子供――と言っても、ナターシャではない。 ナターシャと同じツインテール――と言えないこともなかったが、それは男の子のようだった。 ナターシャより少し年上だろうか。 髪は、日本上代から中世における和風ツインテール。すなわち、下げ角髪。 左右に分けた髪を、それぞれ耳の脇で輪を作って束ねている。 身に着けているものは、浅葱色の小狩衣と奴袴。 彼は、どう見ても 平安時代の貴族の童子である。 そして、それは、どう考えても、氷河の悪口に対するクロノスの意趣返しだった。 「クロノスめ! シュラだの デスマスクだの、死人が生き返ったり 若返ったりするだけでも混乱してるのに、何なんだ、この おじゃる丸は!」 氷河が、著作権を考慮せず、他作品のキャラクターの名を堂々と口にする。 瞬は つい――ほとんど反射的に、 「だから言ったのに……」 と、ぼやいてしまっていた。 言って聞くような氷河でないことは知っていても、ぼやかずにはいられない。 否、瞬は むしろ、氷河が人の忠告を聞き入れない男だということを知っているからこそ ぼやいたのだったかもしれなかった。 氷河が人の忠告を聞く耳を持っていないことは、昔 彼が双児宮で異次元の漂流に及んだ時から、瞬は 嫌というほど知っていたのだ。 だから 瞬は、この現実――氷河の忠告無視によって引き起こされた この現実――を、素直に(諦め半分で)受け入れることができたのである。 「君、名前は何ていうの?」 平安貴族の衣装を身に着けた子供に、瞬は、比較的 冷静に名を問うた。 子供が 目をきょろきょろさせながら、瞬に問われたことに答えてくる。 「平尾丸。ここは何じゃ? 面妖な――」 彼が“面妖”と評したのは、21世紀の人間の住まいのことなのか、はたまた、彼の目の前にいる21世紀の人間のことだったのか。 いずれにしても、突然 他人の家に入り込んで、『はじめまして』も『こんにちは』も無しに『面妖な』は、氷河にとっては無作法以外の何物でもなかった。 「どっちが面妖だ!」 まず、無作法な子供を頭ごなしに怒鳴りつける。 そうしてから、氷河は、 「クロノス! このガキを元の時代に戻せっ。一般人に迷惑をかけるなっ」 虚空に向かって、姿の見えない時の神に噛みついていった。 氷河の口にした“一般人”は、“神ではない者( = 人間)”という意味だったのか、あるいは“アテナの聖闘士でも神でもない者”という意味だったのか。 氷河が、“一般人”の中に アクエリアスの氷河と バルゴの瞬を含んでいたのか否か。 含んでいたとして、その表現は正しいのか否か。 ――という問題は さておいて、氷河が口にした“一般人”という言葉を聞いて、瞬は ある一つの可能性に思い至ったのである。 ある一つの可能性とは、つまり、 「まさか、この子が聖闘士ということは……」 という可能性である。 「このガキがかっ !! 」 瞬が思い至った可能性を、氷河は言下に怒声で却下した。 「パパ、ドウシタノー」 リビングルームに入った途端、氷河の大音声で迎えられたナターシャが目を丸くして、怒髪天を衝いている氷河を見やる。 ナターシャは、一人で ちゃんと お片付けを済ませたことを、パパに褒めてもらえると思っていたに違いない。 優しいパパの険しい声は、ナターシャを ひどく驚かせたようだった。 ナターシャの その様を認めた氷河が、超光速で 怒りの表情を消し去る。 「何でもない。ああ、もう こんな時間だ。瞬。俺は店に行くから、俺が帰ってくるまでに、その おじゃる丸をどうにかしておけ」 「そんな……」 「ナターシャ、一人でオカタヅケできたのか」 「ウン。ナターシャ、頑張ったヨー」 「そうか。ナターシャは偉かったな」 パパに褒められたナターシャが、その顔を ぱっと明るく輝かせる。 「パパ、行ってらっしゃーイ。お仕事、頑張ってネー!」 全開の笑顔で、ナターシャは氷河を送り出し、氷河は光速で(本当の光速ではなく、比喩である)部屋を出ていった。 氷河が 光速で(※ 比喩である)仕事に向かったのは、おそらく、ナターシャの前で 子供を怒鳴りつけるようなことをしたくなかったから。 そして、自分が仕事に遅刻をして、シュラの遅刻を責める権利を失うわけにはいかないと思ったから。つまり、職業人としての責任感ゆえ。 ――であって、決して面倒事の解決を瞬に押しつけようとしてのことではなかっただろう。 そうでなかったと断言できるだけの根拠は どこにもなかったが、氷河の名誉のために、瞬は そう思ってやることにしたのだった。 |