は、聖域再建のために勤勉に努めているカノンに休息を与えることなのか。
あるいは、後進の指導を任せることによって、カノンに より一層の自覚と成長を促すことなのだろうか。
その辺りの事情を 沙織から知らされているのか、瞬は やたらと張り切っているように(張り切ってカノンに指導されようとしているように)見えた。
そして、瞬が カノンのために(自分以外の男のために)張り切れば張り切るほど、氷河の機嫌は悪化の一途を辿るのである。
「僕、沙織さん――アテナから、こちらに滞在中の あなたの お世話をしっかりするように言われていますから、何でも おっしゃってください。とりあえず、お部屋の方に ご案内しますね」

瞬に そう言われて億劫そうに立ち上がったカノン。
カノンの お世話を しっかりする気満々の瞬。
稀代の悪党を瞬と二人きりにしておけるかと言わんばかりに苛立った足取りで、二人を追う氷河。
応接室を出ていく 珍しい組み合わせの三人を、星矢と紫龍は いわく言い難い苦笑で見送った。






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